2024/4/11-2024/4/15
▷夏休みの宿題とかで、「今日は読書感想文やる! 原稿用紙は?」とか言われ、「えっ、ないよ、そんな急に言われたって」と答えるとぶんむくれる、それが子育て。それが中学生。
▷なんたる理不尽、なんたる身勝手な生き物か。
▷予定は自分で立てられるが、明文化はしないし、親とのすり合わせもしないまま、自分の論理と気分で予定を立ててしまう。
そりゃまあ、何ひとつやる気が出ないよりは/せるだけのやる気が出てくれる分だけましなんだし、予定を自分なりに考えてるれるのは、何も考えずにぼーっとしてるよりマシなんだが
▷そんなかんしゃくが、小学生でも男子だけでもなく起きて、付き合い続けなくてはいけないってのがねー。
いや、いいなあ。すごいなあ。
自分はこれ、すずめの視点で「怖い!」とか「封じなきゃ!」とか高い緊張感を演出に導かれるままにストーリーを追ったから、「ダイジンが可哀想」が第一の感想になるようなことはなかったなあ。
▷普通に「生き残れてよかった」「町を教えてよかった」という感情で身終えたよ。
▷ダイジンの表情や演出は序中盤不気味だし、人格の表出としても半分精霊みたいなところがあって、つまり自然現象とか自動機械のような感触があるように描かれていると思う。
▷ジブリにたとえて言うなら、『千と千尋の神隠し』の「カオナシが、根は悪いやつじゃないのに可哀想」くらいの位置付けのはず。
▷あるいは、『天空の城ラピュタ』の、序盤の塔のロボット兵とか。
▷ダイジンに話を戻すなら、このストーリーはやっぱり、「自分がやる」って気持ちがみんなの中にあって、時間的な危機感も含めた極限状態の中で、一丸となってそれぞれがやれることをやったら、最後にはこういう形でおさまりました、という形だったんじゃないかな。
▷「あのミミズを封じるためなら、自分が要石になるのでもいいし、それを振るうために飛び込んでいく役を担うのでもいい」というところで、ある種のチーム的連帯高揚感みたいなものかあの瞬間に向けてあの4人の間にはあったんだと思うよ。
▷最終戦の前に、「なんでスカート?」ってなって、「あ、制服?」ってなって、「あ...草太さんと出会った時の自分の思い出の姿に原点回帰してるのかな?」ってなって、ネットで感想見てたら「礼服だから」というのがあり。まあそう言えば、単なる肉体作業じゃないよね。神事だもんね。身清めなのかもと。
▷まあただ、そういう感想が流れると、新海誠監督は、「もっとしっかり主人公に感情移入できるような、次の映画を作らなければ!」って目標が立つだろうから、言うのは言ったらいいような気がするけど。
▷自分を見つめてみることで「生まれるもの」。それの正体や、その蓄積や常駐やそれへの習熟から得られる効果。そこに焦点を絞って議論した知見が生まれたら、知的生活的なテーマがひとつ進むかもしれない。
▷普通に生きるだけでは、大量に暗記し対応を迫られるだけのあれこれの号を、「少し考えてみること」で、その背後に関連性や因果関係や、類似の構造を見て取れて、「少し自分の生に納得感を得られやすくなる」みたいなことはあるかもしれない。
▷思考の結果得られる結果、については、たぶんどんどん価値が安くなってしまうと思う。著作権的なアイデアにしる、ビジネス的な問題解決の策にしろ。
▷これの元のポストを受けて、「自分で考えるのを省略して、誰かの言語化に頼り続けると、自分の思考がいつしか乗っ取られるよ。そうまでいかなくても、自己認識の解像度が低いままだよ」みたいなことが流れてたりするんだけど、私はそういう危機感煽り自体が下品、と感じる感性をしている。
▷したい人はすればいいじゃん、しない人はしたくない人なんでしょ?(強者しぐさ
⇒俺はする。君はどうする?
▷哲学を学んで高度な語彙や抽象的な思考になれれば表現できるのかとか、初級者向けの作文ドリルで言語組み立ての反復練習をすればできるようになるのかと言えばかなり疑問があって。
▷「感じたことを言語化する」って、つまり「時の感情を反芻した上で、それを鮮明に表層意識に維持し続けたまま、それに近いであるうイメージを喚起する単語を深層ライブラリから一つ取り出して、横に並べて味わってみて、その差異の大きさやずれの方向性を感じて、また別の類義語を深層意識から取り出して取り換えるか、ずれを補正できる次の小さい単語をさがしてつなげてみる」ということを延々やる必要があって、それだけの膨大な精神エネルギーを内的に投入し続けている状態って、明確に無防備かつ不毛なんだよ。人様にお勧めするのはどうなん?というくらいの。
▷しかも、解像度を上げれば上げるほど、あらゆる単語の意味においても自分の体験したイメージからはずれがかならず生じているわけだし、そのずれを補正しようとしたら無限に文章の量は増えていくし、きりがなくなっていく行為でもある。
▷個人的には、言語表現というのは、組み立てとか模倣とかというよりは推敲に近い動作だと思う。
▷(それを発信して他人に理解してもらおうとすれば、さらにそこに別のずれが生じる可能性を考慮に入れて表現しなくてはいけなくなる。誰もがある単語に対して持っているイメージは完全には共通していなくて、その生い立ちの影響を受けてずれているので)
▷それでもなお、そういう表現ができている人のことをうらやましい、と憧れることができる人だけが、その道を歩みなさい。
▷たとえばだけど、自分の子供を育てるうえで、そういう能力や習慣の優先度を私は親として上げるか、といえば、上げないだろうなあ。
▷もちろん、会話していて何言っているか分からない場面はむしろ多いんだけど、それはどちらかというと、「受け手であるこちらの前提知識を読み取らずに話し始める」からなんだし。
▷↑という思考をしているとき、「自分の出自を呪う主人公」のイメージは、単語の集積に先立って、まるごとイメージが頭に思い浮かんで、それごと比喩操作をしている(似ているな)と。文字化するときにはじめて言語を呼び出している。言語化の前に思考がある。
▷↑というような、たとえ話による説明もまた、「単語にはよらないが」「並べて味わう推敲的動作」ではあるわけだ。
KnowledgeWalkers
今日のエッセイ
言語化とは、思いや観念を言葉にするプロセスである。観念を概念に変換する、とよりシャープに言ってもいい。
ともかく、「言葉にする」というのがポイントだ。つまり、結果としての「言葉」を手にすることではなく、脳内の(あるいは胸中の) 何かしらを言葉にしようとすることが言語化の胆である。
どのように言い表せば適切なのかともんもんと考える。言葉の強弱や適切さを考慮する。
そういう行為を通すことで、その言葉には何が含まれていて、何が含まれていないのかが明瞭になる。
そうしたプロセスを経て手にした「言葉」は、自分の中で敏感さが上がり、適切な運用が可能になる。
逆に、単に受け取った「言葉」では、自分の脳内は整理されていないのでその使い方も漠然としたものになる。社会問題を提起するために新しく作られた「言葉」が、一般化するとやたらめったら使われてしまい、真に解決すべき問題をむしろ見えにくくしてしまう、というのもそれと似た状況だろう。
すべてをアウトソーシングすることを安直に肯定するのも難しい。
そのような状況では、私たちは適切に言葉を使うことができない。言い換えれば、言葉に使われてしまう。
大局的に見れば、私たちという存在はジーンやミームの乗り物かもしれない。しかし、私たちが何かしらを言葉にしようとするその中にあっては、部分的にその構造をひっくり返せるのではないか、とそんな風に思う。
▷私は、世間話とか交流のための会話をするときでも、頭の中に浮かんでいるイメージは「乗り切りたい」。
できればやりたくないし、やりたくないが、口を開くのならウケをとりたいし、好感を持ってもらいたいみたい、印象付けたいみたいな意識はある。
▷ということを考えていて、ん?このフレーズ何かに類似性があるな、なんだ?と思ったら『悪意の科学』だった。勝負は極力避けようとするが、やるからには何をやっても勝とうとする、みたいな。 ▷これはつまり、「私はそういう対抗心みたいなものが強い人間だ」ということかもしれないし、「私には、社交、交流、世間話みたいなものが"そういう対象”として知覚されている」ということかもしれない。(戦闘のようなものとして)
▷逆に言えば、できる人というのは、勝負とは思ってなくて、はずれてもいいような挑戦みたいなものとして交流できているのか。
▷「転生しました!チートスキル!」というのは、「また似たようなパターンが出てきたよ」と言うことではなく、「昔々あるところにおじいさんとおばあさんが」というようや前口上になってるよね。
▷ところで、「世間話って不毛だよなー」というような感慨に対して、「まず世間話で頼や親愛感を醸成してから、趣味の話や深い話をするんだよ。誰だって反対されたり排斥されたりするのは怖いでしよ?」って論はあるわけなんだけど、91
▷実際のところ、例えば自分の見たアニメの話や本の話を、妻に向けてするか、子供に対してするかといったら、それはできないよね。実際には相手にそれへの興味がないことは分かっているし、聞かされて楽しくならないこともあらかじめ予想できるので。
▷家族というほど信頼感のある人間関係ででもそういう「狭い話」ができないんたったら、「世間話でつなぐ人間関係」ってもはやなんの価値があるんだって話だよね。
▷ジャスミン茶と生姜焼きの香りって似てるかな。
RT▷BLという男性同性愛を描くジャンルに、女性の書き手や読み手たちが何を仮託して、何と争ってきたかってことを踏まえた上で、その自己実現のために
簒奪してきたものを改めて見つめて反省することは両立できるよね、と思う。簡単なことではないけ
ど。
RT▷「おれはゲイじゃない、おまえだから好きなんだ」については、ちょこちょこBL批評で言及があり、SFマガジンのBL特集2内の論考にもあるんだけど、「"女”だからおまえが好き」への反発・性別からの解放の文脈があって、使用側はホモフォビックの意図が薄い場合があるのが断絶が深い要因のひとつだと思う
《優れた意思決定を行って間違いを減らす思考法「チェスタトンのフェンス」とは?》| Gigazine
▷個人的な心情としては反対というか懐疑的だし、だから廃案を目指してくれてもそれはそれでいいんだけど、それと別に頭によぎってるのは、そっちベクトルの人達は、今後何かの社会問題を論じるときに、「先進国で法制度がないのは日本だけ」「世界の主流はもうこっち」「これだから日本は!」みたいな
▷レトリックで自説の勢いを補強するのはやめてくれよな、ということだったりする。
論法の話ね、是々非々で、世界の潮流に抗したり反したりする主張をしちゃいけないということではなくて。
(共同親権を念頭に置きつつ)
▷[自分の生活実感や直感に根ざしてこっちが正義
→世界的にもそっちが主流→「日本はおくれている!」]
[自分の生活実感や直感に根ざしてこっちが正義
→世界がそれに反対していても→日本独自の実情があるから、世界には「従わない!」]...ということなら、決定要因は自分の直感だけになっちゃう。
▷まあ、自分の感覚から言ったら、ハーグ条約からこっちの長い外圧もあったわけなので、「国際結婚にだけこれを適用する」とかでお茶を濁して外交していけないのかなぁ、というところ。
古典は、あー少しわかるようになったという思いと、うっ全然わかんない、が、同時にくる。結構困惑したが、だんだん慣れてきた。わかるというのは、わかんなくてもいいやとしても、学び続けることだろう。つまり、プロセス、それ自体なんじゃないか。
学問すると、確実に言えることなんてないんだなあと思うようになる、というか、自分、そんな感じ。
偉そうに断言する人は、学問してないんじゃないかとも思うが、さて。
ハゲですごい便利なのは、風呂。最悪、10分もじっとすると、それなりに乾く。ハゲで思わぬデメリットは、頭が寒い・ぶつけるとすげ一痛い。
いやあ、ハゲはじわじわくるんで、渦中はきついですよ。
年取って、ハゲて、わー、人というのは、自分に関心何だなあと納得して、少し生きやすくなった。
自分がある点において、繊細な感覚をもっているとして、そんなの他人にわかるわけでもない。
自分はハゲていて、人から、なんだハゲ、と、思われるわけだが、これが、安定的なイメージもあたえるので、意外と生きやすい。
自分の場合、ハゲを受けいれて、変わった感じしましたよ。
渋谷からジベタリアンがいなくなったことを嘆く記事を見たが、今はジベタリアンという名前ではなく「トー横」にいる人々がそうなのではという気がするし、かっての渋谷がそんなに良い場所だったかというとかなり疑問なのである。トー横キッズのいる歌舞伎町だって過ごしやすいとは限らないだろう。
パルコ文化華やかりし80年代はまさに金を使わせる街だっただろうし、でも不況の90~00年代は確かにデフレでマックとかに居座るのは簡単だったなあとか考えると、最近の街に居場所が少ないのは専らインフレや物価高の問題なのではという気もする。
岸田首相の議会演説、キーフレーズはyou are notaloneだろうな。自信を失い内向きになりかけているアメリカをめ上げ、励まし、「君はできる子、私はいつもそばにいるよ」と語りかけるという、割とあざとい演説だったのではないか。
正確には、それを疑う姿勢を示しても社会的な地位を脅かされずそれどころか批判的知性の持ち主として扱ってもらえるようなあつらえ向きの藁人形が「常識」といってもおかしく無いくらいの分量で社会の中にごろごろころがっていた時代があったという話なのかなと。
それを批判すると知性を疑われ、時に社会的な地位が奪われかねないような「常識」は、今でも厳然としてあるでしょうね。
常識というものが極端に弱体化したように見える時代でもあれば、常識というものが非常に強力になったように見える時代でもあるのではないか。人類社会は常にそんな感じではあるんだけど。
後者については、それへの批判的物言いが、批判的知性の発露ではなく、単に党派性の発露と見做されるという特徴がありますね。
古典や教養、ナラティブやレガシーがハイレベルの場でどのように使えるのかについて考えるためのよいサンプルですね。ここではスタートレックがいうなれば古典教養として機能しているわけです。
これは良いスピーチでしたね。
「泥棒が憲法にさわるな」というフレーズをそれなりの説得力を持って受け取る層があることは、日本人の憲法観を考えるうえで、非常に興味深いことだと思う。刑法や政治資金法にさわるなじゃないんだよな。
⇒(そういうハッシュタグがトレンドワードにあった。)
君民相和する通俗道徳的共同体の根本規範という、近代とは無縁な憲法観なのでしょうか・・・。
「泥棒が憲法にさわるな」というフレーズをそれなりの説得力を持って受け取る層があることは、日本人の憲法観を考えるうえで、非常に興味深いことだと思う。刑法や政治資金法にさわるなじゃないんだよな。
私は、日本人の憲法観を一言で言うと「床の間に飾ってある先祖伝来の掛け軸」だと思っている
先祖伝来なので有り難いもの
飾ってあるだけ。日常生活とは無関係。忘れている。
掛け軸の言葉を変えるなんてあり得ない
泥棒が床の間の有り難いものにさわるなんてトンでもない
世界中のメディアがバイデン=ボケ老人の構図を狙ってて、変な言い間違いする所を虎視眈々と狙ってるんだよ。バイデンもそのことに忸怩たる思いだ。
だから、岸田首相は、そんなメディアの前で先に派手に言い間違いやったわけ。一番アカンとこでわざと間違えてる。これがわからない人は営業できないよ。
これで岸田首相をバカにしている人は、彼のことを甘く見ない方がいいですよ。親分であるバイデン大統領がまた言い間違いをすることを予想して、先に間違えて、言い間違いなんて誰でもある、と親分を立てる岸田首相の計算ですからね。やつはできる男ですよ。
英国などの王室と日本の皇室が決定的に違うのは、日本は皇室を取り巻く貴族階級が存在せず、皇室の周りにはいきなり無数の一般人しかいないということです
皇室は孤島や飛び地みたいになっている
日本では、父子家庭の母親にあたる12人に11人が養育費を支払っていません。
養育費を支払わないことについては、女性優位です
ね。
ExcelのフォントをMeiryo UIにしてる人の資料はマジで安心感があって頼できる。
逆に、他のフォントは開いた瞬間、テンション下がって眺める気になれない。
Biz ud ゴシックの方が昔ながらの精細ではないデイスプレイだと見やすいと思います
デフォルトフォントがうまく変更できないので、CTRL+A x2→ Alt→H→FF→Mei→リターン
としてます。
同じOfficeでもアプリによってHの所が微妙に違うのがなんとも。
すずめと草太、二人が最初に出会う場所のモデルとされているのが、宮崎県日南市。一方で禍いが出てくる廃墟のモデルは、豊後森機関庫、湯の鶴温泉、杖立温泉と熊本県と大分県にそれぞれある街並みを複合した場所だと言われています。
⇒熊本地震の熊本、とは明言していないのか。なるほど。
第三次世界大戦なんて物騒なトレンド来てるけど、現状は他のアラブ/イスラム諸国がイランに同調する気配はないし、そんなワードで煽ってるアカウントはブロックでいいと思うよ
イスラエルへの報復攻撃に限らずA国がB国へ攻撃する様子、などと称して過去の映像を故意に上げる奴らがいるから、CNNとか大手メディアが報じない限り下手にそういう映像に飛び付かない、拡散しないことだな。第三次世界大戦などと言い出すのも大げさ。起きて欲しいのか?
男が不快なだけで済むのは身体的に女が男を「トイレでボコせないから」であって...ボコせてしまう体格の生き物が「嫌がらせして嫌がってても結局こいつ嬉しいんだ」なんて思い込まれてたら困るわけ自分の会社の社長や上司がスムーズな退職勧告、妻が夫の弱らせ方なんて本好んで読んでたら恐ろしいだろ
⇒怖いのだとしてもフィクションの流通をさまたげてはいかんだろと思いつつ、
⇒そういえば、不凍液を推奨しちゃってる掲示板とかあったな。あれは確かに恐ろしかった。ヒ素殺人の魔女とかと同程度には、その悪意が不気味だった。
中学のとき付き合ってた人の親が超厳しくて、ある時期LINEすら封印されてしまったため夜中こっそり3DSのどうぶつの森のWi-Fi通信で連絡とってたんだけど、南の島で夜の海眺めながらひらがなしか使えないチャットで「だいすきだよ」とか送信してたの二度と戻らない青春すぎて無理だ
友達がいらないのは人生の中盤だけで、人生の序盤と終盤は友達がいた方がいいというのは分かってきた。
優秀さ・有能さをハイレートで換金できているときは、金銭を媒介にした人間関係が効率的だが、それに陰りが出ると、好感度や愛着みたいなほうが重要になってくる。
「巻いたケーブルが発熱するのは線材の電気抵抗のせいであって電磁誘導のせいではない」って書いたのを「電磁誘導のせいで発熱するのはウソだからケーブルは巻いたまま使ってもよい」という意味にとらえる人を見て、もう「ケーブル巻いて使ったら火事になる!死刑!」でいい気がしてきた
みんな火災が起こると言ってるけど、
コイル(インダクタ)って直流の場合は加熱しないよな?
ON-OFF時以外は。
んで持って、USB電源は直流だよな。
残念ながら、入管法改悪反対もガザ空爆反対も、ここまで盛り上がってはいません。
もちろん動員もあるのでしょうけど、見渡した上での、各グループののぼりの少なさを見ても、相当数は、自然発生的なものと見て、間違いなさそうです。
他人が言ったことを真に受けて信憑しすぎることの何がよくないかと言えば、頼に足る人ほど言ってることの真逆もまた然りというダブルバインドが暗黙の前提になっており、そのときに言ったことだけを取り出して信憑してしまうと世界の半分しか見ない人になってしまうからだ。
そもそも、離婚後は断絶する過程が多く、積極的に拒否してる家庭も多いようで。
日本の場合、分かれた相手の顔も見たくないの感情が先走って、養育に責任がある子どもの親であるという部分が蔑ろにされがちですね。男女ともに。
それに、見えないもの(負債等)を男が被って別れている場合も多い。
本来ならそれも。。。
離婚調停時に養育費の取り決めがないところの不払いが多いんですよね。
取り決めがあるところは八割くらいは支払ってます。
なお女性の場合は取り決めがあっても半分以上はバックレてるようで
たぶん養育費を支払いたくても、支払えない!女性の賃金は不当に安すぎ。ギャオオン!って反論されると思う
養育費は所得から計算されるんですけどねぇ
"youtuberの面白さって「気の合う友達」といる時の面白さだもんな。だから面白いかどうかより、沢山更新していつでも一緒にいてくれる感が大事なんだと思う。”このコメントの指摘が面白かった。今のエンタメ系全般で言える傾向だ
高層ビルがない昔の東京の写真をみると、現代っ子の俺からしたらよくあるけど地方都市にしか見えないんだよなぁ
若い子はそんなことまで動画で知識仕入れるの?って思ってたけど、なんでかちょっとわかった。動画は少なくとも、労力をいとわない個人が手間をかけてる。インチキなライターから文字数を買っただけの金勘定しか頭にない人のコンテンツではない
なんらかの美少女フィギュアが懲りずに炎上しているみたいなのだが、なんでも20000円以上するらしく、「大久保公園の立ちんぼより高い」という本質情報が届けられてすごい顔になってしまった
動物園前駅で降りるおっさんの多さ。
きっと、おっさんの間で動物園ブームきてるんやろなぁ
息子が不登校だった中学生の時の心理士の先生の言葉。
•彼は中学校が一番しんどい。
•高校に行ったら受験を通して似通った子ども同士が集まるから、少し楽になる。
•大学・専門学校に行ったら、同じ興味を持つ者同士が集まるから、きっと一番楽しくなる。
圧倒的一位「山本太郎」
「次の首相になってほしくない政治家」ランキング...進次郎氏、石破氏を抑えた"圧倒的1位”は?
【20代・30代に聞いた】(SmartFLASH)
♯Yahooニュース
私が作った人事にエスカレーションされないための言い換え集の一部、見て。
【参考:HRにエスカレーションされないための言い換え集】
今まで 言い換え ポイント
手伝ってくれる?
・助けてもらえるかな?
・大変な仕事だから〇〇さんじゃないとできないと思うんだよね
承認欲求を刺激し、必要とされている感覚を増やす
(ミスをした部下に対して)気を付けてね
・どうやったらミスが減ると思う?
気を付けるという
抽象的な指示ではなく、具体的にミスの回避方法を相手に考えさせる
仕事なんだから
・そう思ったんだね
「仕事なんだからやれ」と切り捨てず、まずは相手の気持ちを受け止める
「全部は選べない」という人生の基本構造を納得することってとても大事なんよなあ。「何か大切なものを取り損ねる」ことがたくさん起き続けるのがむしろ基本設定でありデフォルトであり通過しないと生きていくことが不可能になる通過儀礼であり日常なわけだ。
20代の頃は「みんな殺してやる」と思って創作していたけれど、30代になってからは「みんな助けてやる」と思って創作しているよ。
もしかしたら「オシャレ」って...
「自分の見栄えを良くする行為」なんじゃなくて...
「同じ物を美しいと思える人と出会うための行為」
なのかもな...って...
「死ねばわかってくれるかな」からはじまる希死念
慮ってあるよね。痛みや苦しさを小さく、軽く扱われたりすると特に。私はたくさんの自死を見送ってきて、死んでも誰も何もわかってくれないってなんとなくわかってるんだけど、そういうのが頭ではわかってても「わからせたい」んだよな。それもわかる。
⇒子供の頃は、入院とかしたかった。
たっかいビルを見て最初に"skyscraper"と呼んだ人もそれを「摩天楼」と訳した人もセンスすごすぎると思う
シン・表現の不自由展を開催しました。国連や立憲民主党に弾圧された作品を始めオリジナルよりその名に値する作品群でしょう。これ以上増えないことを期待します。
知能高い人は若い頃から不安に襲われているし、知能低い人は若い頃は楽天的だけど高齢になって病気抱えた途端に強烈な不安に襲われて崩れるし、人生全体の幸福度を上げたいなら知能やや低めの人が老後に良い家庭に属していたら一番勝ち組なんだと思っている...
水原さんの件、詳細が明らかになるにつれ、本当に辛かっただろうな。今は全てが明らかになって逆にやっと止まったとホッとしてるかもしれないなと思う。こういうことを言うと「擁護している」と怒り出す人がいるが、罪を償う事と依存症の側面と両方語る責任が、俺のような依存症者にはあると思っている
「進捗報告」とか「成果報告」とかいうのを辞めて、定例会議で「やったこと自慢して」と、成果をめっちゃめてたらちょっとずつ自発的に発表してくれるようになってきた。
「やってみた」「褒められた」のフィードバック大事、だと思う。
息子「いいこと思いついた!」(何か作つくる、する)
息子「みてみて〜」
大学生のみなさん、これは小中高ではほとんど求められてませんでした。しかし幼稚園、保育園時代を思い出してこれをやってください。新しく知った知識や技術を使ってささやかでいいのでプロトタイピング&デモを。
素晴らしいアイデアですね!幼稚園や保育園時代の楽しい思い出を思い出しながら、息子さんと一緒にプロトタイピング&デモを楽しんでください!
家族が死んでしまったのですが、その悲しみを誰かに「どんな形であれ触れられる/リアクションされる」ことがかなりキツくて、誰にも(親しい人にさえ)今の悲しさを打ち明けられないでいる。抱え込むのはしんどいが、打ち明けるとよりしんどくなる。じっとしているしかない。
天才の横で劣等感を募らせた男がヤケクソから盗み
と賭け事に手を出して内心ほくそ笑むも天才本人はまったく気にしておらず「友達だと思ってたのに残念だ」とだけ言われ自分の人生のちっぽけさに気づき心底嫌になる話。本人が実際どう思ってたかは関係ないタイプの伝記映画ならいくらでも作れる
エピソード・オブ・イッペイ、日本でもアメリ力でもドキュメンタリーが制作されるだろうが、最大にして唯一の被害者である大谷が信じられない位金に無頓着だから謀略パートが全然盛り上がらないし、事態が発覚した後も平気...
「ははは、探偵さん。面白い推理だ。君は小説家にでもなったらいい......あっ、副業で、もうやっている。横溝賞も獲られた。えっ、ひょっとして探偵さんの筆名って.....ああ!やっぱりそうですか!私、大ファンなんですよ!今回の事件で使ったトリックも先生の『闇鍋山荘殺人事件』を参考にしていまして」
オオタニサンが金に一切興味がないおかげで、一平に24億抜かれても全然気にせずホームラン打ってるので、こっちも一切気にすることなく世紀の横領事件をネタにして笑うことができる
人の「語彙力」は"どれだけの言葉に触れてきたがだし、「表現力」は”どれだけの感情に向き合ってきたが"だと思う
⇒自分の内面と向き合う
「俺という無能を見抜けるかな?」と思いながら就活してるからめっちゃ楽しい
養育費の問題って、マジで当人しかわからない感情があるよね。
うちは毎月支払われているんだけど、別れて数年の間は「いつ滞るかわからない」という不安な気持ちがずっと付きまとってた。
だから定期的に子どもの成長を伝えたり写真を送ったり、こっちが下手に出て良い関係を築こうと努力した。→
Twitterをやめてしばらくになる人が「毎日タイムライン見て呆れたり腹立てたりしてたけど、よく考えたら全員知らん人やったわ」って言ってたの良かったな。本当にそう。
国語嫌いな人が一番嫌いな言葉
「国語は原文に答えが載ってる」
ADHDが時間を溶かす特殊能力を存分に発揮する場面は朝の支度だと思っていて、その結果手元のスマホの乗り換えアプリではメンクリに3分遅刻する計算になるけど、乗り換えの駅でダッシュすれば一つ先の電車に乗れることを俺は知っている。いまこの瞬間最高に“生きてる”って感じがする。
⇒駄目な快感
ひとりで働いて生きることが女性の勝利なのだ、というレールからおっこちたので天気やら病気やらで鬱々しながらベッドでSNSにブチブチ文句言う女性として生きます
昔は理想国家を語る際に具体的な国名を言う人が多かった気がするんだよね
それが北欧とか漠然としたものに変わって、今では海外という具体性の欠片もないものになってる「あなたの言う「海外」ってどこの国?」と問いかけても答えはなく、理想の海外の夢を見るだけで、そこに行こうともしない
春は税金。やうやう高くなりゆく...
夏は電気代。熱帯夜はさらなり。
秋は食費。日入り果てて食うべきにあらず。
冬は交際費。忘年会は言ふべきにもあらず、クリスマスもお年玉も金がかかってワロし。
なんかもう、岸田総理に限らず日本の政治報道は絶対に永遠に誰も評価しないのだろうなって感じます。人間の舌はいくらでも嘘を付けますが、結果は嘘を付けません。そして、膨大で様々な政策を為した結果として賃上げ成功、日経上昇を実現しました。この答えを評価できないのは下らない私情です。
⇒立憲民主党が与党・政権を取ったとして、1年間くらいは褒めてもらえるかもだけど、5年目からはもうどうにもならないだろうな。
人間関係に関する規範(たとえば「役割」とか)が弱くなり自由にコミュニケーションをするようになると暴力的な関係は減っていくと素朴に思っちゃいがちだが、「未熟な人を大目に見る、世話する」みたいな規範も弱まるだろうから、強い側が好き勝手に暴力を振るえちゃうようになる側面もあるんだよなと
牛タン50人問題に限らず、法や契約の隙間は常に存在するしそこをこじ開けようとするプレイヤーはいる。で、そういうプレイヤーはだいたい、社会通念に反したことをして利益を得ようとしている。そういう問題が現れたら法や契約を更新する。それが、法治国家のやりかたってやつかと思いました。
余計なことをtwitterに書かないように振る舞うのは、必要なことをtwitterに書くのと同じぐらい、難しいな
タイトルすら読めない人やタイトルしか読めない人がいる一方、ブログ記事にわざと書かなかったことも、書き損ねたことも、だいたい把握して読んでくれているらしき人も今日でも健在なので、引き続きの努力をしていかなければ、としばしば思います。
それはそれとして、「言葉にしようとして生まれるもの」があって、認識の言語化をすべてアウトソーシングしていると、生成されないものがあるとは言えるだろう。もちろん、「そんなものは手にしなくても構わない」という態度はありえるとして。
まず、観察がある。観察の中で何かが育まれる。そして、それを言葉にする。あるいは何かしらの形で表出しようとする。その行為の中で、遡及的に「自分が持っていたもの」が明らかになる。つまり、「わかる」ことが一つ増える。
ウクライナ戦争を見て「武器なんていらない。9条が安全保障」とかいってた人が軒並み「別にいらないとは言ってない。9条は日本への枷であって敵が攻めてこないなんて言ってない」とか少しは現実みたかと思ったのに、やはり二年たつと喉元過ぎれば熱さを忘れるで、「平和じゃないと〇〇できない!!!武器も軍事力も軽視しよう」みたいな人、結局元に戻る事例が散見されるな。
これは本当にいいスピーチですね。
もちろんライターはいるのだろうけど、これ話すの難しいですし、自分の言葉のように話しているので伝わるし笑いも取れる
日本での会見も英語でやればいいのに!
I'm considering considering it.
⇒検討したいと思っています?笑
岸田さんかなり慣れてる。これどうせスピーチライターが書いたものと言ってる人がいるけど、海外でコミュニケーション取れない人がこういうの喋ると間違いなくすべる。見直した。
カッコいい母親
娘が今 病気で髪抜けて落ち込んでるんよー
せやからもう私が髪なんてなくても美人の遺伝子ってとこみせたろってな!
これも極論だが、そもそもEUというのは、しょっちゅう戦争する欧州をまとめる仕組みで、経済の一体化がおもてだが、裏に共通敵はできてしまう。意外とEUは米国とも経済・法的に反目してる。この狭間で英国はブレて、あーなった。非肉な言い方すると、英国は反露に利がある。
と、凡人の僕もそう感じますが、日々苦しみながら「好き」に近づくための鍛錬と苦闘を続けることだけが、この人生の暗黒の迷宮を抜け出すための唯一の方法だと信じています。
ネットで購入するとこのへんが曖昧なままの人が多い問題が浮上。「自分が運転する車両が、免許不要の特定小型原付なのか、原付か、自動二輪免許が必要なのか、理解しないまま」/無免許で乗れても、無届はヤバい。逃げるのは、もっとマズい「電動キックボード事故」で重罪
iPhoneにこんな機能あるの知らなかった。設定変更しました。「バッテリー切れが近づくとiOSをシャットダウンする一方で、エクスプレスカードを最長5時間利用できるようにする」/「モバイルSuica/PASMO」の誤解を解説 バッテリー切れだと使えない?
大昔「巨人の星」が流行ってた頃、自分は野球に全く興味がなかったけど漫画のアイコンになってた
「大リーグボール養成ギプス」は漫画的ハッタリが効いてて大好きだった。新しい魔球とセットで次々といろんな形のギプスが出てきて訓練すれば良いのにと(続)
私が20才前後の若き時、海外へ行って「思い出は写真なんかじゃなく、自分の記憶に留めておきたい。」と強く思っていて、そんなに写真を撮らなかったんですよ。40才半ばを過ぎた今、記憶力が大変おぼつかなくなって、「結局残るのは写真だけ。」を座右の銘にして生きている。
参考にしてください。
「日本は生き辛い」とよく聞くが、学歴を積まないブルーカラーや職人に対するリスペクトが社会に残っているし、Fランク大卒でも社会人から頑張れば外資系企業の社長になれるなど、比較的やりなおす
チャンスが何回もある優しい社会だと思います
逆にエリートサイボーグはあまり報われない社会でもある
昨今の男性性の議論って前提として不真面目で自分ごととして考えられない男性を想定してなされているところがあるので、それを真に受けて若い時分から深刻な不能感に陥っている若い人と話すと大変なことだと思うしそれが健全だとは思えない。
⇒男叩きが言論として安全カテゴリーになるのは、「酷いことをしておいて堂々としていられる」人がいるから、それを叩く言葉は強くなっても許されるような気がしてしまうからかも。
でも、主語を大きくしたら、ただのヘイトだよね。
他人や他人の作物に対する「感想」を呟く盲点は、それがたとえ他人にとっては誤解であっても本人にとって感想は実感であり真正なものだから一度言い出すと引っ込めようがないところ。この意味で感想は他人を自分の感情で支配しやすい(そのくせ引っ込みがつかなくなる)が強度のある批評はそうならない。
大塚英志が1989年に転居したのは「自分の飼い猫が隣家の飼い犬にかみ殺される出来事があったから」だという。1989年の世田谷区ですら、飼い犬ですら、そうしたことがあったわけだ。もっと昔の・もっと田舎における犬の位置づけは推してしるべしだろう。
完全に安全な犬、まったく人様に迷惑をかけない猫は、今ならいそうだし、今ならそうであるべきとみなされそうだ。でも、昭和時代はそうじゃなかったよね。野良はもちろん、飼い犬・飼い猫ですら都市生態系や里山生態系の一部だった。人間とそれらの関係は、今日のように透明でも無害でもなかった。
西洋の中世史がわかってきたのはこの20年くらいではないかな。それにつれ、「中世史」の概念そのものも変わり、「延長された古代」観も出てきた。
戦前、すでにアンリ・ピレンヌが画期的な発表をいくつもしていました。
戦時中に惜しくも戦死したマルク・ブロック、その盟友ルシアン・フェーブル、
彼らが創刊した雑誌「アナール」から、フェルナン・プローデルが「地中海」を発表し、歴史研究の方法論自体が変わりました。
もっと前からです。
西洋史では「暗黒の中世」と呼ばれていましたよね。産業革命を契機に白人の世の中になったけど、中世はイスラムが強く、オスマントルコに東ローマの都コンスタンティノープルを墜とされ、イベリア半島南部は奪われていたし、十字軍も威勢は良いけど負け続けだったからかな。希望の光は「ルネサンス」。
天使が美しい女性のイメージとなったのはシェイクスピアからと聞いてことがある。聖書読んでる感じでは、天使はごっつい印象。
⇒エヴァの「使徒」のイメージって、むしろ原典に近いのかも?
⇒妖怪「くだん」とか、そういう感覚だったのかな。
表立って「どうでもいいんだ」とは言えなくても、社会問題は解決されることなく、過ぎていくだけだよなあ。
たとえば少子化対策一つとっても世界中で「金ばら
まいても効果は限定される」っての証明されつつあって、ならどうすればいいか?っていうと「子供産むことを素晴らしいと思わせる保守主義的な意識改革」とかなんだけどそれ野党が一番できねぇことなんだよな。
なら金ばらまくのが効果薄いとはいえやらなきゃいけないことだけど、子育て増税を完全否定する。
増税一切なしで子育てにお金を自民以上に援助しますなんて誰も言じねえ。
⇒「家族素晴らしい」「母親になる人生という幸せ」みたいな宣伝を流しまくることが最大の少子化対策、というのはあるかもしれないよな。強制をしないのなら。
⇒もしそれで効果が出るのなら、「子供が可愛いと思えない私はおかしいのかしら」「親が毒親だったから、家族は素晴らしいなんて言われると、重い気持ちになる」という人が出るのだとしても、私はそういう「文化推進」そのものは肯定するだろうと思う。
⇒それと別の、「独り身の本音を描いたエッセイ」が焚書されてさえいなければ。
日本の停滞などは基本的に少子化が一番早くはじまった&延々と積み重ねてきた財政の問題や解雇規制にかかわる生産性の低さ、社会保障費の大問題とかであって「不正とか腐敗や政権が無駄金を搾取してる」じゃないし、これが野党政権なら解決できるとは思ってねぇんだよな。みんな。まあ自民にでも解決できんのだが。
ただこれは個人的見解だけど「老人票が自民より比率が多い、労組が支持母体、左派ゆえの社会保障を削れない思想とか考えると、旧来の体制を必死維持するのは野党のほうだと思うのよね。それがいい悪いは別として。
野党は「税金を一切上げずに社会保障を増大させ、雇用を守り、解雇規制を緩めず、老人に金ばらまき続け今の状態を続ける」っていう現状維持を自民党以上に望んでいると思う。
日本人の一部が外国に関してブッ飛んだ偏見を持ってるように、外国のヤバイ人も日本を理解してない...
私自身は、イスラエル人の中に「戦争より人質解放を」「パレスチナとの共存を」と思ってる人が思ったよりいるんだな、と最近気付きました。
△日本人男性が可愛いアバターをまとうことで失敗しても許される
◎漫然とまとわされている『許されなさ』から解放される
と思ってるんだけど、このニュアンスを伝えるの難しいねと思った
日本人男性は美少女キャラクターになりカワイイを獲得することでストレスから解放される。
なぜ 日本人男性が美少女になりたいのか。
日本人男性は美少女になり
カワイイを獲得することでストレスから解放される
なぜならカワイイは失敗しても許されるし
責任を負わなくていいからです
⇒「責められてる感」からの解放とかかな??
⇒あるいは、ライオンや狼のような嫌われたり怖がられたりすることからの解放?
怒られ
「私コンプレックスが本当に強くて化粧も出来なくなってしまって
こういう所に来るのも凄く勇気がいって
めっちゃ救われました」
って話したらもうなんでー!?こんなに可愛いのに、大丈夫ですよ試しましょうね!!って言ってくれて
もうずっと涙止まらなくて鼻水流しながら泣いてた
⇒アゲアゲ感みたいな
日本にいると全然実感ないと思うけど、キッシー海外から見たら物凄い権力掌握術の持ち主に見えると思うよ
自分が外国の首脳ならなんやコイツヤベーやつやん......て間違いなく一目置く
バカにしてる人は忘れてるかもしれんけど、元首相暗殺されて自身も暗殺されかけてもその日に淡々と演説し、広島に戦勝国来るからと原爆被害の展示を見せつけ献花させ、戦時中のウ国に乗り込み敵地上空煽りつつ帰国し、自党スキャンダルも自派閥解散から終息に向かわせ、低支持率ながらも政策は安定
ガンギマリのヤベー奴でしかないw
「実存は本質に先立つ」というのは、「存在は本質で規程される」という逆説な前提を持つ。ただ、この「実存」は通常サルトル的な意味あいだが、ハイデガーの「現存在(ダーザイン)」とは異なる。
「現存在」は頽落を含む。
そう言えば、「実存」という感覚をもってない人は多いんだろうな。僕なんか、なんだかんだいっても、青少年時代の「実存主義」の影響を多く受けた。これは、全共闘世代の薄らマルクス主義とも対するなにかではあった。
これは、洋ドラとかによく出てくる、ちょっと笑える側面でもあるですよね。
実はアメリカの公共図書館の75~80%が、地の女性クラブ(本を読んで集まって話をしたかった彼女たちの)運動にルーツを持つ、という話を、前にDainさんとの対談でしました
オッペンハイマー、ロスアラモスで2回くらいボンゴ叩きまくってるバカが映ったけどボンゴ得意な理論物理学者なんているわけないだろ リアリティなさすぎ
⇒これにみんな、引用ツイで、「ご冗談でしょう」ってツッコミしてるの、すごいよなあ(読んだことはないが、知ってはいる)
BLで時々見かける謎の価値観なんだけど、相手の性器を入れられることに「支配をうけること」「服従すること」「侮辱されること」というような意味合いを持たせてる描写に驚く あなた自身もセックスする時にそんなつもりでやってるんですか!?って思う
早慶付属校出身者は大学を出てからもイキイキしていてバリバリ活躍する人が多いと聞く。とりわけ早稲田だと早大学院、慶應だと慶女の卒業生イキイキ度が高いらしい。こういう話を耳にすると、大学受験が高校生からどれほど生命力を奪っているかがわかる。大学に入った時点ですでに燃えカスの人が多い。
自分は早稲田の卒業生にいつも言うけど、早稲田は学生街がある日本でも稀有な街だから、その思い出は大切にした方が良いよと。たぶんこれに匹敵するのは京都大学ぐらいでは。もしかしたら国立大学のなかには、かなりしっかりした学生街を形成しているところもあるかもしれないけど。
歳のせいかアニメも映画も露悪もの・偽悪ものが観るのしんどくなってしまった。自分の中の厨二病的な恨みつらみの原料が底をついたというか。
今抱えている恨みつらみはもう「どうだ!この厳しさが現実だ!」とか「人間の性、悪なり!!」みたいなスタイルの作品には共鳴しなくなっちゃったというか
両親非大卒非正規ながら京大まできたけど、結局社会に出てから成功するのは実家太くて能力あって主体性がありちょっとの投資で難関大入れる奴だと気づいて打ちのめされてる。難関大入ってからのビジョンをイメージできず大学四年無駄にした
今回キッシーがやったことって、場末の飲み屋で酒をあおりながらもう辞めたい、と泣く同僚に、
「お前がよくやってんのは俺もわかるよ。でも疲れるよなわかる。俺も手伝ってやっからさ、もうちっと頑張ろうぜ(肩を叩きながら)」
と慰めているのとだいたい同じ。
これすごい論理なんですよね。「同性愛者やトランスジェンダーもこっそり裏でやるならいいけど、堂々と好き放題やっておきながら尊敬される地位を保ちたいは他人に理解を要求しすぎ。好き放題やりたいなら公職につくのは諦める」ってことなんですかね。
大学で一緒にいる友達、きっと私だけ入っていないLINEグループあるんだろうなぁ、とは薄々気づいているけど、履修登録自分だけが違ったり、私以外で集まってるのをストーリーで見ちゃったり、それを実感する度に惨めになる。
ある試行で1位(4位)をたまたま獲得したなら、その事実からその後の試行で4位(1位)を取りやすくなって結果的に1位の獲得数と4位の獲得数の差が縮まるかのような誤解をしているように見受けられる表明が散見されるけれど,独立試行の繰り返しなので然そういうことはありえない。
人文学というのは、いわゆる教養というか、教養学部的な教育を超えていると思うので、その段階にあるいわゆる「理系」の人は人文学を十分には理解してないんじゃないかな。人文学というのは、ある種の知的訓練体系でもあるし。
知人もフジツボのこと骨壷って言ってたし、娘の学校の音楽会の曲をモンゴルは飛んでいくって言ってた
うちのパッパもシャラポワの事をサラエボって言ってたしなぁ
それはそうと見事なネモフィラ
夫は昔からカタカナ語を覚えるのが苦手なんだけど、先日いきなり「今週末は天気も良さそうだし、早起きしてマリファナでも見に行くか~!!!」と言い出し、「なんて??」と聞き返した結果がこちら
両親非大卒非正規ながら京大まできたけど、結局社会に出てから成功するのは実家太くて能力あって主体性がありちょっとの投資で難関大入れる奴だと気づいて打ちのめされてる。難関大入ってからのビジョンをイメージできず大学四年無駄にした
←23区の公立小学校
同じ学区の公立中学校→
=時の手記を読むと
「日本人より日本人らしくあろうとした朝鮮人」が
若い世代で結構いたらしく「日本人で天皇陛下万歳といってしんだやつはいないが、朝鮮の若者が天皇陛下万歳を叫んで亡くなったのにショックを受けた」って逸話があった
1970年代までに独立できないと日本に完全併合されると思う
実ははだしのゲンは掲載する媒体が「左派系」になった途端にこういうセリフが頻発するようになったんで「作者はわかってる」と思いますwww
スポンサーに忖度する漫画家の鏡です。
日本人でもデンマーク人でもアンダマン人でもアフリカ外のホモ・サピエンスならどれだけ見た目が違ったところで遺伝的には全て下の画像の茶色の系統に収まってしまう程度にしか違いがなく、アフリカ
内の遺伝的多様性にボロ負けしてる
♯生き物知らない人が嘘だと思うけど本当のことを言え
ちなみにロラン・セアックはもちろん俺の癖を存分に出し尽くしたキャラですが、俺はだいたいいつも癖を存分に出してるし、新しい癖になるであろうと思う癖を仕込んでますが
それゆえに実はこれは癖を仕込んでるみたいに云われてもそれは礼儀だし当たり前だろ
という感想になるのでことさら主張しない
女性達がエッチなフィギュアを始めポルノにギャオってしまうのは、たとえどれだけそれっぽい理屈を並べようと、進化心理学的には性内競争戦略の一貫としてオスを奪うライバルを排除する能力として獲得してきたと説明できてしまう。それが証拠に、性的に充足した強者メス達はこの議論に参加していない。
⇒うーん、まあ、あるか? 二次元(絵)だとまた別のイメージかもしれないけど。「ダンピング始めやがった! これ以上、私らは生き残りのために戦わなければいけないのか」といあアラームが鳴るという可能性はある。
⇒また、強者メスの強者たる能力には愛想の良さや社交能力もあるから、怒って取り乱すところを見せるのが市場的に損(害とまではいかなくても)になる可能性もある。
やや鈍くて覚えが悪そうなAさん。頭が良さそうでハキハキ自分の意見をいうBさん。面接にこの2人がきたらクリニックではBさんを戒すべき。優秀だが周りを潰して何人も解雇に導くブリリアントジャークの可能性がある
このタイプはたった1人で医院を崩壊させる可能性があるので見抜かないといけない
♯続編の方がおもしろかった映画
天使にラブソングを2
ゆめこはこの映画だいしゅき!!
続編よかったけどあんまりポストしてる人みかけないなぁ?
ナイトミュージアム2
舞台がより大きなスミソニアンに移ったことでオリジナルキャラに加えてよりたくさんの魅力的な新キャラや展示品が出てくるので自分はシリーズの中でコレが1番好き
(3は大英博物館が舞台だけど正直2作目ほど豪華さを感じない)
晩年陰謀論に闇堕ちしてしまう人には特徴があって、若い頃は世界中飛び回って沢山の人と会って現場でしか得られない情報を教養深いと自認してる頭脳で咀嚼して無知な人達にも分かるよう提供する事で自己有用感を得ていたのが、年老いると身の廻りで得られる情報が劣化したり感度が下がってきてる為より