江戸の学びと思想家たち
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江戸の学びと思想家たち
知的生産術の観点からカードにまとめ直す
三太郎の日記
おのれの個性や価値をいかに社会(国家や政治、経済、民族等) のうちに活かすのか、といった世俗的観点を軽蔑もしくは軽視した。おのれの内面に閉じた「個性」に依拠する
近代科学は外界を客観的に対象化してとらえるから、自己の「外側」に向かう知といってよい。
キリスト教の文化伝統をもたない日本では、人の内面の問題は別の方法であつかわなければならなかった。明治政府はその空白部を「日本という国家」の価値で埋めようとした。
空白を「教養」で埋めようとしたのが、先の大正教養派知識人
身体的な動作をともなう素読が、精神の形成、ひいては人間形成に大きな意味をもつ
大正教養派の読書は書斎での黙読、
素読という「型にはまった」学びを前提にもちながら、なぜかくも豊かで個性あふれる思想群が躍動したのか、
→なぜ?
〈知のつくられかた〉のちがいが、その後に形成される思想に大きな刻印を残し、その刻印が思想の個性を形づくる要因となる
職業的文書(たとえば商いでは仕切・領収書・請求書・契約書・借金証文など) の書式や知識が、手習いの形で学ば
これ今の学校教育に欲しい
ひとたび文字を介すれば、書式、文体、用語、書体にいたるまで、ほぼ地方差はなかっ
読むこと」よりも「書くこと」を中心においた
身体化する
書道をまた習ってもいいかも。書く内容をしっかりと体に入れるために。
徒然草』は、内外の古典や故事を豊かに踏まえており、さらに智恵や教訓に満ちていたので、魅力的なテキスト
江戸の読書
京都の町全体を一つの「大学」に見立てれば、いわば儒学研究室が軒を並べ、加えて医学や蘭学など多種多様な専門分野の研究室もあちこちに競ってい
泰平の
平和なおかげで学問が発達する
六─七歳のころから、『孝経』や四書などの経書を声に出して繰り返し読み、テキストの全文を完全に暗誦してしまう学習
一日一〇〇字ずつ一〇〇回復誦すれば、四書の素読は、総計五万二八〇〇文字だから五二八日、一年半ほどでだれでも終えられる
素読は読書とは異なった次元のいとなみである
暗記のため
思想の在り方が学び方を規定する。学びと思想の間の深い関係は、本書の主要なテーマで
心を一つのことに集中させ続ける
は、「いま眼の前のその人といかに正しく交わるか」という単純な日常
講釈は、聴衆が聞いてすぐにわかるような平易な話法で語るが、学問は「一場の説話」で語れるものではない。
日本と古典漢文の間には何重もの隔たりがある
声で「読む」のではなく、目でなぞる「看書」
江戸時代と同じく現在でも、益軒は知識人からの評価は低いが、読者一般には支持されている
経学(儒学)、地誌、紀行、本草、養生、啓蒙的教訓、字書・事典類、礼法書など、あらゆるジャンルに及んでいる(
こうなりたい。現代でこういう人少ないな。
梅岩の講釈
現代で言う安っぽい人気のあるオンラインサロンではないか…?
こうした石門心学の組織構成は、寺院本末制や芸能の家元制などと相似形をなしてい
テキストのキーワードやキーセンテンスを
として提示し、それをめぐって会衆した道友たちが、自分の日常での具体的な行動事例に即して討論
自らを「取次」(『堵庵事蹟』) もしくは「引合」者と
完全教祖マニュアルにも同じようなことがあったな。自分は神ではなく、別で神を立てて、自分は媒介者となる
学問と芸能が交錯する
ゆる学徒界隈みたいだな
世界を根源的な「理」で説明する朱子学は、論理的には「無鬼論」(一種の無神論) となるが、それでは現に行われている儒教の先祖祭祀が説明できないことになる。篤胤は朱子学のこの矛盾と虚妄を衝き、信仰の前提となる神々が実在することを論じたのである(子安宣邦『鬼神
島崎藤村が描く『夜明け前』
日本語の「てにをは」にあたるものがないから、論理的でなければ文脈ができない。漢文は、論理的な文章を構成するのに適していたのである。
素読世代に伝わる『民約訳解』の理解は、それ以後の世代とは、おのずから質が異なったものとなるだろ
漢文テキストを丸暗記する行為だから、「己を空しくする体験」そのものである。だからこそ、自己形成以前の子ども期にふさわしい学習とされた。
江戸の思想家たちには、自己を大自然に対する存在ではなく、大自然の内に組み込まれた存在としてとらえる視点と感覚が
身体性の希薄化が進むなかで、〈知の身体性〉の復権を求めるバネが、どこかで強まってくるのではないだろうか。