大きな物語
物語が大きいと、個人的な欲望や葛藤は抑圧される。あるいは捨象される。
この場合での「大きい物語」というのは、別に「国家の認定するエリート剣士になって鬼に支配された国境領域を再び開拓し、安全で繁栄する街道を開こう!」みたいに、“多くの人を束ねられる”ことのみを意味していない。
そうではなくて、「親を鬼に殺されて、だから鬼を許せないし、そのためなら自分の命と引き換えでも構わない」のように、個人の内面に閉じた物語であっても、その主観に及ぼす力が大きかったり、干渉を受け付けないほど強固だったりするものを指している。
そのように舞台装置が大掛かりな場合、小さな私情は抑圧される。「それどころではない」。
そして、物語が個人の内面で一強独裁だと、葛藤すら起きない。同じくらいの大きさの物語が2つあって、それが互いに相いれなくなったときに葛藤が起きる。
そして小さいものばかりが、バラバラにたくさんある状態になると、ポストモダン……、というわけだ。
生の充足感を得にくくなったり、人目ばかりを気にするようになったり、即物的で享楽的な行動に見えるようになったりする。
できたらそれらを結合させられる、「連立政権のスローガン」みたいなものが、欲しくなるかもしれない。