モンティ・ホール問題
モンティ・ホール(Monty Hall)は、アメリカのゲームショー番組の司会者。
一種の心理トリックになっており、確率論から導かれる結果を説明されても、なお納得しない者が少なくない ジレンマあるいはパラドックスとも称される。
「直感で正しいと思える解答と、論理的に正しい解答が異なる問題」の適例とされる。
概要
「プレーヤーの前に閉まった3つのドアがあって、1つのドアの後ろには景品の新車が、2つのドアの後ろには、はずれを意味するヤギがいる。プレーヤーは新車のドアを当てると新車がもらえる。プレーヤーが1つのドアを選択した後、司会のモンティが残りのドアのうちヤギがいるドアを開けてヤギを見せる。
ここでプレーヤーは、最初に選んだドアを、残っている開けられていないドアに変更してもよいと言われる。プレーヤーはドアを変更すべきだろうか?」
第2のドアに替えた場合、最初に当たりだとハズレになり、逆にハズレだと当たりになる。したがって、最初のドアで「当たり、ハズレ、ハズレ」が起こっていたものが、第2のドアでは「ハズレ、当たり、当たり」が起こることになる。すなわち、第2のドアでは「当たり」と「ハズレ」の確率が完全に逆転する。
ドアが2択になった経緯を知っているか知らないかの情報の差がドアの評価に影響しているだけである(単純な話、「最初にプレーヤーがドアを選択する時点での確率」と考えると理解しやすい。なお、1つドアが初めから開いた状態=単なる2択問題であり、モンティ・ホール問題は成立し得ない)。
「心理的なゆさぶりにすぎない」「物の位置が移動したわけではない」「誘惑は悪魔だ」「未知に面した状況では、軽々しく動くべきではない」 こういう、
「枝葉の情報に邪魔されまい。そもそもの構造に遡って、整理された考え方をしよう」とする姿勢は、多くの場合には正しい確率の求め方の助けになるのだが、ここでは裏目に出るわけだ。 権威主義がゼロだったら、たぶん解説を読み進めることすらできないくらい、腹落ちするのは難しい。
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いや、違うかな。「最初に、当てようとしてAを選んだ自分」と、認知的不協和を起こすからか? ヤギではなく、100円玉でも置いてあったらいいのだろうか。
Aを選んでCを開けられたとき、「Bを選んで当たったら、その車とCの100円玉もあげる」
……と言ってもらえるような状況が起きているらしい。