2024/4/1-2024/4/5
▷Kindleで、連載の続いている漫画のサンプルを読んでいて、1巻のサンプルを読み終わって、「これ、2巻ではどう展開させているんだろう?」と思っても、おすすめに出てくる続巻が「3巻」からなの、なんなん?
なんで、直後の巻をおすすめ一覧からとばす?順番でええやん!
▷ネギ切っていて涙が出てくると、謎のリラックス感が生じる。
⇒血管が開いて、血行が良くなっている感じ。
▷仕事で輸入を取り扱っていて、部内のミーティングなんかでMS Teamsの録音&文字起こしを使ってるんだけど、「import」と口にしたところを後で読み返すと、「***ート」って、まるで文字化けみたいな処理になっている。なんの配慮だよ、そうじやないんだよ。
⇒「インポ」って言葉が不快な語に当たるから、初めから伏字になるような設定なんだろうけど。
▷平地は平地で液状化があるし、高台は高台で孤立化リスクがあるし、どこに行っても逃げられはしないよなあ
▷「それが陰謀論だろうか、そうでないだろうか」というのは結構自明でなく、(別に「これ不合理で陰謀論的だけど、じると気持ち良さそうだからじよう」と思ってじないわけだし) 結局、「感情の動く情報」を、ただそれだけを罪状として自分に禁じていくしかできない。
▷ところで、そういう「感情から距離を置く」仕草って、もともとはリベラル的な基本動作というか傾向のようなものだったと思うけど、昔に注意が必要だと思われていた「感情」が、「我慢や滅私奉公を奨励する」「国家や全体を称揚して貢献を煽る」「他者や他国に攻撃的になる」ことばっかりだった。
▷でも、動員されたり搾取されたりにつながる「感情」が、それだけじゃないってことがじわじわ広がっていったのに、そういう種の「感情」だけに警戒信号を発する人というのは、ポジショントーク的に見えてしまって、逆にリベラルに見えなくなってしまった状況があったよなぁと。
▷電車のドアに誰かの荷物や服なんかが挟まったとき、一回ドアを開けてから閉め直すことがあるわけなんだけど、このときに「ホームドアは閉めたまま、車両のドアだけ開け閉めする」ことって難しいのかな?
開いた隙に、新しく乗ろうとする人が出てきちゃうから、両方を開けないほうがいいと思うんだけど
▷いまだに宇多田ヒカルのよさがわからない......
何十年も耳に入ってきたはずなのに、一向にそっちに聴覚というか感性が拡張されてくれない。
▷みんなこれちゃんとあの時期に好きになってたんだよな、すごい。
▷声の使い方や、節の取り方なのか、コードとリズムの関係なのか、私にはなかなか響かないなあ。
▷最初の数年は、「自分の老害化かなあ」とも思っていたけど、むしろその後に出てきたテイストのいくつかのほうが摂り入れやすかったりして、実に謎。
例えば老人でも、常に外部から情報を入れていれば「これがニュースで見た配膳ロボットか!」くらいのリアクションにはなるわけで、そいつらはタブレット注文も配膳ロボットも最初は戸惑うけど、すぐに慣れる。最初から「そういうもんになったのか」という受け入れ態勢があるから、すんなりと文化の中に入っていける。
ファミレスバイトを始めて日が浅い頃、オーダーを取りに行った老夫婦が「烏龍茶」と注文をした。「烏龍茶はドリンクバーにございますのでドリンクバーのご注文でよろしいですか?」と聞き返すと「は?あたしゃ烏龍茶が飲みたいの!」「ですから烏龍茶はドリンクバーに……」「訳の分からないこと言わないで、さっさと烏龍茶を持ってきてちょうだい!」とのこと。
つまり、この老夫婦はドリンクバーの仕組みを理解していないのでそれまでの飲食店で頼むのと同じように単品の飲み物として烏龍茶を注文している。
つまるところ、システムで社会を回すならシステムを覚える気がない人のためのコストはある程度必要で、そのコストをいつまでかけられるのかってことかなと思います。ただシステムを理解する気のない人は、応じて他人を理解する気がないのでコミュニケーションのコストが跳ね上がります。
今日のエッセイ | Knowledge Walkers
「自分の思い込みを確認し、可能な限りそれとは違った視点をとろうと務め」たとしても、自分がまだ別の思い込みに閉じ込められている可能性は否定できない。そして、その可能性を否定できない、ということを引き受けることが、自分の思い込みと付き合うことなのだ。
もし、「自分の思い込みから自由になる」という表現をしてしまえば、あたかももう自分には一切の思い込みは存在していないかのように感じてしまう。当然、それ以上の試みは行われなくなるだろう。
もちろん、雑な表現を使っても問題ないときはある。しかし、それをあくまで「雑な表現」として使うことだ。
特にフィクションの場合、登場人物へのある種の愛着と世界の没入の感覚が必要になる。
これは、ほんの少しの挿絵でだいぶ補助になる。
物語の酔うという能力でもある。
物語に酔うというのは、与えられた情報の受動性と、そこから膨らませる空想構想性のバランス。
多分そう。で、これは、読書集中力と習慣性の問題でもあるだろうな。
読解力の高さはノンフィクションではなくフィクション(小説等)の読書量と相関するという研究結果が多々あり、むしろそれらの読書量が「少ない」ことが原因かと。
恋愛って何?というなら、漱石の『それから』を読んでご覧なさいといいたいところ。
『嵐が丘』は恋愛じやないから。
「機能性表示食品」も問題はある。というか、基本のビタミンやミネラル、必須脂肪酸、食物繊維とかに限定し、薬理効果的なものは排除すればよかった、が、できなかったんだよ。DSHEAで米国サプリメントが政治圧力とともに入ってきて対応できなかった。あと、ユビキノンのようなものとか。
「トクホ」と「機能性表示食品」を比較して前者がいいと主張してる人を見かけて、トクホならず、トホホ。極論すれば、トクホなんて不要なのに。
人生で一番大事なのは肉を焼くこと。
・・・
スタートアップをやってると色んな人に助けてもらうが、一緒に肉を焼いた人は「あの時肉を焼いてくれたTakaさんの頼みなら...」と必ず引き受けてくれる。
成功したければ肉を焼け
「朝」は5時起きで満員電車、「晩」も終電が普通で帰宅後も電報や電話が会社から届いたり..父はそんな感じでしたい。
「昔」はいつかなあ。昭和の貧困層はそうでもなかったように思うのと、「朝から晩まで真面目に仕事」の実態はけっこう酷かった。
そう。それで生活ができたはできたけど、ですよね。
嫌ってというより、キモがっている?
→ダンジョン飯・ライオス
ちなみに日本でも古代には、鶏とかで血どば~の犠牲はやってたっぽい。
日本人は、政治闘争で他者を犠牲にするのはよくやるが、実際に、生き物を殺して神に捧げる、まじもんの犠牲は知らない人は多いだろう。
あの、血、どば~の感覚がないとキリスト教はわかりにくいかも。
人生ゲームでは、時間とお金と体力の関係が若い頃は体力と時間だけ無限にあるのが、就職して少しお金が出来る頃に結婚と出産で時間を失い、育児で更にお金を失い、育児がやっと落ち着いた頃にお金と時間が帰ってきたと思ったら二度と帰ってこない体力が消耗してるというトレードオフの関係になってて、…・さらに表示
小説もメモ取りながら読むといいよ。登場人物の名前、呼称のバリエーション、それぞれの背景はまとめておくといい。「あれ?伏線?」と思うとこも。
語弊があるけれども、現代の都会で独り暮らしをしている人の生には「寂しい熱帯魚」っぽさがあると思います。都市のインフラ・制度・ワンルームマンションといった「整えられた水槽」のなかで「一人でゆらゆら」しているんですから。18世紀の人からみたら、仰天するような未来を生きてますね我々
「戦争になったら、あの薬もこの薬も供給できなくて、たくさんの人が死んでしまう」としたら、それどころか「あの食料この物資も供給できなくなり、もっとたくさんの人が死んでしまう」としたら。今日の人間の生とは、管理された水槽のなかの熱帯魚や動物園の動物にかなり似ていると思いませんか。
映画マトリックスの人間電池になった気分
僕等ゆとり世代はまだしも氷河期世代の苦しみを分かっている感じがありますが、Z世代とかになると氷河期世代のことを殆ど敵のように思っていますからね。ガチの「棄民」の声とかが出てくるだろうなと今から予想しております。
「政府の言いなりに成った老人のせいで今の日本の衰退が有る!ヤツラを排除して老害と停滞の象徴たる政府を打倒し新秩序を...」
みたいなアジテーションをかます、『アカの二番煎じ以下の出来損ないのナニカ』がのさばるのまでは予想してます
マンションの隣家がうるさい時に直接怒鳴り込むのでなく管理会社に連絡する社会と、路上で誰かが行き倒れていても誰も助けようとしない社会は、基本的に同じなのではないか?
「揉め事やトラブルを解決するにあたって行政機構
や司法機構や察機構が頼りになるのみならず、そこに頼るのが本道」って社会は、本に新しくて本に珍しい社会で、それらがたいしてあてにならないから、個人や家庭単位でも暴力も含めたコミュニケーション能力が必要とされ、不断に問われ続けた。それが人間が長く引きずっていた歴史で、ほんとうに100年ほど前まではその名残がずっと残っていました。ところが今は違います。個人間の揉めごとも、困窮している個人も、それを第一になんとかするのは家庭でも地域でもなく行政や司法や社会システムってことになっている。これは私には「未来」に見えます。1970年代の田舎から見て「未来」を私達は生きていて、私にはそれがすさまじいFutureとみえてならないのです。
『PSYCHO-PASS』や『ハーモニー』みたいなシステムが汎化して人間の判断がいらんくなった近未来SFでも人間同士の会話コミュニケーションは描かれてるけど、リアルな未来社会では人間はもはや人間同士で語り合わないんじゃないの。
かといって面白第一主義で露悪的なことしまくってた時代は、それはそれで嫌だったからなあ
シンプルに「面白さ」や「尖った個性」みたいなものは清潔、清廉、安全、規範の後塵を拝している時代
しかし、運がものをいうギャンブルでのニアミス、たとえば、7が2つ揃いもう少しでスリーセブン、という状況は、それを繰り返すと当たる可能性が高まるわけではないので、この状況で悔しくなって何度も再挑戦したくなるのは、心理的メカニズムのバグのようなものだろう。
ギャンブル依存症の人は、あと少しで勝てたという状況になると、また賭けたい気持ちが強まるというが、これは狩猟では合理的な心理である。たとえば、矢があと少し右に飛べば獲物にたったという時に、悔しがって何度も再挑戦できる人は、最終的に獲物に矢を当てることができる可能性が高まるからだ。
歴代エルフ進捗
※時系列順に並べ直し
ゾーニング大好き勢、歯止めをかける理屈が無さそうなので「キモいから”別の世界”にゾーニング」までありうるが、実際それっぽくなってきた。おれのようなオタクは一番最初にやられる可能性が高い
これは私も脳裏をよぎりました>災害の風土と欧米よりも功利主義的な社会。それと疫病でしょうか。
日本は水は豊富ですが湿っぽく、疫病流行りやすい環境ですから、コロナ禍のような状況下で功利主義っぽく振る舞いやすい文化が生まれたのかも、等々は考えたくなりました。
大陸との往来が盛んになるにつれ、疫病も裏で増えた可能性は高いですよね。古代日本で、それを神々の戦いとみなし、新大陸で疫病が結果としてキリスト教文化圏を広げたように仏教が広まった可能性があります。『銃・病原菌・鉄』ならぬ『仏・病原菌・鉄』。
歳とると言葉の攻撃力が勝手に増すんだよね。
20代の言う「バカじゃんw早くやれよ」と
40代の言うそれは全然威力が違うんだよね
自分はざっくばらんとした、気負わなくて良いタイプだって思ってる人ほど地雷踏みがちなんだけど
おっさんが気負わずにざっくばらんで良いよって言っても...さらに表示
太平洋戦争に勝ち史実で亡くなった大勢の日本人が死なずに済むがアジアを支配することで膨大な面倒(他国との核戦争リスク含む)を抱え込む世界と、史実と、どちらがいいのかという思案は15年以上前からあって、未だに答えが出ないし最近さらにわからなくなった。別に答えなど出さなくて良いのだけど。
基本的に「引用される論文」は良い論文なのだが、これをもっと一般化すると、「別の論文を生む論文」が良い論文なのだと言えるように思う。なので良い論文を書きたければ、どのような論文が別の論文を生むのかを考えるのが大事。とても、とても大事です。
ロシアの友人には「今のロシア(モスクワ)で街中で政治や戦争の話をするのは怖い。そういう話は台所だけ」と言う人もいて、一方で現地に渡航した日本人からは「今のロシアでも街中で大声で政権批判をする人も普通にいる」という話を聞くこともあるのだけど、この二つの話は十分両立し得る
街中で政権批判をすれば100%捕まるならともかく、そうではないので(物理的に不可能だしそもそも捕まえることそれ自体が目的でもない)、この辺は多分に各人の意識次第だろうし、逆に街中で政権
批判する人もいることが「統制もそんなに酷いわけではない」ことを意味するわけでもないだろうと思う
同じ役員のママさんがアピール上手ですごい勉強になる。
↓彼女、「お礼」「報告」という名目でクラスLINEにこまめに連絡するのね。
例「無事〇〇を作成配布することができました。皆様ご協力ありがとうございました」
私アピール下手だったけど仕事でこれマネしたらめちゃくちゃ効果大よ
原油などの資源を輸入に
頼る以上、どうしても国際商品市況が上がって行く中で所得が海外に漏出し、労働生産性上昇に比べて実質賃金は上がらなくなりますね。労働分配率は悪くないのですが。
たしか日本って労働人口のみで見ればそんなに生産性悪くないってどっかで読んだな
やはり社会保障......
ああ、残念。罷免は重すぎる。でも罷免するか罷免しないかしか選択肢がない法制度に問題があるのではないかという気がする。
罷免だけではなく法曹資格も失ってしまうところが議論を呼ぶポイントかと思います。裁判官を罷免されても弁護士として活動できるのなら罷免に賛成との立場の法クラは一定数いるような気がします。
以前にも書きましたが裁判官に対する懲戒は戒告と1万円以下の過料しかないわけで(裁判官分限法)、罪と罰が釣り合っていないという発想自体が成り立たないというか、この範囲を超える非行については弾劾を受けるか自らことを処すべきという制度設計だと思うところです。
⇒司法は独立していないといけないもんな……
自分が観察してきた範囲での話ですけども。パワハラってその人の能力の限界なんですよね。自分が問題だと感じる状態(組織にしろ部下にしろ)を自分が円滑な状態に整えようとした時に、パワハラ行為の以外の手段を持たず、怒鳴る・圧をかけるしかできない。しかもその自分の能力不足を自覚する力もない。
新人時代から「まとまってるが意外性がない」と言われ続けたわしである。「じゃあお前ら行きたりばったりのどんでん返しそんなに好きか」と思っていたが、「演出でもっとビビらせる」と言われてたと気づいた。いま。遅い。>RT
さて、在野で研究を続ける苦しさは想像を絶している。一度アカデミアで名を売ってそれから在野で、というケースはあっても、終始アカデミアで飯を食わず難解な研究を続けて生き切った吉本隆明のような例は稀有である。といっても、日本で博士号を取っても、原則その後に待っているのは<野>である。
世間の需要に応えることと真理とは同じではない。
どのみち名を売らねばならないとしても、世界を人文知でベターにする仕事をしようとする者が選べるのは、ジャーナリズムかアカデミズムである。いろいろ考えて自分は完全に後者を選ぶことにしていた。まずは独走することが必要と思ったから。
別に読者や査読者の助言を聞かない、というわけではない。そうではなく、自分のなかの忖度が作り上げる読者や査読者との戦いである。狭い現代日本には、そういう虚構の他者で溢れかえっているのである。欲しいものではなく売れるものが売れる、とはそういうことである。
そういうわけで、とにかく虚構の他者から逃れて独走しなければならない。自分には「読者とともに」、なんて観点はない。そんなにみたいなら背中をみてもらうほかないのである。こういう人間には、とりあえずアカデミアがあることがありがたいのである。
「自分が死ぬと世界は終わる」よりも、ほんの数秒前の世界は消滅してる。大森荘蔵はこれを奈落と言ってたな、たしか。
個人的になんか調子おかしくなり始めてるな〜って
兆候、お風呂入れないとか歯磨きが出来ないとかの少し前に"化粧がなんかいつも通り出来ない”が入って来る。眉毛とかマスカラとかをいつも通り引く集中力が無くなる。あと単純に化粧が楽しくない。
料理がめんどくさい理由の9割が「もうそろそろご飯作り始めないと間に合わない」ってタイミングで料理始めるせいなんじゃないかと数年前に思って、じゃあこれってレシピの難度とか時短とかじゃなく生活全般のタスク管理が問題の本質じゃんってことに気付いてしまってから言葉選びに困り続けている
物語の主人公というのは「変化量/関係性/影響力」
の最低でもどれかひとつ(多くの場合はみっつ全部)が最大なんだけど、ゴルゴって「影響力」のみに特化した<主人公>なんだよな。
その狙撃能力を使って「他のキャラが抱えた問題」
を解決する。
幼少期に親にめてもらえなかった人の中には大人になってワーカホリックになる人がいる。彼らは「何かを成し遂げないといけない」「何者かにならないといけない」と思っていて、休むことに罪悪感がある。こういう人が頑張っているのは自分のためではなく、親に認めてもらうためだったりする。だけど、
ニュアンス的に「恋愛感情が無い二人が好き」というのは「恋愛感情が無い(にも関わらずこんな異常なほどの距離感でお互いを大切にし合っているヤバい)二人が好き」に近いので「恋愛感情には至らない一歩手前の感情」ではなく「恋愛感情に匹敵する
別の種類の激重感情」なんだよな
「ちょっとしんどい」とか、「頭痛いんだよね」とかの小さな現状報告を、別に言っても治らないのわかってるけど、つい話してしまうなって人がいること、当たり前じゃないし、大切にするこれからも。
反抗期を親目線で「反抗」と捉えるのは権威主義的であり「私とは意見が異なる人」として向き合うことが大切、という話を聞いたけど、別の見方では、子供の決死の反抗を理解ある体で包摂してしまう方がずっと残酷だ。子供は親よりもっと大きなものと戦っているんだから。牙を抜かれた子供たちの多さ。
自分の好きなようにやってきた人が、「社会のために」「誰々のために」のような大義で動くようになるのは発奮したようで実は調子を崩すきっかけになることがある。つまり、「〇〇のために」という理由付けを求めるのは実は調子が悪いときであり、それが仇となって思うような結果が出ないことがある。
僕自身は地域性から暴力耐性があり本職じゃない人に凄まれてもビビらないし、本職の人は弁護士には遠慮して悪意を剥き出しにしないから、怖い目に遭ったことはありません。ただ一度だけ大阪府管マル、課長と対峙したときは立ってるのもやっとで、暴力を生業としてる人の恐ろしさを実感しました。
「組織や立場によって人は容易に変わり得る」「自分の人格や価値観もこれまでの経歴が培ったものにすぎない」という点は重要で、いま弁護士として人質司法を批判している人も仮に検事の道を歩んでいたら「罪を認めない悪人をみすみす釈放するなんて」と義憤に駆られていたに違いないわけです
別姓の是非はともかく、国民全員が佐藤であってはいかんのか?姓は多種多様であった方が良いというのはそれ自体かなり強い(美的?)価値判断であるような。
お勧めしたいのは、日常の出来事や、そこで展開された関係性や感情の割り切れない複雑さを、要するに、と切り捨てるのではなく丁寧にデッサンするような日記を書くことです。その修行です。生活のデツサンです。そのうちに思考が単純でなくなってくる。
どちらか一方を取るのではないと言うと、中庸とか中道と言われるわけだが、そうじゃないんですよね。もっと難しいんですよ。もっと言葉数がかかることを考えなければいけない。それは文章力の問題になってくる。
アイロニカル方向に行くともうそればっかりになるし、ケア方向に行くとそればっかりになる。もっと難しいことを考えてほしい。
冷笑的という言い方は嫌いだが、アイロニカルな態度というものと、よりケア的な態度というのを対立させたり、時代の変化として語るのをちらちら見るが、それは両立するのであって、なぜその両立の複雑なる深みを追求しないのか、と思います。
前々から儀礼っていうキーワードを僕は言っていて、倉下さんの新刊ご紹介でも思ったけど、どうも流行り始めているらしい。流行り始めると、おそらく硬直化する方向に行くだろう。
寄り添うことと、距離をとることには同じだけの真面目さが必要である。
ワクチン被害者は、経験則では、10万人に一人くらいで起き、これを百万人に一人くらいもっていければ行政的によし、だったんだが、コロナ騒ぎでさらにめちゃくちゃになった。
ワクチンは歴史的に見ると、被害者が出るものだから、そこをどう行政的に対応するかが問われるべきなのに、そのとば口でお話にならない状態に見える。
中学生や高校生のとき膨大読めたのは、読みが雑だったからというのもある。E.H.カーとか、岩波新書のさらっと読んで、くだらねえとか放った。トインビーの全集も読んだ。
十代でめちゃくちゃ読むと、逆に、いい加減になんかわかった気がして、本当は読めてなんかいない。
デカルトの『方法序説』とかもろにそう。「我思う、ゆえに我あり」とか、まあ、なんだろ、多分、ほとんど理解されてないんじゃないか。自分も長くわかんなかった。
アスリートを前にして、「皆さんは身体能力に優れているので、机の前で画面を睨んでいる方々とは違う」と言うのであればどうか。もしそれは差別発言ではないが某知事発言が差別だと感じるとすると、そのように感じる観察者の持っている与件の方が差別的ということにならないかなどということは思った。
某知事の発言、「その知性で他の職業の方々をお支えするのがあなた方の仕事」と付け加えればよかったのではないか。
学者出身知事がそういうこと言えばそう受け取られるということを踏まえない時点で政治的に無能と断じて構わないと思うが、さりとて、その発言が本に差別的なのかどうかはもう少しちゃんと考えた方がいいのではということは、この件に限らず「失言」の類についてよくあることである。
"本は、読み手が、書かれている内容について系統立てて内省していく方法を知ってはじめて、内省のための道具となるのである"
『人を賢くする道具ーーインタフェース・デザインの認知科学(ちくま学芸文庫)」(D.A.ノーマン)
対人表現というものは基本的に自己投影の世界である。ヤンキーが威嚇するときは「自分ならこれでビビる」だし、プレゼンテーターなら「自分ならこれで納得する」、笑かす人は「自分ならこれで笑う」だし、罵倒する人なら「自分ならこれで凹む」ということで、自身がもつ性向をその相手に開示している。
スマホもSwitchも使いこなしてる4歳みてて思うけど、むしろこういうのを「学業が始まってしまう年齢で初めて触れる」方がまずいだろ......」って危機感の方が強い。
だって動画媒体もゲームも「文字も数字も読めない4歳」ですら楽しめるUIになってるんだぞ?つまりあれ知的には離乳食みたいなもんだよ
ドーキンス「キリスト教の信仰は馬鹿馬鹿しいと思うし一言もじないし、それをじる人が減っているのは良い傾向だと思うが、教会や大聖堂にはなくなって欲しくないし、文化的にキリスト教の社会に住みたい。イスラムは無理」
高々とフリーライダー宣言していて笑ってしまった。
⇒文化は少なからず宗教的な側面を持つし(シームレスだし。人工的に作り上げてすらそうなるだろうし。)、文化なしで人類を統治しようとしたら、治安も連帯も貢献も極小になってしまうだろう。「こっちだけなくなればいいのに、という都合のいい思考実験はありえない。
リアリティって『現実味』とか訳されるから創作者
側に誤解する人多いけど(お客さんの側は細かく考える必要ない)、『説得力』であり「いかに白けないでお客さんに楽しんでもらうか』であり『作者側の御都合(作られ感というかりをどうすか』なので、突き詰めると先日の『キャラ立ち』にも繋がったり。
私なら、マウスで範囲してctrl+Gで空白セルのみ選んで、=↑
と入力するなぁ
Excelの数式で一番印象に残っているのは、=IF(A2="",B1,A2)
ですね。
この数式のおかげで、丸2日かかっていた作業が30分くらいに短縮できました。
若いリーダーに期待なんて、リアルじゃないと僕は思う。大事なのは長老ですよ。
この2020年代くらいからの距離感として「昔のこと」を知ってる人がどんどんいなくなるのは、ほんとに危機感を覚える。
…しかし、世代交代という感慨。それは僕にとって基本的に寂しさです。偉い年長者が屋根を支えてくれていたのはやはり安心だった。
若いリーダーに期待なんて、リアルじゃないと僕は思う。大事なのは長老ですよ。
『新潮」の矢野さん退任。大変お世話になりました。まだまだこれからもお世話になると思いますが。矢野さんのさりげないひと言から学んだこと、温かい励ましによって背中を押されたこと、いろいる思い出されます。
歳をとったら物事に慎重になる。複雑なる慎重さというものがある。それは得難いことなんですよ。
本年度で、小泉先生と西先生が特任教授としての任期を終えて先端研を去られる。今年で70歳。うちの両親と同じ歳。お二人が健康にさらなる刺激的なお仕事を継続されることを願います。
フリーレンもだけど、薬屋もかなり一般受けしそうにない設定なのに大ヒット。私の考える「一般受け」が実は間違っている説が浮上しているので、自信を持って独自路線を突っ走っていきたい。
このニュースから、どうもイギリスはもう精密鋳造の技術を失ってしまったか、もしくは普通の値段ではできない産業構造の国になってしまったらしいということが読み取れていて、あとは全部イギリスが失敗したことを日本は失敗してないと憤懣やるかたなくあげつらってるだけか、とわかる件。
30年くらい前まであんまり甘くないイチゴが大半だったのでイチゴを専用スプーンで潰して砂糖と牛乳かけて喰うというのがわりと一般的だったと言ったら嘘つき呼ばわりされそう
コミックスが最近、物流の上昇をうけてかしらんが、1冊600円どころか900円近くになってて、それはいいんですけど。
なんで電子書籍も一緒に値上がりする?いや、理由はわかるけど、マジで流通関係ないんだから、逆にさげてくれません?いい加減、価格同じは納得しがたい
「ゴルゴ13は悪人しか殺さない」という誤解は根深いな。
あの人、結構善人も殺すんだよ。
まぁ依頼人の悪党が裏切って返り討ちにあう展開も定番になって久しいが。
BBCの日本記事は2つ側面があって
・円安で訪日客が増え、日本を「隣の青い芝」として扱う日本age記事/動画(向こうの出羽守とも言える)が結構増えている
→日本で出羽守に対する掣肘があるようにそれに対する掣肘もあってしかるべき
シン・ゴジラ、人間ドラマを描かなかったのが良いとよく言われるけど、泉ちゃんが矢口蘭堂に総理になるなら応援する、見返りは幹事長のポストでいい、といった上で、矢口蘭堂がヤシオリ作戦で死地に赴く際に後を頼むと言われ、それに幹事長なら任せとけと返す情緒とかは良質の人間ドラマよな、とは思う
プラハは今は大麻ショップが立ち並んで観光客だらけで資本主義化されてないとは言えないですね。ブダペストはプラハと同じくらい安全で綺麗な都市ですし、ブラチスラバが綺麗なのは中心部だけ。自然(山)は良い。オーストリアはウィーンはもちろん治安がいいだけではなく綺麗だし、西部も麗。
実際に東欧数力国いった印象(8年前くらい)
-ハンガリー(ブダペスト) 電車に落書きとかが多く、地下鉄のホームもなんか嫌な感じがした
-チェコ人が親切、街も結構きれい、いい意味で資本主義化されすぎていない
-スロバキア 一番きれいで物価安くて美人多かっ
た
- オーストリア 治安いいけど物価高
接客業やると、お客さんウケはいいのに一部のお局従業員に嫌われやすい発達障害民
その通りです!マニュアルに忠実なのでホント一部の人にはウケが良かったです。ですが、臨機応変を求められるとマニュアル効かない。融通きかねーなーとお局に目をつけられる。コンビニ学生バイトの頃はマニュアルビデオ通りに忠実に再現してました。
日本の周りが優等生諸国が多すぎて認知がバグりがちですが、30年であれだけ成長を成し遂げた韓国、シンガポール、中国、台湾等アジア諸国の成長は、グローバル全体で見るとどちらかというと例外的なのが分かりましたね。
30年でじゃあコートジボワールやらハイチが成長するかというとまあまあしない
まともな研究者同士で激論してると、「あなたの言うことは正しくないと私はじるが、あなたの言うことが間違っていると証明するのも難しい」みたいな領域の論戦が95%くらいを占めたりする。研究に興味ない人が見たら何をやってるのか分かりにくいだろう。
これは人生の真理なのだが、感謝をしている時が一番孤独を感じない。
⇒人工的にというか、意図的に感謝をする場合だと効果はどうか。