この本を読んだきっかけ
子供用の、読書感想文の導入部として、テンプレートとしても提案されることのあるパート。 でも、そんなもの、別に評者としても読みたいわけではないんだと思う。でも、なぜか文章というのは、導入部というのがないと文章は読みにくい。
思うにこれは、最初の文だけは、メタ情報なしで読み始めないといけないから、「あまり凝ったことを書くな、日常の会話からかけ離れた視点で言葉を選ぶな」ということなのではないだろうか。
例えば読書感想文という文塊って、そこに置かれる文は、引用なのか、感想なのか、文化的メタ情報なのか、自己紹介なのか、本の書誌的情報の紹介なのか、そのどれもが含まれている可能性がある。
そういうことが、わからないまま文字を読む行為が始まらないようにする。
さらにいうなら、理屈の上では、「その文」は、小学生の感想文に見せかけたセールスマンのセールストークかもしれない。
だから、できれば「自分がどんな人間」か、も、わずかに読み取らせることができたらいいのかもしれない。
書き手の体温をほんの少し感じさせる役割も、導入部にはあるかもしれない。
それでもその程度で、そんなことが本題でも本質でもないことは、感想文の読み手も重々承知してる。でも、無いと読み手が読み始めるときに負担が増える。
文章の導入部というのは、そういうことなのではないか。