競争と共同体
日本の大人にとって、人の行動とその評価は、大きく2つの枠組みに分けられるように認識される。
何をどうしたら達成されるかがある程度明文化された条件で、実用性のあるものを得ようとする(しばしばゼロサム)
達成基準が単に他者によるというだけでなく、場の空気のような曖昧な力学で決まり、得ようとするものは承認や評判など、直接は役に立たないもの(みんなで残業することで、連帯感が育まれるとか) 前者が市場で、後者が共同体的なものだと認識される。 ただ、これって実は4象限なのではないか。2値ではないのでは? 明文化できる達成条件で、実利ではないものを得ようとする
空気で評価される中で、ゼロサム的な実利を得ようとする
3番目は、日本だと資格試験みたいなものがイメージになるだろうか。英検何級とか、漢検とか。
持っているからといって「だからなんだ」と言ってしまえばそうかもしれないもの。
でも、「それに向けてがんばっているんですよ」と他人に言えば、「それはすごいですね」と言ってもらえるものではある。
あるいみ結婚なんかも、仮面夫婦でもなんでもいいから、“結婚しているカード” を持っていたら、人から褒めてもらえるという意味では、この領域かもしれない。
で、私が思うに、海外の宗教が戒律とか教義とかが厳しいのは、日本人からすると空虚で厳しく感じられるかもしれないけど、ある意味この領域を充実させているのかもしれない。
毎週礼拝に来るとエライ、とか。
(ま、だったら現代ではソーシャルゲームやってたら? というのはある。月替わりミッションを、運営に言われるままに「わーっ」と毎月達成していくの、楽しいよ) 4番目は、具体的にイメージしようとすると胃が重くなるやつだ。
派閥の中で重鎮と目されるようにふるまうとか、学生時代にモテや学内カーストで上位に行こうとする、あの努力だ。 ところで3番目の領域って、実利がないから、つい無駄なものとして考えてしまいがちだけど(投資してもリターンがないもんね)、精神の安定には結構重要なんじゃないかと思えてくる。
特に4番目が支配する世界で、「何をやればいのか分からない」と窒息しそうな苦しさを感じたことのある人にとっては。