効果的だからこそ多用されるし、多用されるから陳腐にもなる
私の創作活動っぽいものは、小学生くらいにさかのぼれるから(巧拙を無視すればだけど)、もちろん現役「中二病」の時期にも、書いていたわけです。 そうするとね。当時はストーリーの味付けも、より強力なものがほしかったわけです。
「主人公が、今回のエピソードのヒロイン的キャラを助けるだけじゃ、あんまり盛り上がらないな。よし、こいつを『実は主人公の生き別れの妹だった』ことにしよう。兄妹の感動の再開!」とか、 「主人公が、依頼者のお願いを聞いて、戦場に行く。それだけじゃ盛り上がらない気がするから……。依頼者は今は清貧に自分をなじませているけど、かつては一国の王女だったことにしよう。それで、その国を滅ぼしたのも主人公の宿敵と同じだったということで!」とか、
そんなことをよく考えていた。
でね、そういうことをどんどんやって味付けを上げていくと、なんだかどんどん どこかで見たような設定になっていわけです。それが不思議でもあり、悩みでもあった。
逆に、何物にも似ないように、「似ている」と感じられるポイントをどんどん回避していくと、どんどん盛り上がりが阻害されていく。
そこで、創作者としては迷うわけです。どこかに、未盗掘の鉱脈は眠っているのか、それとも、一見独立した変数に思える、この2つの要素「盛り上がる」と「どこかで見たことがある」の間に、実は因果関係か相関関係があって、「盛り上がりを求めるのなら、ありきたりであることは避けられない」ものなのか。 ……、と思っていたところに、表題(のような)セリフに出会うわけです。全然違う文脈だったわけですけど。
衝撃でしたよ。
そう、相関はあった。
本来は独立の変数で、4象限に分散することは可能なはずなんだけど、それは読み手の世界にとどまった場合の話しで、一段階抽象度を上げる、あるいは作り手の視点に入ると、そこには因果関係がはっきりあり得る。 盛り上がる展開、面白いお話は、一度発見されたら、次々に模倣される。誰だって盛り上がるお話が書きたい。たとえ最初の発掘者にとって手つかずの鉱脈だったとしても、あっという間にレッドオーシャンへと変わる。 そして、人類と物語には今まで続いてきた歴史があるわけです。 ということは。「手つかずでありつつ盛り上がる」なんてものはありえない。
たとえ4象限を描いたとしても、第1象限と第4象限だけに点が集まり、第2第3のエリアは実質的に空集合になってしまうはずだ。 当時、それに気付けて精神的に楽になれたのを覚えている。