『ファンタジーRPGクイズ~五竜亭の一夜~』
そういうファンタジー的なイメージが持てる程度にそういった本やメディアを楽しんでいて、そういう人がいま、この本を読んだとしたら、その感想はどうなるだろう。
この世界でかしこく生き延びるための知恵の数々を、一問一答形式で習得!
という感じにまずは読める(読まれる)んじゃないだろうか。冒険に出かけるときの主武器は、グレートソードみたいなのじゃなくて、もっと、盾が使えて小回りが利いて、生活(屋外の、サバイバル的な意味で)の役にも立つようなものがいいよ、とか。
道で倒れている女性や、街中でごろつきに囲まれている子供を、無条件に「善」や「被害者」と認識してしまっていいだろうか? とか。 でも、本来の意図や設計の白眉は違うところにある。
本は、軽妙な会話体で進む。ということは、先生役を含めてキャラがいる。なのだけど、それが1人や2人ではないのだ。
本の基調は、先ほどのようなクイズを出題し回答する、傭兵や盗賊のようなキャラクターの語りだということになるだろう。
でも、登場するキャラクターの中には、彼らの発想に憤慨しつかみかかろうとするような、誇り高くてちょっと愚かな「騎士さま」や、純粋で人を疑うことを知らないような「シスター」もいる。
そして、彼らは単なる “かけ合い” 要員ではなく、彼らもまた出題者になるのだ。
それを、中学時代の私は「役に立たねー!!(爆笑)」と思いながら読んでいたし、いま読む人も結局はそう思いながら読むのではないかと思う。
でも、みんな、自分で物語のヒーローになりたくてゲームの世界に旅立つのだから、どこかで彼らの存在がゲームという世界のバランスになっている。 (それに、卑怯の過当競争が世界を住みづらくつまらなくするのは、現実世界で見飽きてるだろう?)
最後に、この本のあとがきからの引用を載せておこう。
《正解のない、このちょっとと変わった遊びを、どうやってクイズの本にする》 位置: 2,499
のか、という編集上の議論について。なぜなら、
《ひとつひとつの問題には、本当に正解なんてあるはずがないのです。 あるのは、ただ……誰かの、答だけです。》
位置: 2,500
と。