崖の上のsinger
崖の上のsinger
(なんだかんだで今聞きたい曲だと1番かもしれない。)
で、やっぱり、あの「崖の突端で歌う姿」ってのは今見ても印象的だし、当時見たときは視覚的にすごいインパクトだった。
で、ちょっと思うのは、Mr.Childrenはバンドだけど、崖の上で歌っているのはボーカル1人だけなのだ。
で、これを指して「日本は音楽が歌として偏重される」「ボーカルだけ特別扱いされてる」という見方もできる。
ただ、思考実験として、じゃあ4人で崖のところで演奏している姿を写したら、あのインパクトは生まれないし、物語としての意味性もおそらく変わってしまう。 あそこにぽつんと一人立っているのは、歌詞世界の主人公の象徴であり、歌の主人公の叫びの象徴であり、曲を聴いているリスナー自身の心象風景の主人公の象徴でもある。 だから、一人でなくてはならない。
で、ある種それとは逆に、ピンでやってる歌手が、そういう派手な風景の中にたって歌う姿が絵になるかというと、どうもそれも思い浮かべにくい。 平井堅だったり星野源だったり、やれるだろうか。
なんか、もうちょっと照れながらやらないとどうもいい感じにならない気がする。なんなんだろう。
なんか、音楽という物語を作る人や人達の周りには、世界観の膜のようなものができる気がする。個人で歌う人の場合、個人の周りに膜がつく。
4人でやれば、4人全体の周りに膜がつく。4人の内側には関係性ができる。
そのとき、4人のなかから中心人物を一人取り出して写すくらいだと、膜は付き纏いきらないけど、1人でやっている人を1人のまま写すと、普段の(活動の総体としての)膜が剥がしきれない。
そんな感覚がある。
そしてこれは完全に余談だけど、現代の日本の? 文化的空間において、そのような『膜』がついていることは、女の芸能人であればより好意的に許されるけど、男性の場合、あんまり好意的に見ることができない感覚がある。不思議なんだけど。 だから、どんなにワンマンバンドであったとしても、男の音楽家の新人は、バンドで出てきてほしい気持ちがどこかにある。「シンガーソングライター」とかではなくて。 この感覚は、なんなんだろう?