先輩の昔話 2025/10/04
「だいぶ前の話ですが、ロシア…当時のソ連に住んでいる時期がありました。ちょうど米ソ間でのロケット開発競争が苛烈だった時期です。ちょうど私はヒマでロケット技術に興味があったので、知人のツテでOKB-1にエンジニアとして潜り込むことが出来ました。とはいえ中心メンバーはソ連の人間だったので、私は東ドイツメンバーが中心のチームに配属されました。いまだにオスタルギー的な感覚が起こることはありますよ。その時は有人ロケットの開発…主に、どうやって着陸するかということが課題だったのです。アメリカは太平洋に落ちたカプセルを回収する海上回収方式が主流でした。これは地形的な恩恵によるものですね。一方ソ連が使えそうな海は、寒冷な北極海か、面積が狭くピンポイントな着水が難しい黒海くらいです。そのためこちらでは陸上への着陸を前提とした方式が主流でした。ガガーリンの乗るロケット、ボストーク1号の打ち上げまで残り2週間という時。どうしても、犬でもイワン人形でもない、人間の打ち上げサンプルが欲しいという話が上がりました。それに選ばれたのが私だったのです。私は単なるモルモットだとか憐憫の声が上がりましたが、むしろ進んでパイロットになりました。人類で初めて宇宙から地球を見る人間になるってことが楽しみだったんです。打ち上げの際、あなたの名前は歴史に残らないということを伝えられました。打ち上げ自体はスムーズに進みましたが、問題は着陸です。大気圏再突入のタイミングでトラブルが起きました。所定のタイミングになってもカプセルの脱出機構が働かなかったのです。ギリギリでようやく脱出することが出来たのですが、十分な減速が出来ないまま地上に打ち付けられました。私自身、助からないものだと思っていたのですが…偶然、胸を下にして着地したことで、衝撃を緩和することが出来たのです。打ち上げのノウハウは無事ボストーク1号へフィードバックされ、私はフルシチョフから、незаписанная заслуга науки(歴史に名前の残らない功績者)を授与されました。といっても、これを見せても誰も信じてはくれないでしょうね」