Twitterでは言わないほうがいいことほど、Twitterで言ってしまうジレンマ
Twitterでは言わないほうがいいことほど、Twitterで言ってしまうジレンマ ▷たとえば、私はEvernoteとscrapboxとTwitterのアカウントを持っていて、頭に思いついたことは、そのどれに書き込んでもいいという選択肢を持っている。 そうすると、愚痴とか悲鳴とかシャウトとか、そういう感情でしかない文は、Twitterには上げないほうがいいよ? ってのが処世術じゃん? ▷でも、実際には、そういうものほどTwitterに書き込む、といううの力学が脳内で発生するんだよ。 それは、そんなものは暴論であり感情論でしかないことが自分でも分かってるから、scrapboxでわざわざ育てる意味がないからだよね。
▷しかしその一方で、ひっそりとEvernote日記に書くだけでは、どこかで気がすまない部分がそういう叫びにはやはりあって、それは、パフォーマンスになることを含めて、誰かの目には映る場所で昇華したいということなんだろうなと思う。 まあ、単に愚痴聞いて欲しいのかもしれませんが。
▷そういう意味で、(流しっぱなしではあるが)、あのフォロワーたちがいる、ということが案外アウトプットに重要だったりはするはずなんだよね。
▷まあ、炎上リスクはある。 その意味では、程度の差こそあれ、バカッター的な因子は私の行動の中にもある。
⇒さらに言うなら、ツイッターなら、「ツイートには、誰かに何かをさせようという意図がない発言の場合も多いし、しょーもないことが流れていることも多い」と思ってもらえそう、という文脈を期待している部分もある。
誰かが聞いてくれるのに、“特定の誰か”に向けてしゃべってない、というすごく特殊なジャンル。