2024/4/16-2024/4/20
▷大魔王って2種類のイントネーションがあるかな。大麻王に近いひとつなぎのイントネーションと、だいを低く強く発音する型と。
RT▷俺が立憲と共産の違いだと信じてるのは、本当に国粋主義の政党ができて、勝ち目ある利益がもたらされる侵略戦争に国民がイケイケになって、戦争支持したほうが政権を握れるとなったとき、立憲は簡単に迎合して戦争を煽るけど、共産党は少数になっても戦争に反対する道を選ぶと思うのよ。
立憲に根っこからの筋のとおった平和主義なんてねぇよ。あいつらは「受けのいいその時の潮流にのるだけ」なんだよ。
RT▷自分がおっとりしていることを後ろめたく思っていない人を見ると育ちの良さを感じますね。
RT▷子供時代のおで「ドラえもんののび太、0.93秒で眠れるとかなんの役にも立たないじゃんwwww」
今のおで「チートスキルやん……」 pic.twitter.com/2bgGNf5jue
▷なんとなく、ツイッターって、自分と同世代以上の人しか使ってないような錯覚(「無意識の差別」と同じ構造?)につい陥るけど、普通に30歳前後の人も使っていて、
▷ただ、そういう人ですら、自分ら氷河期世代以上がするように、党派性の強い直情的なやりとりをしていたりすると、「あ、単純に、このツールの見え方や使え方の問題なんだな」という気にもなる。
▷ピンチになる→「このままじゃヤバい!」と危機感スイッチが入る→「今のままのあなたじゃダメ」という自己否定感にブーストがかかる→快楽に閉じこもる時間が必要になる
苦しい
▷不安からはタスクだけを抽出して、感情そのものはポジティブに戻すという、反復横跳びが必要になる。
▷@norixnori おおー、いいなあ。
(と同時に、あと10年早く……、いやいや5年でも早く、そういうポジションを取れたら、お互いにもっと生きやすかったでしょうに、とも思ってしまう😅)
▷@norixnori 「おもっているのだよ」もいいですね。
俯瞰しよう、みたいな動作が感じられて。
▷@norixnori ポジティブ!
まあ、大事なのは、未来であり今だものね!
RT▷2010年ごろまではそうだったのか。匿名ダイアリーだけどソースも呈示されてる。なぜ共同親権についての意見が反転したのでしょう?/そもそも自民党は共同親権反対、左派は賛成だった buff.ly/3W2P2xk
▷英字フォントを見ていると、横幅というか縦横比がかなり自由だよね。
日本語フォントも正方形にとらわれずにすむフォントってあるんだろうか?
横書きの横幅もだが、縦書き毛筆体なんかは、縦に長く延ばせると視覚的にまとめやすそうな気もする。
NOVAランゲージカンパニーが、同社に所属している外国人講師287名を対象に行った日本語に関するアンケート結果が公表されました。
同社に所属する外国人講師に、「日本語で最も好きなフレーズ」を尋ねています。
その結果、最も好きなフレーズは「仕方ない(しょうがない)」でした。
2番目に多かったのは、「お疲れ様でした」。
3番目は「大丈夫です」。
他に挙がっていたのは、「やばい」「面倒くさい」「頑張って」などという結果になっています。
「『頑張って』は、シンプルながら大きな気持ちが伝わる」とした意見があり、「気持ちを高めてくれる」と回答した人がいました。
僕の勝手な推測なんですけど、リアルな世界の中では、本音で死にたいということが言いやすい環境がなかった可能性があると思います。リアルな人間関係で死にたいなんて言うと、一般的な人間の反応は、動揺して頭ごなしにその気持ちを否定しちゃったり、安易な励ましをしてしまったりする。そんなウザい反応をされる現実世界よりも、SNSの方が本音が言いやすいのかもしれません。自分が「死にたい」と言うことで相手に気を使わせてしまうのが申し訳ない、と過剰に空気を読む傾向もあるでしよう。
集団自殺のきっかけになるということで社会的な批判を受けた時期がありました。しかし、若手心理学者の末木新君が大学院生時代に行った研究では、実は自殺系の掲示板で救われている人がけっこういたということが指摘されていました。一見、不思議な話ですが、「死にたい」っていう言葉に反応して「実は俺も」という人と出会う。つまり、「死にたい」という言葉を介して人と繋がり、孤独が少しだけ緩和され、なかには立ち直っていく人がいるのかもしれない。
「死にたい」で繋がって、始まる人生もあるかもしれないと。東大の小児科医でご自身も脳性麻の事者である熊谷晋一郎先生の言葉に「希望とは絶望を分かち合うことだ」というのがあって、
松本 だから人生において最悪なことは、ひどい目にあうことじゃなくて、ひとりで苦しむことなんじゃないかっていう気もするんですよ。
事件があると、どうしてもSNSの負の面やダークサイドが取り上げられ、悪用を防止し、再発を防ぐために規制を強化しようという声が高まりますね。
松本 少なくとも絶対やめてほしいのは、「死にたい」っていう言葉を書き込んだら即座に削除するということです。これは絶対にやめてほしい。誰かの心の叫びやSOSに蓋をし、「何もなかったことにしてしまう」のはいけない。
⇒ギャンブルしたいとか、「人を殺したい」みたいな願望も、「同じようにその衝動を抱えて生きる人がいる」という文脈の枝に、開示して発露できるようになっているべきかもしれない。
松本もしかすると、リアルな世界では優しく声をかけたり、話を聞いてくれたりする人が周囲にあまりいなかったのかもしれません。一番優しくて、自分の話を親身に聞いてくれたのが今回の容疑者だったということもありえます。
よく薬物依存症の方が言っているんです。自分が覚せい剤をどうしてもやめられなくて、周囲からも孤立して苦しくて淋しくて仕方がないときに、一番自分の話を聞いてくれたのはクスリの売人だったと......。そうすると売人との関係が切れないじゃないですか、淋しいのは嫌だから。
⇒難しいよね。差別しない、腫れ物に触るように接しない、というところまではお願いできるとしても、「依存症を治療しつつ共存しようと頑張っています」とか「罪を犯してしまって、それを償うべく頑張ってその後の人生を生きています」という人と、積極的につながる、あるいは面倒くさくてもつなながり続けることのメリットがないもんね。同じ時間量、気遣い量を投下するなら、健康で健全な人に投下したほうが、将来的に帰ってくるリターンを大きく見込めちゃうもん。それだと、人は去っていくよねぇ、そういう人達からは。
──高齢者を狙う詐欺集団も、おじいちゃんおばあちゃんの話を優しく聞いてあげるっていいますね。
松本 今回の容疑者のような人間は「死にたい」という弱った人の書き込みに対して、非常に素早く反応し、周囲から見えないようにダイレクトメッセージでやりとりしていると思うんです。そうするともうこちらは勝ち目がありません。
かといって、「死にたい」と言える場所を奪うことは決して解決にはならない。むしろ安心して「死にたい」と言える場所を作ってあげることが大切なんじゃないかと思うんです。「死にたい」と誰かがSNSで呟いたときに、「手伝ってやるよ」とか「どんどん死ね」というような心無い書き込みをする層は必ずいるでしょう。甘いと言われるかもしれないけれど、それに対して一言でも「そんなことを言うのはおかしい」「ダサいよ」と言ってくれる人がいたら、それで救われる命があるはずなんです。
「自殺予防教育」というと、命の大切さ、尊さを教えたり、「お父さん、お母さん、産ん
でくれてありがとう」と感謝の気持ちを持つことで「自分を大切にしましょう」と子どもたちに伝えようということがさかんに言われますね。
松本 自殺リスクの高い子たちは、養育者や友達からこれまでたくさん殴られていて、全然大切になんかされてこなかった子がすごく多いんです。養育者にも「あんたなんか産まなきゃよかった」って罵られて育ってきている。そんな子どもたちに、「死にたいなんて思うのは産んでくれたことに対する感謝の気持ちが足りないからだ」とか、「リストカットなんかするヤツは不道徳だ」なんて言っても意味がないどころか害悪です。
彼らは「人に助けを求めても無駄だ」と絶望している。そんな子どもたちに美辞麗句を並べ立てても、教える側の自己満足に過ぎません。
ますます自分のことを、恥ずかしい、異常なんだと思わせて追い詰めてしまうだけです。
彼らに必要なのは、道徳教育ではなくて健康教育です。それは1割の少数派の子どもたちに「辛い気持ちに襲われたときどうやって助けを求めたらいいか」を教え、9割の多数派の子どもたちに「友だちが悩んでいたら、どうやって信頼できる大人につなげたらいいか」「そもそも信頼できる大人はどこにいるのか」を教える
命の大切さを伝えるために、赤ちゃんを抱っこする実習があるでしょう。虐待を受けた子たちは、ギャンギャン泣いてる赤ちゃんを見ると、腹が立ってきて殺したくなってきちゃうんですよ。
-......。
松本だって自分が幼い頃は、こんなふうに泣けなかったんだという記憶があるから。
一切ないですね。
警察官が来て『人間やめますか、覚せい剤やめますか』とか言っていました」と。その子の父親は時、覚せい剤で刑務所に入っていた。
「親父は人間じゃないんだ。そんなヤツの息子なんだから俺も人間じゃねえよな」と自暴自棄になって自ら覚せい剤を使ったのだと彼は言っていました。
僕はその話を聞いてものすごくショックを受けたんです。僕の講演を聞いた子たちの9割は「薬物の怖さがよくわかりました」と言ってくれるけれど、その子たちの大半は僕の話を聞かなくても薬物なんか一生使わないでしょう。僕の講演は、残りの1割のリスクの高い子たちに対して、むしろ彼らを孤立させ、追い込むようなものではなかったかと......。自殺防止教育もそれと同じことだと思うんです。
最中にいるときは「これは事実である」という認識すらない。そんなことは議論の余地もないくらいに「当たり前」だと感じられる。そこにどれだけブレーキをかけられるか。感情的反応を抑制できるか。それが鍵である。
もっと言えば「他人」は、「社会」や「世界」に置き換えてもいい。
私たちは何も確認することなく、社会はこういうものであると、世界はこういうものであると認識する。たいていは感情の高ぶりがセットになっている。
その高揚感を主張することを当然の権利だと思うのを差し控えて、少しだけ窓を開けてみる。そういう習慣を会得したいものである。
あくまで弊社製品が強調しているのはウエストなのですが、悲しいことにバストが大きな女性は身体的特徴からウエストではなく「胸を強調している」とみなされ肩身の狭い思いをすることが多くあります。
日本の女性は生々しさや性を感じる装いを非常に嫌います。同じ女性からもなかなかご理解がいただけないことが多々あるのが実情です。
バストの大きな女性は、女性の中でもまだマイノリティとも言えます。
そんな女性達のお悩みを解決しようとしたことが弊社アパレルの歴史にあることをどうかご理解頂ければ嬉しいです。
予測より実報酬が少なければ、ドーパミン神経の活動は止まる。これが繰り返されると「飽きる」。
テレビにそって説明すれば、あおった番組がつまらなければ(実報酬が予測を下回れば)、番組中でも視聴率は落ちるし、次回への報酬予測が小さくなり次回の視聴率は落ちる。
一発芸人さんは受けた当初はでてくるだけでおもしろいが(報酬予測が大きくなっている)、それを上回る快の提供が出来なければ、報酬予測誤差は0になり、早晩、飽きられる。
だから生活上の障害や苦痛が起きるほどの「障害」とか「症」といえる行動反復の問題点は、この報酬予測誤差のメカニズムの破綻。その破綻を後押ししているだろう、不安や高い衝動性、発達問題などの併存障害。ギャンブリングの場合行動遺伝学の研究から、いわゆるギャンブル依存のリスクの50%程度は遺伝要因で説明できるし、候補遺伝子もまあまあ同定されている。快感を繰り返すと快感にハマるとかアホっぽい解説をしてはいけない。
だいたいドーパミン神経をサクッと快感というのもおかしい。痛みなど様々なトリガーでも反応する。だから、ドーパミン怖い、みたいな説明はちゃんちゃらおかしい。
TLで流れてきた「インプレゾンビを一発で消す方法」、効果てきめん、これはすごい。
個人的に沖縄県を入れたいのでちょっと工夫した。
方法:「langja near:小笠原諸島
within:1900km」をつけて検索
赤い枠の範囲で検索できる
稚内まで入れるには 2100kmにすれば黄色い枠の範囲になる
インプレゾンビを一発で消す魔法[改良版]
「near:東京 within:950km」の改良版でました。
緯度経度から日本全国のジオタグ投稿+プロフの位置データから、より高い精度で検索可能。沖縄、生きる。
-使い方-
lang:ja
geocode:32.181770,140.531650, 1050km
↑これつけて検索。
年金の少ない親に仕送りするくらいなら、親の実家を買い取って賃貸に出し、その賃貸に親にそのまま住んでもらい生活保護を取ってもらう。そうすると仕送りの必要もないし、家賃入ってくるし、親も税金で暮らせるしWinWinではないでしょうか
空想科学読本、リアタイ時には腹がよじれるくらい笑いまくったこともあって、悪い印象がないんだよなあ。大学時代にえらく毛嫌いしてる人がいて驚いたくらい。
本と自分で完結してて、それを棒にするなんて想は1ミリもなかった。想は1ミリもなかった。
山本弘先生の批判本で毛嫌いされてる理由がわかったくらい
空想科学読本が炎上してるみたい(何度目だろう)ザマスが、アテクシは当時シリーズ1冊目の初版を買って、衝撃波でウルトラマンの首が飛んだりマジンガーZが走るとこうじくんが同んだりゼットンが火球を吐くと太陽系が滅亡したりするくだりを読んで、ゲラゲラばかうけしていた記憶があるザマス
「オフチョベット」が定着したことで「エルマ族のケムチャ」と「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」コピペが完全に廃れたの、同じ生存戦略の動物が共存できない現象みたいで面白い
TV版機動戦士ガンダムで、リュウの戦死後にブライトが過労で倒れ、誰も指揮を取れずミライが代行したところ「何も決断できない」「決断が遅れて被害が出る」という苦境に陥ったのはリアルだったな.......
こういうのって「イチイチ上のもん全部片す」のハードルが越えられずに活用できないんだよな
2002年の初渡米時に1人で銀行口座を開設しようとしたら3日以上もたらい回しにされた。勤務先の経理の人に「銀行口座まだないから次の給料も小切手で6。
」と半泣きで伝えたら颯爽と笑い転げながら現れた人事の人が助けてくれた。量で銀行口座を1人で開設できなかった大谷選手を責める権利は私にはない。
銀行口座を開きたい!
ソーシャルセキュリティーナンバー
取って出直してこい!
ソーシャルセキュリティーナンバーが欲しい!
郵送でしか受け取れないから先にアパート借りてこい!
アパートを借りたい!
銀行口座もねぇ奴には貸さねぇぞ!
(アメリカの場合)アパートを借りるのはさすがにハードル高すぎるだろうけど、携帯電話はちゃんとしたのを契約するまではいわゆるプリペイド携帯電話で済ませれたし、銀行口座はChase Bankに入ったらめっちゃ丁寧に迎えられて30分くらいで口座作れたぞ
SSNは無理だけど、ITINで口座開設できるよ米大使館かRONで公証手続きして、申請書をIRS提出して承認されたらITINゲット
今ならWiseを使ってUSの口座自体はすぐ作れる。
SSN取りに行った時に口座ある?って聞かれて「あるよ」って答えたら「なんで?」ってすごい突っ込まれたwなお結局赴任しなかったので、その口座は使ってない!
割と「用のある状態」は「他組織の信用を相互参照」してる物が多いので、ゼロから構築するのってかなり骨だよね。正規入国でも(後ろ盾になる雇用主が出てくるまで)この調子なのは、非正規の入国手段を取ってる人々に困ってるからでもあるんだろうが....。
この画像何回もみたけど、アパートを借りるために大家に現ナマで家賃先払いする、しか解決策思いつかない
ソーシャルナンバーとやらが郵送のみじゃなくなればいい(その場でパスポート見せて作る方が確実やろ)と思うんだけどね、役所仕事を変えるのはほぼ不可能だから...
これあるある話ではあるけど、就労ビザと勤務先の後ろ盾が如何に重要かという話でもあるよね。
言い換えればそれを前提として「しか」仕組みが出来てない。行政のイメージは何処の国も大体これ。
入国後国外運転免許証でレンタカーを借りて、プリペイド携帯を買いにいく。1週間ホテルを拠点にして、銀行口座を開設、アパートを契約という方法でなんとかなった経験(アメリカ)があります
銀行口座→Union Bankが日本から受付可能(再開した)
携帯電話→Pixelユーザなら日本からGoogleFi契約可能
アパート→あとはなんとかなる
というわけで、この関門ももはやアメリカにはなくなりました。
ちなみにアメリカでこのループから脱したい場合、
会社の住所をまず家の住所として指定
↓
作成
↓
口座作成
↓
住居確保
Google Fi等実際の住居を必要としない携帯番号を
という流れとなっております。住居は最近はクレカ支払いも可能な所も増えているので、口座なしでも行ける所はある
日本の政治状況について思うのは、右派左派がウキウキしてるなか大衆は政党政治に関心を失ない、にも関わらず、無関心を貫けもせず、どっかで維新党に一定数流れ込むんじゃないか。これこそファシズムの図柄。ええと、維新党がファシズム政党だということではありません。右派左派がウキウキしてんな。
大衆が党派性を超えた公の正義の幻想を持つようになったら、ファシズムまであと一歩。
「問題だ問題だ」と馬鹿騒ぎして、しれっと関心を移していく世間というものが、なんか、べとっとしたぬめぬめしたカオナシみたいで、怖い。
我ながら、自分の感覚は通じない、自分の言葉は通じない、という異郷のような世界でよく生き延びてきたなあ。まあ、そう思うと不思議でもある。幸いにして凡庸でもあったな。
『弱キャラ友崎くん』はこのあたり少し触れてる感はある。別の意味で、三島由紀夫はこれの凝縮。
高度成長期以前の農村部って現代よりも江戸時代の方に近いから。都市部と農村部の格差というのは今の比ではない。農地以前は田んぼも鎌倉時代開田のままだったりする。さてその封建性は克服されたかと思ってましたが、昨今の先祖返りを見ると怪しいものが
老いてくると、若い人は知能の劣化と思うかもしれないし、それもあるだろうが、そうでなく、各種の学習スキームを使いこなせるようになる。メタ認識に近いかもしれない。
老人の知恵や判断は応介なことに、生存効率というか利得性が高い。
嘘?と思う若い人が多いだろうが、老人の知恵は世の中に損しないように統制されている。
まあ、嘘と思う人が多いだろうが、つまり、この利得性が失敗して老人は大損しやす。
歳とって勉強というとき、30代、40代、50代、 60代と微妙に違う気がする。というか、自分の例でいうと60代前半までは若い学習モデルでもなんとかなる。その先は、何というか、無意識に任せる感じ。変な言い方だが、覚えようとしない、できなくてもめげない、休み休みするけど休まないみたいな。
ものを覚えようとすると、学習スキームが作動する。つまり、覚えよう学習しようとして、過去の成功した学習スキームが作動してしまう。
これは、老いの学びでは、違うかなと思う。
小田原城を包囲した武田信玄が甲斐に撤退する際に北条氏が追撃をかけ、双方損害を出したのが三増峠の戦いですが、司馬懿が孔明が死んで撤退する蜀軍を追撃して「死せる孔明生ける仲達を走らす」となった逸話とちょっとだけ似ていますね(地形はむろん異なりますが)
そして別のレスでも書きましたが、桟道の出口に陳倉城があり、孔明が昭の頑強な籠城を破れずに撤退したのですが、山道の出口に平野で出るのを防ぐための城、という役割は北条氏照が守った八王子城(いまの高尾山あたり)と似ていますね。
秀吉の北条攻めの際には圧倒的大軍に落とされてしまいますが。
姜維は埼玉出身(山奥に比べりゃ、そこそこ都会)で、成都の人々にとっては漢中が敵の手中にあるのは大問題と。逆に、魏の連中には漢中は押さえておきたいけど、本気で成都攻略を考えていなければ「鶏肋」って感じですかね
剣閣は笹子ですね。鄧は奥多摩から柳沢峠か大菩薩峠を通って突如、塩山に出現したと。山梨県民からすると胸熱です。なるほどー。
丹沢の山に陣取る馬謖!
武田信玄も諸葛孔明も悲願が叶わなかったところが似ていますね。あと勝頼公は姜維っぽいですね。甲斐生まれでない勝頼公と益州出身でも荊州出身でもない姜維。二人とも戦上手だがどこか悲運が付きまとう「よそ者」です。
僕が言い始めたことなんですけど、山梨県を
90度回転させるとになるんです。中央道や道志みちはの桟道なのです
逆にアニメ漫画大歓迎!なパソコン(ゲーム) 雑誌が『テクノポリス』や『コンプティーク』だった。
『1/O』も比較的アニメや漫画と親和性高かった感
オタクサブカルからの連想ゲームなんだけど、80年代のマイコン文化の牙城であるASCIIって、アニメや漫画は低く見ていた感じはあるんだよなー。少女漫画だけ特権枠で許されていた。これも「あいつらとは一緒に見られたくない」みたいなのを感じた
履歴・ログの方が大事だと感じるの、コンテンツにアクセスしやすくなったせいですかね。
昔はそれにメチャクチャ苦労してたから、所有が大事だったのか
最近『所有』には全然拘らなくなってきて、むしろ「いまこれがみたい!」が欲求の大半なのでレンタルで充分で。
ただ、「あのときのアレがまた読みたい!」とか「前見たのいつだっけ?」みたいな『履歴』の方が圧倒的に重要度が上がった気がするのですよ。
systemic であることは、潜在的なcatastrophe triggerを持つという感覚がある。
これって、「されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。」という、特定宗教の価値観の押しつけなんだよね。
表現の自由や思想信条の自由だけでなく、信教の自由まで踏み込んできてるんだよ。公論のフリをした、全体主義。
7ヶ月ってのがミソ。
解りやすいバラマキやったけど、当てにしてた埋蔵金はなく、パフォーマンスの事業仕分けで必要な支出を削り混乱を招き、けっきょくは財務省の言いなりになり、消費税アップへ。
2009年9月~2012年12月まで3年数ヶ月の政権の、前半6分の1弱だけを切り取るのには、理由がある。
水原さんの手口が明らかになったことで、報道が一斉に人格否定になってきた感がある。
そうじゃないんだって。
ギャンブル依存症の人は、病気が進行すると、ああなるんですよ。
わかってない弁護士やタレントにコメントさせるのやめて。
めちゃくちゃ良い話だった。「こいつマジでありえねえな」と思ってる相手も、実は同じように自分の粗についてそう思ってると。それを乗り越えていくことが『結婚』である、という作者の思想を感じる。
津波の教訓映像として永久保存版だわこれ
・足元に水が到達したら30秒も経たずに死ぬ
・速すぎて高いところに登る以外で逃げ切るのは不可能
・人はそんな状況でもなんかウロウロして巻き込まれる
・腰ほどの高さですでに車を押し流す強さ
・津波はあらゆる瓦礫をぐちゃ混ぜにして潰す
オーストリアを中心に存続したハプスブルクなる連中、存在感はある癖に定期的にヤバい失敗をしたり、勝ったかと思えば攻め切れないみたいなことを繰り返しており、何故こんな適当な連中が長期間王朝を維持できたのか...と思っていたのだが、普通に地形がええんやなこのへん
ハンチョウ、最初は飯テロ路線で行こうとしてたけど、普通にハンチョウ達おっさんの日常を淡々と書きつつ、合間合間に妙に納得のいくあるあるネタと狂気回を織り交ぜるだけで面白くなるということを作者が気が付いた結果、トネガワ以上の長寿漫画になったのホンマに面白すぎる
結婚した友達が『男の人の本気ってあんなわかりやすいんだね。視線がほわほわ暖かいし、ご飯食べてる私みてニコニコしてるし、あと言葉と行動の不一致がない。何度考えてみても"私のこと好きだね"としか思えなかった。ってか、今までの彼氏、全員本気じゃなかった説』とか言ってたけど、わかりすぎ
る↓
もう何十回書いたか分からないが、本邦では(本邦に限らなそうだが)「早熟な天才」感を醸し出して世間からの支持を得て、内実の有無とは無関係にその名声をタテにキャリアの先行逃げ切りを図る「梅檀は双葉より芳し」装戦略があまりにも有効過ぎるとつくづく思う。おかげさまで偽栴が増えるばかり
耳目を集める犯罪者が出た時、人々の中には「自分はあの人とは違う」と納得するために、犯人に何らかの属性を貼り付けようとしてしまうのだよな。それが精神疾患であったり、依存症であったり、或いはオタクであったり、ルーツであったりする。多くの場合、犯人は普通の人と変わらないのにね。
⇒こういうときの、「違いを見つけて安心しようと」という説明がわかりにくくて、
・自分にも似た動機をうすうす感じて不安だからこそ、逃れる言い訳がほしい、のか
・自分とははっきり違う人間だと認識してして、「その“悪人”を叩きたい」からなのか、
・自分にない動機だからこそ、メカニズムを知るまで安心できないのか
階段のつなぎ方がよくわからなくてあれこれ試行錯誤した思い出
そしてとりあえず作られるオープニングイベントとラスダン
まんなかが何も無いので雰囲気でパラメータ調整されるラスボス
なにもかも懐かしい。
(RPGツクール)
それにしてもマリーのデザインは今でも目を引きますね。デザインを担当された桜瀬琥姫さんの消息が途絶えてるのがたいへん残念です。
時のオタクくんたちには、元気ギャルのマリーより、おっとりしたエリーのほうが人気があったのは、必ずしも『露出度の高さ=男性向け』ではないことの査証なのではないでしょうか
マリーの構成要素って、金髪、ヘソ出し、ルーズソックス、派手なアクセサリー、力強い目...これは当時のギャルなんです。設定自体も落第生でしたし
君の前では全部戯言
マスター! ミク、この絵、好きです!
生きて虜囚の辱めを受けず、というのはクソな訓戒だよなぁ...とずっと思っていたのだけれど、日清戦争について調べているとほとんどの捕虜が私的に凌遅刑(身体を生きたままバラバラに分解していく死刑方法)を受けてぐっちゃぐちゃに殺されているので、あぁ...これが原因か...と思いました...
Q. なんでまた円安なんですか?
A.米国物価指数が思ったより高く、「借金してでも生活レベル維持」を選ぶ人が多い米国ではあんまり気軽に借金できないように金利を高く維持する公算が上がり、借金嫌いで利子の稼げない日本よりアメリカ人に金を貸して高金利を取る金融機関が多いため
Xでは定期的に「読解力の無さ」や「行間が読めない」みたいな事が話題になるけど、個人的には「人が言っている事を好意的に受け止める姿勢の無さ」や「思いやりの欠如」の問題であることの方がほとんどだと思う。そしてむしろその方が救いようがない。 高島屋の純金茶碗窃盗事件。容疑者いわく「ケースに鍵がかかっておらず、とれそうだからとった」と。典型的な抑止の失敗事例。領土だってそう。
「とれそうだ」と思われたらダメ。そう思わせないのが抑止。(教科書に載せたいぐらいの発言。)
ごく一般的に考えて、わざわざ球場に行ってまで気にいらんものに文句をブー垂れて、思い通りにならんもんにガミガミ怒り散らす姿は彩りもないし、生活も豊かになってないじゃん
それなら、優しい、甘ったるいファンのほうがよほどいい
負けてても文句を言わず、いいところを見つけるほうが好ましいよ
新庄剛志さんがその昔に「プロ野球の存在意義は、その街の人々の暮らしが少し彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない」って言ってるけど
裏返して考えると応援してて暮らしの彩りにならない、生活も豊かになれない人はファンとしてのあり方を少し考え直したほうがいい
モブ同級生いいよね...
黒目子
糸目子
薄目子
目隠子
私にとって「ツイッター」に対する「X」は、ちょうどNHKの「朝ドラ」に対する「連続テレビ小説」(正式名称)のような語感があります。「X」は正式名称とされてずいぶんたちますが、どうも普段の会話では使いにくい、気恥ずかしいんですね。
両者には新旧の違いだけでなく、一種の文体差があります。
狂人とは理性がなくなった人ではなく、「理性しかなくなった人」のこと、って聞いて腑に落ちたもの
女性は自分で自立して生計を立てることが一人前で強い人間だと思ってる。一方で多くの男性にとって一人前と認められるのは自立したときではなく他者を包摂できたときなので、自立した女性は男性視点ではまだ半人前に映る。この認識のギャップが話が噛み合わない原因です。
'ベッドの上で1日中スマホをいじりながらダラダラと過ごすこど”
私自身これが最も贅沢で至福な時間です。
これができたとき、「今日も一日充実して過ごせた」と思っています。
ここで「何もできなかった」と自分を責めるからおかしくなる。
どうせいつか死ぬのに何をそんなに頑張る必要があるのか。
「脳が人工知能よりも優れている点は何ですか?」とよく質問されるが、個人的な最近の結論は、
「脳が生身の身体と接続されている」こと。
脳は生身の身体と接続されているが故に、「身体に紐づいた感覚や感情」が生まれる。
今後の人類には、これを大事にすることが求められると考えている。
時間で作った作品が1秒で消費される理論、3600人が見るだけで元取れるから全然気にしてない
シンカリオンで同じ感じになりましたー
聞き取りが出来るくらいの年齢になって理由を聞いてみたら、変形や合体でAからBへと姿が変わる事が理解できなくて、お話が繋がらなくなるらしいです(^^;;
シネコンで中学生のグループが「何見る?アベンジャーズ?」って言ってて、普通の人は『友達と映画を見に行く』事が重要であって『何を見るか』はあんま関係ないんだな、と改めて思い知らされた。
日本人でもデンマーク人でもアンダマン人でもアフリカ外のホモ・サピエンスならどれだけ見た目が違ったところで遺伝的には全て下の画像の茶色の系統に収まってしまう程度にしか違いがなく、アフリカ
内の遺伝的多様性にボロ負けしてる
⇒サピエンスの中にも、アフリカ出なかった多様性が結構あったということか?
初代→苦労人
二代→地味だが無能ではない
三代→支配の土台を確立
八代→何らかの大きな転換点
十五代→滅亡
↑
これどの幕府も共通してるなって思ったの、ワイだけやないやろ(鎌倉のみ執権。時行を十五代目とした場合)
一〜三の流れはまぁわかるけど八で確実にデカい転換点きて十五代でしっかり滅んでるのおもろい
北条時宗→元寇
足利義政→応仁の乱
徳川吉宗→本家断絶、御三卿設置。
中学校で習う将軍は、室町幕府、江戸幕府ともに
1,3,8,15代目
ギリシャ神話の場合も、
初代→ヘラクレスの苦行
2~3代→ヘラクレダイ=ヘラクレスの子孫が協力してギリシャを制定
約20代(諸説あり)→アレキサンドロス3世
その後滅亡です。
9~14はどこも割と空気なのも共通
徳川家は大奥で11代家斉・篤姫で13代家定が注目されたけど
初代→苦労人
二代→ネタにされがちだけどガチ有能
三代→以降の里の方針を確立
八代→記憶改変と十尾襲来
NARUTO世界にも同じこと言えそう
十五代で木ノ葉滅亡するのか...
一部除き、九〜十四くらいが影薄い
鎌倉執権
9貞時←霜月騒動と徳政令
10師時
11宗宣
12煕時
13基時
14高時く実質最後の当主
室町将軍
9義尚←六角氏と激闘
10義稙
11義澄
12義晴
13義輝←剣豪将軍
14義栄
江戸将軍
9家重
10家治
11家斉←子沢山
12家慶
13家定←篤姫の旦那
14家茂←公武合体
徳川も足利も15代で終わったから自民党15代総裁宮澤で終わりだって言って、細川連立内閣出来た話好き
メンタルクリニックで聞いて腹落ちしたのが、人がメンタル崩す理由で大きいのは「仕事が進まないこと」らしい。人間関係やパワハラが直接的な原因ではなく、それが原因で仕事が進まなくなることが要肉とのこと。振り返ってみると、辛かった時の大半が「仕事が進まない時」だった。
並べた話、ここから始まるツリーとここの引用元にしてるツイートに備忘録を作っています。ステとカルミネとか、あとくまモンの話とかくま川鉄道の件とかは抜けてる。
早慶付属校出身者は大学を出てからもイキイキしていてバリバリ活躍する人が多いと聞く。とりわけ早稲田だと早大学院、慶應だと慶女の卒業生イキイキ度が高いらしい。こういう話を耳にすると、大学受験が高校生からどれほど生命力を奪っているかがわかる。大学に入った時点ですでに燃えカスの人が多い。
歳のせいかアニメも映画も露悪もの・偽悪ものが観るのしんどくなってしまった。自分の中の厨二病的な恨みつらみの原料が底をついたというか。
今抱えている恨みつらみはもう「どうだ!この厳しさが現実だ!」とか「人間の性、悪なり!!」みたいなスタイルの作品には共鳴しなくなっちゃったというか
人を小馬鹿にすることで笑いを取るクセのある人は、
逆に自分が小馬鹿にされることも笑いとして理解するのかと思いきや、
むしろ意外にも、人並みより繊細に傷つき、すぐに怒る。
というケースを、人生を通じてたくさん目撃してきました。ここに難しさがあります。
「私は正直に思ったことを(ズケズケ)というタイプなんだよ」
という人は、必ずしも「お互い正直にズケズケしよう」という世界観なのではなく、自分が他の人から正直にズケズケ言われることには耐えられないことも多いようです。
「彼女たちが将来の夢を語る時、まるで判で押したように「店をやりたい」と言っている。それはお好み焼き屋だったり、串カツ屋だったり、カウンターだけの小料理屋だったり、人によりさまざまだけれども、しかしそのような「商売」を自分の手でやれるようになることが何より一番確かな暮らしの基盤になり得る、という信心がある。そして、それは誰に教えられたものでもない、彼女たちがこれまでの生の中で自然と身につけてきた“確かさ”についての感覚なのだと思う。」
「自分と社会の関係についての想像力がそのような「商売」の範囲から先には絶対に行かない。行きようがない。もちろん、それは何かのはずみで妙な宗教にハマったり、あやしい商売に横滑りしたり、妄想に等しい思い込みや勘違いに失速したりすることも含めてなのだが、にしても、この国のこの時代に生まれ落ち、いずれ身ひとつで世渡りしてゆかなければならなくなった女の子たちが持たざるを得なかった世界観として必然である。そして、その必然とは「世の中、昔からずっとこんなもん」というあたりのとほうもない“リアル”にがっちりバインドされている。」
どんな仕事でも職人を目指すのが日本人だから、与えられた仕事は丁寧に一生懸命にやる。だからこそ、どんな職業の人も尊敬されてしかるべきなのに『底辺の仕事」などふざけた言葉が生まれ、どうせこのくらいしかもらえないなら、適にやればいいやという人が増え、それがとてもアメリカっぽくて嫌だ。
大友克洋の絵がマンガに起こした革命、「インクつけペンの少ない線で3次元の立体が描けるようになる」という画法は、日本マンガの絵の歴史的変化も含めて中学校の美術の時間に教えたら多くの生徒が興味持つことだと思うんですよね。教える前と後で自分の描く絵が変わる衝撃に勝る美術教育はない
でもたぶん、大友克洋の画法に影響受けた鳥山明や士郎政宗、あるいはその後の世代の絵で育ってきたら「なんで目をもっと大きく描かないんだろう、他は上手いのに可愛い顔を描くのが苦手なのかな」って思っちゃう構造はわかる気がする
これは弱者男性論というか男性論でもあるんですが、「歯車」であることを求められる道具的存在としての男性という理解がないと、男性論を語るのは難しいんですよね。たぬかなとかトイアンナとかの女性論者はそこを致命的にしてない。
確かに、現代日本女性って「個人の選択はいついかなる時も最上位概念として保護される」みたいなナイーブな虚構を疑いもせず当然視しているきらいがある。
逆に、なんで金太郎は、あんだけ分かりにくい要素で構成されてるのに(金太郎の昔話を正確に語れる人、ほとんどいないのでは)、国民的な昔話のひとつになったんだろ?
男性って大好きな人に出会ったら最初はオスみ強いけど付き合ったらバブみ強くなるよね。
日本の司法は国際的に見ても評判悪くて堂々と「中世レベルです」とディスられるレベルなんだけど、その中でも地裁は本当に酷い
キッザニアレベルの判決を平気でブチかます地獄です
⇒地方裁判所は反権力?
息子の新担任の先生の字体が好みすぎてお便りの内容が頭に入らない件。
こういう現代女性っぽい美文字って皆さんどうやってマスターするの?って20年くらい考えてる。
幼少期に習字ガチ勢だったせいか逆に書けないのよ、平成中期以降の美文字...。
これ納得感あった。「エラー==叱り」と思う人はコンピュータを自分より上位の存在として認識してるのだな
エラー==叱りだと思うから辛いのです。エラーはシステムが「助けて!」って言っているのです。お腹空かせてこっちをみている子犬の眼差しだと思うのです。
⇒なんでイコールが2つ?
⇒んー、「おら、お前が正しい司令書よこさんから、動けないじゃないか」と言われてるようには感じるな。無理やり人格を読み取ると。
どっちの性癖でショー!
厨二心をくすぐる逆転劇
貴方なら御注文はDOTCH!?
ライトノベル前史、漸進的に変化してきたのだから、「マイルストーンの起点はどこか」ではなく「いちばん大きくて目立つマイルストーンはどれか」を考えるしかないのだろうな、という理解をしている。
⇒だから、「鳥山明以前の漫画は、(すべて)泥くさく汗くさかった」という語りはある程度仕方がないよな。大友克洋とか鴨川つばめとか言われますけども。
キャンセルカルチャー(社会的制裁)への対応策として、名誉毀損裁判のハードルを下げ、賠償額を高額化するという方向は確かにあり得るところ、今回の判決ももしかしたらそうした潮流に棹さすものになるかもしれないなということですね。訴訟事者間の布置のせいで一見そうは見えないのですが。
今までの相場はともかく、名誉毀損の賠償額、全体として高額化の方向に向かってるのかもしれませんね。社会的制裁の横行がかえって名誉毀損の保護法
益を重く見る方に作用するかもという先日の有斐閣の座談会の話もあわせて興味深いところです。
判例自体は当事者を越えて特にどちらに肩入れするということにもならないでしょうし、たとえ高額化しても確信犯的行為者を止める力は無いでしようが、どちらかというと、どちらの側にもおられる迂闊に人の実名をあげて適当なことを吹かしている人々に対しては抑止力として機能してほしいところです。
「多様性の時代」なんて言われている価値観乱立の現代において、甘かろうが辛かろうが、主語をでかくして言ってしまったら「それってあなたの感想ですよね?」で終わりだからね...
辛口批評系の人が「昔より批評家が尊敬されなくなった。オタクの批評耐性が無くなったせいだ」みたいに言ってるのを見かけた事があるけど、今はボカロ、なろう、ゲームエンジンの台頭などで作れる側の市井の人がぼこぼこ発掘されてる時代なんで、「偉そうに言ってるあなたis何物」ってなりがちよね
舟津昌平『Z世代化する社会』。(実生活で自分を批判をしてくれる存在は裸の王様の例を出すまでもなく貴重なはずだが)YouTuberの倫理観を受け継ぐ若者世代が「世の中で自分を傷つける人はぜんぶアンチ」というネット的反応を自身の世界観として持ってるという話、しかもそれが推しとアンチを分断するセグメンテーションのマーケティングにもつながるという話、非常に示唆的。
ずっと言ってるけど、誹謗中傷をSNSやYouTubeで収益化して、名誉毀損で訴えられるとカンパを募ってさらに裁判自体を収益化する「ビジネスモデル」は新しい形の反社のシノギなんですよ。司法はこれを止める有効な手立てを確立しなければならない。
思考に気をつけなさい。それはいつかブレインーマシン・インターフェースを介して行動になるから
⇒いやほんと、ドラえもん「テレパしい」でも恐ろしいのに、念じるだけで機械が動かせると、他ごとが思い浮かんじゃったときすごく困るよな。
この資本主義社会が人間に「全身」労働を求めているからであり、全力フルコミットの労働はノイズとしての読書を奪ってしまうし、その人をバーンアウトさせてしまう、としている。その通りだ。だからこそ「半身」であることや、休むことが大事だとしている。その言葉は読者を凪いでくれる。
僕は読書を必ずしもノイズを楽しむものだとは思わない。しかし、急かされた読者にとっては実用的でない文言を含む書物はだいぶノイズ含みに思えるだろう。そして、ただ読む読書においては、その観点でノイズに見えるものも別にノイズではないのではないか。それは本自体の問題ではない。
本書のいいところの一つに「ファスト教養」に新たな示唆を与えているところがある。たとえば年齢が離れた人と話すときのためという「実用性」のために古い知識を仕入れておくこと、しかしそれはまさに「教養」そのものなのではないか。その通りだと思う。
そして一見ノイズに思えるものが受け入れられないと感じたときは疲れているときであり、そのときは「休もう」と呼びかけている。とても優しい本だ。強いられて読書をする必要なんてない。そして「半身」で読んだっていいと言う。正直僕も本書を半身で読んだ。それでもこれだけのことを得られた。
文章を書く際、結局は参照も引用もせず、内容とも直接関係はないのだけど、その期間に読んでいた本や文章が必ずたくさんあって、「スペシャルサンクス文献」として表記したいと思うことがある。
理系女子進学支援に限らず一般論として、第一線で活躍する人を見せて鼓舞させる勧誘もあれば、迷える子羊に選択の例を示す敷居の低い勧誘もあるのに、なぜか(特に理系研究者は)前者ばかり企画する傾向がある気がする。もっと平均的な人目線での勧誘を増やせばいいのにと思う。
理系に行きたくて行った女性研究者が熱弁しても、文系になんとなく行くつもりの女子には響かないとうちの娘も言っていた...
sshで女性研究者の講演を聞いた娘いわく「そこまでして勉強したくない」
ミソジニー馬鹿野郎を「モテないやつ」として嘲笑すんのやめようよ。
それじゃミソジニー馬鹿野郎をミソジニー馬鹿野郎たらしめた構造を強化しているだけだ。
ミソジニー馬鹿野郎はミソジニー馬鹿野郎なところがダメなんであって、そこに「モテない」とか「男らしくない」とか持ち込まなくていいよ。
三菱エレベーターの四字熟語クイズの伝説の問題、正直1つしか思いつかない件
「○起不○」
括弧でくくっていくと結果的に意図した結果をもたらす単語の並び方になっている模様
括弧の有無自体はあまり影響を与えないっぽくて、単語と単語の並び方の影響が強そう
どんな並び方にしたら良いのか分からないけれど、どうも括弧でくくっていくと、いい感じの並び方に勝手になってるっぽい
いいな、このプロンプトの書き方
GPT-4でも使えた
You
(((投げ方(ボール 野球))練習)方法)
ChatGPT
野球でボールの投げ方を練習する方法にはいくつかの重要なポイントがあります。
あと、もうちょっと細かくだと誰がどの程度悪い奴でその人にどこまでの社会的制裁を望むか、みたいな議論は絶対に拗れるんだろうなと思った。
丁寧でフェアに議論されて欲しいけど、ネット言論空間の海においては色々困難が生じそうだ。
でもたぶん、丁寧でフェアに議論しようと思う人ほど「どちらかの陣営」から発言切り取られて妙なレッテル貼られるんだろうな。
なかなか面倒くさい。
今の若い世代の子達はアニメ、ゲーム、映画どれをとっても旧作のライブラリーが膨大過ぎる上、それらにアクセスするコストも滅茶苦茶安くなってるから結局話題性と順応性で最新のものしか接しようとしないというのは致し方無いなとも思う。
朝ドラについて「いい男が出てこない」と発言した芸人キャスターが話題だが、まあnot for meの婉曲な言い方であろうなあと。「マイノリティ」をエンパワメントするフィクションについて「マジョリティ」側がnot for meと言ってはいかんのかというのはなかなか難しい問題だろうな。
寅子に味方する書生さんや、お父さん、穂高教授は、大吉からすれば【いい男】ではないのだろうな。【女に従う情けない男】に映っているんだろう。
え、ヤジ学生以外、みんないい男じゃないかな?
手を出されたら、それは結局男の力で手に入れた物になっちゃうからね。
意見に賛同して、見守るって育児でも大切だけど、
1番難しいところでもある。
確かに酷い男性がたくさん出てくるけど、視聴者の男性にお願いしたいのは、「男を悪く描きやがって!だいたい女だって一」とか憤って男女の対立構造に陥るんじゃなくて
「あの時代の男達の態度、マジ無いわー」と一緒にドン引きして反面教師にしてほしい
あっち側に共感しちゃうと、令和ではモテません
カフェのマスターも
時代だったと割り切らず自分と照らし合わせてると思うので責められてるような気になる方は気持ちのお優しい方なんですよきっと。
外からお邪魔しました一
⇒視界に不幸が存在すると、怒られてる感じがしてつらい、というのは男にかけられたヒーローの呪いなんよ。
⇒ただ、それはそれとして、「傍観者しかいない」「添え物の役しかない」というのは、実は綺麗に裏返って、少年向けヒーロー番組のヒロインの描かれ方なのかもしれない。
⇒まあ、去年までのプリキュア みたいに、男性が出られないよりはいいんではないかね。
あんだけ好調だった株価が、ちょっと下落気味になっただけで「オルカン・S&P500を売却しました」的なツイートがちょこちょこ流れてくるから、長期投資するのって案外難しいんだなとしみじみ思う。株価に左右されずに、マジで長期的に運用できる人なんて10人に1人くらいじゃね?
なるほどね。「投資は利確と損切りが大切」っていう薄い一般論?をインデックス投資にもてはめてる人もいるかも。
長期投資自体は別に何も難しくなくてただ買うだけのこと。そもそもインデックス投を一定額買うだけしかやってないのに本人が投資家気取りだから株のように利確や損切りしないといけないと思って売却しちゃうんじゃないかなあ。理解度の問題かと
「悪い奴がどうなろうが知ったことではない」という内心にブレーキが効かず「悪い奴には何をしてもいい」までフルアクセルの人多い。理性であらがわねばならぬ。
ときどき「お前たちは肉屋を支持する豚だ」というのがいるけど、「肉屋はまだいい。豚がいなくなれば商売ができなくなるのを知っているから。一番迷惑なのは『豚は不潔!こんな不潔な生き物はみんないなくなればいい!』って感じで騒いでる人たちだよ」というのは思うところではある。
肉屋は肉を売るために豚を育てるが、肉屋がなくなったら豚は商品価値を失うから、野生に戻って弱肉強食をやるしかなくなるのよな。
実際肉屋が滅び、豚の需要がなくなって彼らが野生に解き放たれると、豚はおそらく絶滅するので「肉屋を支持する豚だ」の反論は「その通り」で十分
「アメリカのポチ」も、世界には手下として使われないが、禄に助けもない「ポチ以下の野良犬」も少なくないのではないかと思うと、野良犬と座敷犬はどちらがいいのだろう、と。野良犬を逞しく自立した道だと思う価値観もあれば、あてがい扶持もない貧乏暮らしだと思う価値観もある。
古典というと、読みつがれたと考えやすいけど、案外読まれてない。細く読まれて、結構散逸して消えてる。蘇ったものが、その今の蘇りの様式を含めて古典なんだなあと思う。
株を買うタイミングですが、ぎゃあああああっ!!
もうダメだーって思った時が買い時だと思っております。逆に早く株を買いたいなワクワク株楽しって思っている時は買い時ではありませんね。(再再再再再再再掲)
罵倒や嘲笑はたしかに他人をおとしめる悪意がある。むかしの言論は「罵倒には罵倒で」「揶揄には揶揄で」が原則。じゃあ、いまの言論はコンプライアンスが徹底されて良い言論になったか、そうは思わない。他人をおとしめる手段が、罵倒や嘲笑から道徳的糾弾に代わっただけ。より陰湿さが増してるだけ。
英語、Pythonみたいに書かれてくれないだろうか。
⇒関係代名詞の入れ子や並列関係(笑)
似たような知性や感性のやつらで集まって何かおもろいアクションやムーヴメントしようぜ!
が、似たような連中ばかりだからこそ運営が崩壊し、自分とまったく違う資質たとえば事務や経理を雇ったら安定した、というあずまんのゲンロン戦記から学ぶべき人文系アクティビストは多いと思う。
「怖い」という感情が差別や偏見に結びついているパターン、往々にしてある。勝手にそこに危機や危害の予感を読み取り、自分の生活から切り離して人や地域に投影してるようなパターン。
君たちはおせっかいババアやガミガミうるせえオヤジになれないくせに、安易に共同体などと言わない方がいい。向いていないことはせずに、個人でバラバラになって終焉した方が潔くて、何より美しいのだから。おはようございます。
街歩きは自分の親密圏から隔絶された異郷を面白半分で探しにいく妖怪ハンター的な行いではなく、ひたすらぜんぶが陸続きになっているという、世界の無意味な広さを確認する作業だ。
仕事のできなさをお菓子配りで誤魔化してきたADHDからお菓子配りを取らないで...ミスが多いけどお菓子くれる人からただのミスが多い人になってしまう
「ママチャリの人」と呼ばれる人の動画を加工してもうオモチャ扱い。相手が悪いから侮辱も誹謗中傷もしていい。全て自分ルールで正義もない。ただの「ひま潰し」でも実際は「ひと潰し」。追い詰めている人達はターゲットが自殺したら罪悪感より達成感かも。で次の標的を検索と。私刑が娯楽化している。
チュアは知らんけど
新卒2年目から3年目って
「仕事」はまだできないけど「タスク」はこなせて、できる気になってイキリ病にみんなかかるんだよ
ワイもなってたよ
上司に
「器用にこなすことではなく、仕事するマインドを持て」と言われたよ
強い敵意を向けてくる人より強い好意を向けてくる人の方が後々ややこしいことも多い。
このまえのアベマ、佐々木氏がコメント欄とかで印かれまくってますが(あっちは右派が多いので)、かれが出ていなかったら私がその役回りになったんでしょう。あのなかだと左派になってしまうので。
世の中の多くがこういう座組のゲームだなと。
他人に関心がなくて自己愛が強いと、愛情表現が大げさになる。
過剰な推し活もこれに通ずるものがある気がする。
お金を注ぎ込み、愛を主張して何でも目に見える形にすることにのめり込むの、他者の存在を自己表現のツールとして利用しているように見える。