『ちいさなプリンセスソフィア』
ざっと、その物語の枠というか、世界全体の特徴をあげていくと、
主人公は、町の普通の女の子だったのに、親の再婚でたまたまお城のプリンセスになる。その構造から生まれる、視聴者から主人公に感じる、感性の身近さ感。
魔法があって、お城があって、ドレスがあって、お姫さまそんな「『女の子』の憧れ」のキラキラした空気の満ちた舞台設定。 主人公がピンチにおちいると、彼女の魔法のアイテムの力により、他の世界のプリンセスが助言しに現れてくれる(10話に1回くらい?)このことで、
これは、ある種の「狂言回し」として、他のプリンセスをその本編と関係なしに「もう一回見たい」というニーズに応えるし、出てきたら嬉しい。 そして、これまでは単にキャラグッズとしてしか抽出できなかった『ディズニープリンセスたち』というメタ物語を発動させる役割をこの物語が生み出す役割を果たすとも言える。 結構、相当に、周到だ。
さて、その物語そのもの、個々には一話完結のエピソード群の特徴はどんなところにあるだろうか? 〈!↑書きかけ↓!〉 対立や葛藤
姉、男女、執事
無双なコミュニケーション能力
誰も傷つかない
ソフィア
衝撃的だったのは、エピソード9《おうこくのピクニック》の基本メッセージ、「勝ちを目指すのは悪いことではないけど、一緒に参加しているみんなが楽しくてこそ、“場” があるんだから、ちゃんと配慮しなきゃ」を見て、「これが本当にあのアメコミの国から来たシナリオか?!」と脳みそを揺さぶられました。
そうそう、魔女との仲直りストーリー(11:《いたずらなまじょ》)も、展開がシビアで、友達の励まし方が無神経すぎなくて、よかったよなあ。
極端なところでは、
「何より大切なもののひとつはやさしさです」「いつでも、こまっている人をたすけなくちゃね。自分にとって大切なことを、あきらめなければならないとしてもね」
なんてセリフがあったりもする。(その回のエピソードでは、主人公は自分がテストに遅刻する/テストを受けられなくなることと引き換えにして、困っている人の荷物を一緒に運んであげている。第10話、《プリンセスのテスト》)
自己犠牲かよ!
道徳の教科書かよ!
自己犠牲なんて聞くと、「日本社会の宿業」「道徳は政府の陰謀」みたいな感じがしてしまうけど、これは別に日本で作られたわけでもなく、商業番組でもある。
だから、「権力者が民衆を統治しやすいように刷り込んでいる価値観」というのは一面的な反応であって、本当は人類の文化全体に普遍的に存在して、世代を超えて再生産していかなければいけない価値観なのかもしれないと、これを見てからは思うようになった。
ソフィアを見て考える、子供への道徳提示