部屋の片付けをする。
部屋の片付けをする。
今回、minikuraの段ボールを取り寄せて、ひとまずそこに、2箱分ぶっ込んで送り出してみた。
「minikura」というのは、箱単位でのトランクルームサービスのような業者で、以前ライフハック記事か何かで読んで記憶には残していた。
よく、部屋の片付けをするときには、全体を何サイクルかさせる前提で、
一回全部取り出して集める
まず「残すもの」「捨てるもの」「保留」に分ける
全部分けたら、残すものの置き場を決める
みたいなことが推奨される。でも、これは実際には難しい。それに、「“いつか使うかも” は来ない」という言われかたで、グレーは罰するというか、未定・不確定なものは「捨てる」に寄せることが推奨されるけど、「これは捨てられない!」というクイックで強烈な情動、もう本能的・防衛的といってもいい、が湧き上がるものばかりだから難しいのだ。
全部が「残す」になってしまう。
「本」が特に難しいけど、はっきりいって本以外のあらゆるものに、そういう要素が潜んでいる。
「これは、見るとコンプレックスも刺激されるし、今は別のことに集中したいし、とりあえず10年間くらいは見たくもないけど、それが過ぎたらまた再会したい」
ものが結構多い。
そういう、「使わない。でも捨てない。」と断言できるものが6割、使うものか3割、捨てるものが1割、とかそういう比率だと思う。
「いらないものを捨てよう?」だと、1割しか減らない。
しかも、6割と3割が目に入ることで注意力を消費するから、その1割すら満足に捨てられなくなる。
だから、その「使わない。でも捨てない。」をどんどん段ボールに詰めて、家から退避させてしまおうというやり方をしている。
それを少しどけて、捨てられる1割をちゃんと探す。
そこで、
「いや、その “使わない” を “いらない” に近づけていきましょうよ、という声が聞こえてきそうだけど、それは無理なのだ、いや難しいのだ。
例え話として。
「いつか、英語ペラペラになりたいな」と思って買った参考書や、
「いつか、海外旅行にいきたいな」と思って買ったトラベルガイドがあるとして、
過去2年間、子育てに振り回されてすぎて、一度も開いていない、さらに、向こう5年間は同じくらい忙しそうな見通しができる、というとき、「じゃあ捨てましょう」、ということができるのか。
(あるいは、やるなら今やりましょうというべきなのか)
これは、子育てだけじゃなくて、仕事の修羅場でも、転職活動中でも、なんでもいいのだけど。
自我が、未来と過去にしかなくて、むしろそれらの膨大な未来や過去への憧れによって、その場しのぎの後伸ばしでしかない “今” を、かろうじて支えている、そんな精神状態がある。
無理に変化を強いられている今の自分がむしろかりそめで、本来の自分は夢の先と、イノセントだったあの頃にしか残ってない、そんな感じ。
だから、思い出の写真も捨てられない。
いつでも買い直せるのだとしても、自我を整理し呪いから自由になることで身軽になれるのだとしても、「今のあなたは働いてるお金を稼ぎさえすればいいのです」という時間イメージを自我に投げかけられるだろうか。 むしろ、使わない未来、あったかもしれない未来への憧れこそが、自分自身だったりしないんだろうか。
内心の自由の象徴。
自分を押し殺すことはできても、自分を変えることはできない、生活が変わっても
未来と過去の中にしか自分はない、今や生活や関わりの中には。
「はやく」と「いつか」が同じ意味。
つまり、これじゃダメだ、ということ
(そう、そして20年後なんかだと、もう老後になっていて、むしろ生きていないかもしれなくて、だから「もう一生使わないかもしれない」、そうそれは分かっている)
(タスク管理・プロジェクト管理なんかでも、こういう「いつか」リストでかんじからめになっている人や、そういう人からの相談を受ける人は多そうだ。そっちについて、「まずは毎日ご飯を食べて、寝て、日々を回せる自分を肯定できるようになりましょうよ」というところに軸が置かれてしまうのは分かる)
……というわけで、“捨てないで、捨てる” というかなんというか、トランクルームサービスに頼ることにしたわけだ。 もちろん、数年使わずに遠いところにあったら、そのまま気持ちが離れて、捨てることになるかもしれない。(それならそれでもいい、と自分自身ですら思う)
ただ、考えていたことは別にもあって、
「まずすべて集めて一つ一つ判断」の、「すべて集める」というのは、「それ以外を気にしなくてよくなる」という効果がある。
片付けをするときに、まずなるべく捨てる、ことが推奨されるのは、捨てたものはそれ以上目に入らなくなって、次のものについて考えるときに、思考を圧迫しなくなる
ところがいわゆる「普通の方法」のポイントなのだと思う。
……、だったら。「間違いなく、これは、使わないけど、“捨てないもの” だ!」という確信の強いものから、段ボールに詰めて出荷してしまうことができれば、似たような初期効果を得られるはずなのだ。
残すもののほうをどける、残すもののほうを視界から消す。それが手法として可能であるのなら、試してみるのもいいだろうと思う。
たぶん、それが手法化されて流通していないのには、それが「一般にはやりにくかったから」という要因もあるだろうと思うからだ。
後日談的な。
このサービス、段ボールを保管前に、中身を50枚くらい写真に撮って、オンラインで共有しておいてくれる。
これ恥ずかしいな。
“スタッフさんに、
「こんなものも捨てる決断がつかないんだー。ププー」
って思われてそう”
って気分になる。
スマホで見る写真って、オンラインショッピングだったり、魅力的なブツの写真が多いから、いくらスタッフさんが撮影技術のところで頑張ってくれても、生活感にあふれた我が家の荷物は、やっぱりなんか、格好悪い。