『ヒトはなぜ神を信じるのか』
読んでいて敬虔な気持ちになる
それは神や信仰心をテーマにした本だから、ということだけではない
自分の中の、抗いがたい無意識のレールのようなものを見せられ、対峙しなければならないから
私には経験がないが、まるで「聖書を読み返す」ような読書感覚
言いたいこと
著者の執筆の駆動力になっているような気持ちは次のようなものと言えるだろう。 ・
つまり、
神の概念は、文化的に嘘を吹き込まれるから身につけさせられてしまうわけ(だけ)でもないし、 科学的実証知識に無知だから抱いてしまうわけでもなく、 人間の遺伝的・本能的な構造に根深く(というか副次作用的に、)不可避に発生してしまうものだということ。
主要な観点
目次に基づいて思い出す
ある錯覚の歴史
心同士が触れ合うことはできない
デネットの「意図的姿勢」
ウインクは穴の開閉ではない
指差しは腕の運動ではない
(神にもサルにも投影してしまう)
目的なき生
ヒトは神にデザインされてもいないし、
あらかじめ定められた生命の目的もない。
しかし、
《本当の謎は、なぜ私たちがこの地球のここにーー各々がひとりの人間としてーーいるのかにあるのではない。本当の謎は、なぜ生命の目的というこの疑問が、論理的な科学をまえにしても、これほど気をそそり、強固なのかにある。》
無神論を広めることに、『使命』感をすら感じてしまう。
《道徳性の重要な誤りーー私たちはある特定のやり方で行動するべきだし、そうする義務がある(なぜならそうするように造られているから)と考えてしまうことーーと密接に関係しているからである。》 ⇒「○○でなければ存在意義がない」という『正義』的な価値観 《神が道徳的な意図を持って私たちの心と体を造ったというこの考えは、「自然主義的誤謬」ーーすなわち自然であるものは本来的によいもので、適切で正しいと主張する誤りーーという哲学的概念に結びついている。》 サインはいたるところに
風鈴が風もないのに鳴ったのを聞いて「昨日 死んだおばあちゃんが、『いま天国に着いたよ。こっちは大丈夫だから、あまり心配しなくていいよ』と僕に伝えようとしたんだ」と思っているとき、その原因は、霊魂や生命の不滅を本能が願っているから、だけでは説明できない。
物音を聞いて「何かがいる!」と思う直感だけでは足りない。
「きっとこういう意図を持っていて、だからこの動作で伝えたいメッセージはこういう意味だ」と探ろうと動作してしまう回路がなければならない。
つまり、機能的因果や動作主帰属の推理に過剰なだけではなく、「意味」を探す回路がさらに必要。
そして、それもヒトは持った。
《つまり、自閉症者は、なぜはたらくかではなく、どうはたらくかという点から、もののはたらきに熱中する》
アリス実験
奇妙なのは心の不死
心を見てしまう(無生物にも)
赤ん坊でも
逆に、心のなくなった状態を想像できない。
この命題も、死を恐るから、だけではない。
「目の前からいなくなったからといって、消えてしまったわけではないことを理解できる力」の習得
神が橋から人を落とす時
恐ければ恐いほど、不可解なら不可解なほど、『把握しなければまずいことになる!』と身構えようとする本能のようなもの。
《当事者自身によってはコントロールできない「際立った人生体験」が含まれたストーリー(たとえば、遠方の辺鄙なところにいるはずの音信不通の親類に思わぬところでばったり出会うといった)を解釈する時には、それが運命だと答えるということを報告している。彼らも依然として「意味のある偶然の一致」のなかに語り手としての主(しゅ)を見ていた。運命とは実は、神から、物語る能力は残したままそれ以外の性質をとり去ったものなのである。 ⇒滅多にないことだからこそ、「もう一つのストーリー」をたやすく思い浮かべられてしまう。
⇒《連想記憶に格納されているのは、正常な世界とそれを支配するルールなので、異常な出来事は注意を引きやすい。》(同 位置2919。『ファスト&スロー(上・下)』下巻) 適応錯覚としての神
1章でかるく紹介されたように、チンパンジーでも、他者を意識して自分の意図を隠すことはある。しかし、それは自分より力などが優位な個体が視界にいるなどのタンジブルな環境に限られると言えている。人間のように、絶えず自分の行動に減点法で、「これはまずかったのではないか?」という声をかけることはまずない(だろう)。
人類は他者全員が言葉を持つ。そして、共同体を作って、他者利益的に行動している。だから、反道徳的な行動をするものだ、という情報は伝わりやすい。
悪事は千里を走る。壁に耳あり障子に目あり。
そういう人間の遺伝子の半分を、自分の子供としたくないし、自分の子供のもう一人の親として、そういう評判を持ち込ませたくない。性淘汰。 《言語が初期の人類に特別な適応問題を課したということは、脳のほかの領野、とりわけ監督機能と抑制的制御を担当する部位に起こった進化的変化によく表れている。ヒトのおしゃべりな社会では、行動の自己制御はとりわけ重要だったろう。》
⇒また、自由意思が抑制方向にしかないのも、そこに起源があるのかも?
うわさ好きの社会では、ヒトはより抑制的になるか?
(原始時代)《その時代にはインターネットのようなものはまだ影も形もなく、私たちの祖先にとって匿名性にもっとも近いものはと言えば、夜の帳ぐらいなものだった。》(P234)
いずれは死が訪れる
→自分の死は想像できなければ、元々は怖くないはず。
この点に関しては私も
霊魂の不滅性
大きな災害があれば、「地球が怒っている。人間の環境破壊に対して」「今度はまだ起きていない別の地方でも起きるんじゃないか」とか「これは虚栄の日本人に対する天罰なんじゃないか」みたいな思考は無意識に発生するし、
不当に得たハッピーや快楽はは後ろめたい(しっぺ返しが来そう)な気がしてしまうし(お天道さま感覚?)、
やや自閉ぎみな私ですらそう感じるのであれば、人類一般に敷衍したら「感じるのも信じるのも無理はない」という話になる。
また、人類に根源的にこういう感覚を持つ理由があるのなら、最大公約数的に(『スピリチュアル』すらも統合して)、「始原宗教」を作ってまとめておいてもいい気がする。 特に用語。
日本人の「カミ」とキリスト教的な「God」はニュアンスが違う、なんて言ってないでさ。
その他インスパイアされたこと
自意識の起源?
道徳的とは
「なぜ人類は宗教を必要としたか」みたいな問いかけ文にすると、出てくる回答は違ってくるだろう。
「集団内の平和のため」(←「嘘をつくな。したら裁く」というルールを行き渡らせれば、集団は平和になる)
大きな力への恐れと憧れ。(アニミズム。熊とか山とか大地とか蛇とか、そういうものの崇拝心)
ところで、この本のレビュー(アマゾンなどの)はうるさいね。星の数は少ないわけでもないのに、文句だらけだ。
冗長だの、結局は作者の主観だだの。
そんな本を楽しく読める私がいるんだから、やっぱり読書というのは、ある程度 相性の問題なのだ。