Scrapboxははかどる
なんだかんだで、「誰かが見てくれるかもしれない」がないと、なかなか人は書けない(書かない)
書かないと(少なくとも真剣に書こうとしないと)、考えない
「違和感を感じて考えた」「悩むことがあってこんなことを考えた」「」みたいなことがあって、結論やアドバイスにつながらないまま終わっていい そういう意味で、読者の側からの「……、で?」という反応を気にしなくていい。
記事数が増えるだけでも、リンクを増やせるだけでも、書く楽しさはある。
少なくとも、それでペイする程度の労力で書ける
どうせ大して読まれてないし(ここは)
読んでる人は、この感覚を分かっている者同士
でも、ギリギリでまだ、お互いに読みに行き合いうると期待できる
『Twitter』並に今後ブレイクすると、どうなるんだろう? #問い やる気を他人の反応に求めると、浮き沈みの「沈み」になったときに、全く動けなくなるしね。
#のきばトーク 18 佐々木さんの「一部の要素が突出すると、全体としてはモチベーションを切り下げる方向にはたらく」というのに近いかもしれない。 一つの記事を書くことで、次の記事を呼ぶ(思い出したり、思いついたり)
そういう中で、日常生活の中に思考習慣を取り入れて(増やして)いく まあまあいいことや重いことにも手が付くという瞬間ができる
あまり読まれない(自分自身にも)・参照されない記事も、思考活動の全体としてはコク・隠し味になっている 豆論文を作成し→それをいくつかまとめることで論文とし→アウトプットする、のではなく
アウトプット枠・用途で→豆論文を作成する。→それにどう文字リンクをを貼ろうか考えることで頭が再探査される (→記事を溜め込む→ついでに育ち始める→うすく広い成長も蓄積される) もちろん、文字を打つのは、頭の中だけで一気に考えがまとまるときのスピードには敵わないけど トータルではより多くの思考とアウトプットにたどり着けるだろうね。