「てんごく」と「じごく」と「ごくらく」
と音にすると、全部に“ごく”が入っているんだけど、漢字にすると全部違う。
微妙に違和感にぶつかるよね。
同じカテゴリーの単語群なだけに、余計に。
まあ、日本語は同音意義語が多い言語だから、そういう偶然は起こるよね、と言ってしまえばそれまでだけど。 で、これらは音読みだけど、訓読みは訓読みで、「朱」と「赤」と「明るい」が離れちゃうよね。
「あらためて」という言葉に「新」という漢字を使えないのもなんか変だし。
「こまやか」と漢字変換して「濃やか」が出てきたり、「いきがる」と変換して「粋がる」が出てくるのも、結構驚く。
個人的には、「細やか」「意気がる」と書けるほうがイメージに近い。
こまやかつながりで言うと、「キメ」のどうにもならなさもすごい。「木目」だろうと「肌理」だろうとイメージに合わない。
「決め」かなあ。もう「肌目」でいいくらおの感じもある。
獅子と猫と椅子
子供の頃に持っていた違和感で、「犬」は簡単に書けるのに「猫」という画数はすごく多いってどういうことだってのを思ったことがある。
似たパターンで、「机」は覚えやすいのに、「椅子」はなんか覚えにくい。(その上二文字)
「虎」は簡単なのに「獅子」は難しい。さらには「獣」すらも難しい。
この辺は、言語設計をもうちょっと上手いことやれなかったのかな、とどうしても思ってしまう。
さらに、上の例で「子」の部分に意味がなさすぎる。もうら「獅」一文字で「しし」ってことにしちゃだめなのか、ってことすら思う。
逆のパターンで「蜘蛛」とか「蟷螂」もある。その組み合わせでしか実質使わないのに、画数多すぎない?!
一輝でも一揆でも一気でもなくて、「樹」と一文字書いていっきと読ませたいと考えているとかいないとか。