恋愛とはデートのことである
もちろん、概念としては、「デートが恋愛の一要素である」
ことは事実。
だけど、実体なくして霊体だけある、というのはナンセンスだし、他の要素がすごく小さかったら、十分近似されている場合もありえるのだ。
例:意識は脳活動のことだ
で、幼なじみからずっと、相手のうちにゲームしに遊びにいく延長で、「相手と会うチャンネル」がつながっている者同士は別として、
そうでない、まだ家族でもないカップルが、さぐりさぐり思いを伝えていこうしたら、
「コミュニケーションのチャンネル」、「コミュニケーションの媒体」あるいは、「コミュニケーションの形式(様式)」が必要になる。
だから、「喫茶店にも入れない」小学生の恋愛はハードルが高くなるのだ。
そして、何らかの媒体によって存在するとなれば、今度は「本体もまた媒体の性質に制約を受ける」ことになる。
お金がかかるとか、週末は空けておかないといけなくなるとか。
で、実際には恋愛⊃デート であるにもかかわらず、恋愛≒デート の図式が成立してしまうと、「デートに強ければ恋愛で勝ったも同然」みたいなことは起きてきてしまう。 まったく世知辛い(誤用)。