イノベーターにはなれない感性
イノベーターにはなれない感性
コロナ消費である。
それにしても、今はもう、最廉価モデルでもこんなに薄くて、軽いんだねぇ。
私は、iPad mini2や、iPadのairのシリーズが出てきたときに、
「ああ、これでやっと完成したと言える。これだけのものが作れるようになってから、iPadを発売すればよかったのに」
ということを感じた。
それ以前の、デカくて重いやつは、私としては「買おう」という気の起きないもので、さらにそれは深層意識的には、「商品として世に出してはいけなかったレベル」として、たぶん認識されていた。
世に問うてはいけなかったのだ、と、
話は変わって。
子供にswitchを間借りして、ゼルダのBotWをやっていた。ああ、いい空間だな、と思う。ついでに子供の買った、妖怪ウォッチ4で、現代の住宅街のような空間を歩き回らせてももらう。
これも、いい空間だなー。
ここでも私が思うのは、
「これくらいできるようになってから、家庭用ゲーム機はポリゴンに舵を切ればよかったのに」 ということで、ここでも私は、PS1・2・3の時代とFF7・8・9・X等が積み重ねた時代での足跡をあっさりと黙殺してしまう。
実際には、そういう人たちが道を切り開き、それを応援する人たちがいて、その流れも含めて、技術者の末端にまでノウハウが蓄積されたから、今こういう商品や技術が世に出てくる。 それは分かってるけど、でも私は、switch的な空間体験ができないのなら、世の主流はずっとスーファミ路線のままでいるのが「良い」ことだと感じるし、それまでの間の技術開発はひっそりと行われているべき、くらいのことを深層意識では考えてしまう。 ちなみに、私は「イラストや漫画を描けたらいいなー」と思うことがあって、ときどき練習するのだけど、その下手さ加減、気持ち悪さに我慢できなくて、なかなか練習が続かなかったりもするのだった。