リアルで充分という断絶
昔『実写映画化やスピンオフなどの派生作品についての私見』というエントリがあった。
今はないのかな?
で読めるようだけど。
本体がなくなってしまっているので、少し長めにクリップする。
ここに、「理解しあえないほどに感覚の隔たった2つの人種」という絶望を見る。 まだしも、
「理想化された異性しか好きになれないの?」とか、
あるいは
と言われてるのなら、まあ仕方なかった。
しかし、
「だって字だし」
ということを考えられてしまうとしたら、
「もう俺に、この世界で語りたいことはない……」と、うなだれるしかない。
そして、『語りたいことがない』ということは、ごく狭義には、「お前と話すことは何もない」という事態につながってる。
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“でも「漫画は読まないけどドラマになったら見る」派の人は多分そういうこともひっくるめて「リアリティ」だと思ってるんです。” あのですね、まず前提として、世の中には「文章や絵には全く感情移入出来ない」という人たちがかなりの割合で存在するんですよ。っていうか、むしろそっちが多数派かもしれないんですよ。 漫画とか小説とかでどんなに感動的な台詞や展開を読んでも、それを自分の生きているこの世界と地続きの話としてとらえられない、「だって絵だし文字だし」みたいな人はかなりいるんです。絵は絵だし、文字は文字であって、それで描かれていても「作り話」だなーとしか感じられない 殆ど同じ内容で同じ台詞であっても、生身の人間が口にして初めて「本当だ」と感じられる人は絶対にいる。それもすごくたくさんいるのです。” “なので、実写化する際には、そういうタイプの人たちが「本当だ」と思える範囲内に物語を収めるよう改変されることが多いです。さらに言うと、気楽に見られる媒体であればあるほど、ターゲット層の「リアリティの範囲」「感情移入出来る主人公の設定」は狭まっていく傾向があります。わざわざ映画館に出向く層はまだ、多少ぶっ飛んだ設定でも受け容れられる人が多いですが、ああいう隔離状況で二時間集中して物語に没頭するということそれ自体が実は難度が高いので、それも出来ない、家でゴロゴロしながら気楽に見られるテレビドラマならなんとか、という層になると、まあ舞台そのものが異世界とか未来とかそういう設定のやつは全部ダメと言ってもいい。” “私がだいぶ前にtwitterに投稿して、ものすごーくリツイートされたネタに「“リア充”とは“リアルが充実”の略ではなく“リアルで充分”の略ではないか」というのがあるのですが、まさにこれはその話でもあるわけです。彼らにとっての「充分なリアル」とは、すなわち我々が生きているこの世界、オタクの大半が生きづらく感じている、「いつか空から人間じゃない女の子降ってこないかな」とか「変な小動物がやってきて“僕と契約して魔法少女になってよ”とか言わないかな」とかの妄想で乗り切っている、この世界のことなのでございますね。ああ世界は残酷だなぁ。” “実はこの「現実感重視派」をつきつめると「そもそも作り話にはいっさい興味ない」みたいな人もいて、その中にはバリバリに勉強出来る人もいます。” hr.icon