『クリエイティブ・ラーニング』読書メモ
P18
《なお、あらかじめ強調したいのは、ここでいう「創造」「つくる」とは、自分の主張や自分らしさを表現する「自己表現」をしようと呼びかけているのでではないということである。》 《ここで重視しているのは、つくっているもの(つくられつつあるもの)が「あるべきかたち」になるためにはどうしたらよいのかを探り、それを実現していくという、本格的な「創造」のことである》
第2章
《「自分がわからないことは、まわりにどんどん助けを求めよう(援助希求)」、》 《最初は関わること自体、立ち歩くこと自体が嬉しくてクラスが華やぐのですが、だいたい1ヶ月くらい続けると、他者への関心から、「もっとわかりたい、できるようになりたい」という自分への関心の段階にシフトし始めます。》
《読むのは先生だけ。しかも、赤で直してくるという、評価者という最も嫌な読者です。そうではなくて、まわりに自分の作品を喜んでくれそうな読者がいるということを体験すると、「もっと上手く書きたい」というモチベーションが生まれてくる。もっと効果的に読ませるために書き出しはどうしたらいいのか、情景描写を入れた方が伝わりそうだ、というふうに自ら学びとるようになっていきます。》 《経験すると、自分の論文が実際に誰かに読まれるということが内面化されていきます。いろいろな読者が読むということを信じることができるようになる。学校教育では、教師や採点者以外にほとんど読まれることのない文章をたくさん書かされてきました。 だから、自分の書いたものは誰かに読まれるのだという感覚や、その人の心が動いたり、世界が広がったりするということを信じられなくなっているのではないでしょうか。》
《今注目したいのは、「内言」(inner speech)という概念です。人間には、いま僕がこうやってみんなに話している言葉ーーこれを「外言」と言いますーー以外に、自分の心の中で話すときの言葉、つまり「内言」があります。》 《そして、ここが面白いのですが、内言には主語がありません。》
《物事の秘訣・やり方の共有というのは、基本的には、それを知っている人が、知らない人に教えるというかたちになります。》
《否応なしに「他者」と「自分」、「できる」できない」という区別が強調されます。そうなると、受け身になり、できない自分に対して自信を失ったり、自己肯定感が低くなる可能性があります。》 《「〇〇しよう」とか「〇〇しましょう」と書くと、途端に二人称的になるのです。》 (地図)《を見ながら冒険物語を書こう、という課題で、今までの行事作文より意欲的に書けたとしたら、それはたしかに「主体的」になってはいる。けれどもそれは言い換えれば、誰かが何かを差し出したり、魅力的なものを提供したり、命令したりしなければ、学びが稼働しないということを、結果として体験しているのです。口を開けてエサを待つコイのようになってしまう。教師の「善意」が、結果としてそうさせてしまっているのです。》 《「主体的にさせる」という姿勢なんですね。》
《自分が何のためにやっているのかを丁寧に説明し続けたり、時には折り合いをつけたりすることが大切です。
もちろん、「一緒につくる」という原理だけは
あ
あと変な言い方ですが、戦略的に権限を得るのもとても大事です。研究主任のポストって、誰もやりたがらないのですが、僕が虎視眈々と狙っていました。誰もやり手がいない時に誰もいないならやってもいいですよ少しもったいぶった感じで、ちゃっかりそのポストに行く。そうすると研修の場をデザインする権限を持って、同僚またのチャンスを作ります。
今の日本の現状としては、退出も発言も発動されにくく、残念ながらイグノアとコンプレインが横行しています。
リフレームは、今の単に新しい考え方やルールを重ねることで、読み換えていくということです。
ジェネレートは、アイデアを生み出しそれを隣支えて、新しい考えや仕組みを生み出していくと言うことです。単発のアンテナを出すだけでなく、次々とアイデアをつなげていって、発見の生成・連鎖を実現していくのです。
理念、これからの未来、
日本語だと、現在形と未来形も分かれきらない。
とは言え、これは僕のようなやり方に限らず、伝統的な学級運営にもあり得る問題です。例えば、運動会や合唱コンクールといった行事を通して凝集性が高まることが、日本の学級経営において一般的です。歴史的には生活共同体や感情共同体としての学級といえます。なぜこのようなことをするのかと言えば、教室やクラスと言うのは、もともと生徒がそこにいる意味がないからです。たまたま集まった生徒たちに対して、そのクラスにいる意味を与えるために凝集性に頼っているのです。 第3章
例えば青と言う言葉は、紫と青がどう違うのか、青と緑が朝違うのかがわからないと、本来的なもの実はわかりません。でも、そうすると、最初から全ての色の言葉を知っていないと、青の意味がわからないことになる。全部の言葉を知らないと1つの言葉の意味がわからない。すると、赤ちゃんはずっと学習できないことになる。だから実のところ、最初は断片的に学習するしかないわけです。