外から見る感覚と中にいる感覚
妻さんが最近、韓国ドラマを見ています。
上記作品は、今までの韓流ドラマブームと違って、単なる恋愛だけでなく(それが駆動力だとしても)南北の問題とか、北の国内事情の描写とかにも踏み込んでいて、男性人気もかなり盛り上がったらしいよ、なんてことも話してくれます。
「あと、韓国の人は、やっぱり早く北朝鮮と仲良くしたいって思うんだね。ドラマを見てると、こっちも『早くひとつになれちゃえばいいのに』って感じてくるもん」
と言う。
主人公カップルの男女は、それぞれ北と南の人だからね。
なるほど、と思う。思うんだけど。
悲しいな、残念だな、馬鹿だよな、韓国人。という思いが、同時に去来してしまう。
そう、内部的にはそういう感情なのかもしれない。視点を共有すれば、その心情も理解できるかもしれない。
だけど、その話を聞く前の、しかも『外国』であるところの日本人である私が今まで無意識にでも思っていたことは、
「韓国は、金正恩やその体制の言うことをいちいち真に受けたり、期待を持ったりするんじゃなくて、アメリカや日本としっかり仲良くしようとすれはいいのに」
ってことだったのだから。
だって、“あの” 北が太陽政策になびいてくれそうな目算なんて、ひとかけらもないでしょう。
でも、それを思うのは、日本にいて、客観的で、(それプラス、拉致被害者に怒りを感じ続けてて、)そんな人間だからこそ持てる感覚なんだよな。
内部的な心情は、違うんだな。
そゃあまあ、もともとは一つの国だったのに、戦争の後のあれこれで、引き裂かれたんだものな。もとの一つに帰りたいよね。
そういう感情が、韓国民衆の中にあるのなら、文在寅大統領が手をつないで境界線をまたぐパフォーマンスをするのも仕方ないのかな。
いや、それでも、あの国と統合しようと思うのなら、現総書記とその周りの体制を根こそぎにしてからでないと、無理なんじゃないかなあ、ってことは、傍目には思う。