2024/2/16-2024/2/20
心が動くだけで1点、立ち上がる(物理的に)だけで1点
▷RT @s40132041i: ♯大体全てはこいつのせい選手権 農学部の作物研究室の先生が 「これのせいで、100年間で世界の人口が15億人から60億人に増えた」 って言ってた pic.twitter.com/I9Uj0ic7AE
▷RT @Yuichi_Hosoya: ところでウクライナが米国の兵器を提供されたことで、この戦争が米国の「代理戦争」と論じるならば、ロシアが北朝鮮の兵器を提供されたことにより、ロシアは北朝鮮の「傀儡」となり、北朝鮮の代理戦争をしていることになるはず。論理的には。もちろんそんなことはないと、私は思いますが。
▷RT @amanesiku: これ泉さんの感覚が逆なんですよ。現代は大量生産の効果で、我々の身近なモノが相当安く買える時代なんです。その分、大量生産じゃないモノは異様に高く見えます。が、それが歴史的な本来の(手工業ベースの)値段であり、たとえば自動車より遥かに簡素な「馬車」も現代換算で数千万円から1億円でした twitter.com/M_03_25/status…
▷何書いてあったんだかわかんねー!! 文字の大きさやインデントは、ただの装飾ではなく、それ自体で意味を持つ!
▷←元の写真。ここからiOSの機能でテキストデータを抽出した。→ pic.twitter.com/pi2oGqjTiH
⇒厳密には、「メタな情報」を持つ、か。しかし、意味を失う、と言っていいレベルで分かりにくい。図を失っていることを差し引いても。
▷子供のテスト勉強に付き合って、教科書からテキストデータを抜き出して、用語穴埋め問題集でも作ろうと思ってたんだけど、
▷しっかり寝られると頭のなかがしずか、とかそういうことあるよね。
24時間営業でラーメンにご飯と餃子つけたセットが900円だった店、労基法違反で指導が入った結果こうなった「これで良い」 togetter.com/li/2315491
▷@yokoyama_bancho めちゃくちゃ面白かったです! こういうタイプのお仕事も来るようになるといいですね!
▷穏当であることのみを理念にした文化集団が必要になってくるな。(≒マジョリティ(サイレント)しぐさ or 前例主義)
▷スターウォーズのテーマや2001年宇宙の旅のテーマはそれとして認識していたけど、バックトゥーザ・フューチャーのテーマを「え、このメロディーってそうだったの?!」ってのは今日になって知った。
▷それを言われた子供のほうで、「そうなのか…、ぼくはわたしは、欠陥人間なのかも……」とへこみスパイラルに入ってしまうというなら、上等だ、コラ。(暴論
▷子に対して、「きみ、この対応は親学部の最新の論で提案され、学会で広く賛同を集めている対応なんだ。だからこの対応をされて受け付けられないとしたら、それは君のほうの問題が大きいのだよ、反省しなさい」と言えるなら、学びたいなあ。 twitter.com/akizukid/statu…
▷悪意や不幸が描かれていると、「作者は社会にその不条理があることを肯定するのか!」と言われ、ハッピーエンド(解決)が可能な、程度の軽い不幸を扱って幸せな画を作ると、「楽をするな、偽善だ!」と言われるという、逃げ場のなさ。
▷RT @konoy541: 作中に理想世界が描かれてなければそれを難ずればよいし、描かれてれば「これは所詮フィクションだ!お話しでガス抜きされてはならぬ!」とやることができてコスパがいいんですよね、この手の筆法。1930年代の文芸批評とかにいっぱい出てくる。
▷RT @konoy541: 作品それ自体より、それがどれくらい「社会的な望ましさ」を体現しているかを採点基準にしている層が可視化されるということでもある。
▷RT @konoy541: おっさんずラブをめぐる評価の変遷というのは現代日本の思想的変化を考える上で好適なんじゃないかと思う。当初は「日本でもこんなテーマが」的に評価されてたのが、今では現体制の保守的イデオロギーの隠蔽装置くらいの扱い。
▷つい、小学生過程のほうばかりをいじりたくなってしまう病。 天才を生み出せそうな浪漫があるし、少しの刺激で、将来に大きな変化が起こせそうだし。 高等教育のてこ入れのほうは、どうしても、駄目な人や凡人が、どう食っていくのか、という心踊らないテーマがつきまとうしなあ。 twitter.com/finalvent/stat…
▷今、冷蔵庫からパックごはんと納豆を持ってきて食べようと思ってたんだけど…。 ほら、両手に物を持ってゴミ捨て場に行くと、鞄のほうを置いてきてしまう、って話あるじゃん? 納豆のたれを、白いご飯のほうにかけてしまってですね…。 “ ←New!” って感じだったわ!!
中世ヨーロッパの都市共同体で、貿易商、小売商、職人として成功できるかどうかは、一つには、どんな客にも誠実で公正だという評判を獲得できるかどうか、また、勤勉で忍耐力があり、几帳面で時間を厳守できるかどうかにかかっていた。(下巻P94)
⇒このような特質は、日本だと「前近代的」に思えるけど、相手の顔色や社会的ステータスを見ずに遵守するなら、確かに近代的なのだろう。
社会規範のパッケージがだんだんと、歴史学者が商慣習法と呼ぶものになっていった。
⇒規範と慣習法は、地続きなのか。確かにそうかもしれない。それは文化ということなのかな。
これは緩やかな進化のプロセスであって、現在もなお、わずかずつの前進の途上にある。(中略)市場規範はさらなる拡張を続け、今なお宗教、人種、性別、性的嗜好の違いが雇用機会、給与水準、実刑判決に及ぼしている影響をなくそうとしている。
⇒確かに現代でも、いろいろな縛りは残っている。そういうものから解放されるのはいいことなんだけど。それは結局、人の善性だけでは進むことはなくて、市場規範(≒資本主義の論理)によってしか推進されていかないというのが、悲しいね。まあ、弱者をケアすることが個体の生存にも、子孫の繁栄にも寄与しないんだからね。仕方ないよね。
もし、組織にも属さず、独りで生きていくのであれば、私利を図ろうとする個人は、掛売りや代金後払いに応じる面識のない相手を食い物にすることも可能だ。(中略)
このような組織はみな競い合っていたので、どの組織も、何とかして成員たちの社会化を促すとともに、ルールを守らせて、違反した者は処罰し、相手が被った損害を賠償しようとした。
大学は、その町や都市の経済成長を加速させたことが明らかになっている。
⇒アカデミズムがは本質的に、古典的権力から独立で、追求する方向性としてリベラルであるのは、その出自からして宿命的なのかもしれない。
⇒ただ、「王からの独立」はともかくとして、「市民の代表である政府からの独立した運営」や「出資者たる税金から独立した研究テーマ」が自明かは分からない。
⇒日本全体が大きな単一の市民団体であるようにも見做せると思う。そう考えたら世論によって大学の運営に嘴を入れることができるのは、別に間違っていないことになるはず。
しだいに、既存の慣習や法律の寄せ集めの中から、抽象的原則を導き出した上で、自らの都市共同体のための体系立った法規や政策を考案する能力を身につけていった。
⇒そういう意味では、神からの離陸としての哲学の、という側面だけでなく、抽象や普遍への憧れの後押しがあって哲学の発展があったのかもしれない。イドラからの脱出。
こうした永統的な心理的・社会的変化に最後まで無縁だったのは、①奥地に暮らす自給自足農耕民、および②最上層の貴族だった。
⇒貴族が血縁主義だったのは、特権を維持しようとしたからだけではなく、商業をしなくて済んだから、という側面もあるのかな。
戦争体験はやはり、内集団に向けた平等主義的な動機づけを強めると同時に、外集団に対する競争心を高めるようだ。(中略)
共同体の会合に出席したり、選挙で投票したり、政治団体や社会団体に加入したりする確率が高かった。分析データからはさらに、戦争の影響を大きく受けた人々ほど、学校運営委員会の委員になる確率が高く、また、協力し合って地域道路(公共財)の美化を図る「道路清掃」活動に参加する確率もおそらく高かったことがうかがえる。
⇒不幸がないと、人間は頑張らないんだなあ。楽しようとすんな。
つまり、戦争、地震、その他の災害に見舞われると、人々の宗教的なものへの関心が高まって、儀式への参加が増え、その結果、宗教団体が成長してくるのである。これは、相互に関連し合う二つの理由から起こる。一つには、戦争やその他の衝撃は、社会規範やそれにまつわる信念を強化することによって、人々の信仰心を深めて宗教活動に駆り立て、宗教団体への関与をさらに促す可能性がある。もう一つ、戦争のような衝撃は、ヒトの相互依存心理を掻き立てることによって、支えとなる共同体にさらに投資したり、加入したりするように人々を動機づける。
⇒日本は災害が多いから、日本人の信仰心が強いのは、そのせいもあるのかもしれない。
実のところ、社会システム全体が、戦争の心理的効果によって結びつけられていたという可能性もある。セピック地方の争いがオーストラリア軍によって鎮圧されると、それから数十年で、イラヒタのタンバランは瓦解した。
⇒人類、自分勝手すぎる。
⇒こうなると、「反日」とか、
・鏡映自己対象 理想化自己対象 双子自己対象 対立自己対象
緊張弓
インポスター症候群
スターン
ウィニコット
変容性内在化
チェーホフの銃
コンピュータやAIは映画や小説、漫画の中でいつも悪役だった。人間は幸福を求めてテクノロジーを開発しておきながら、それが暴走して敵となるストーリーを繰り返し描いている。それはなぜだろう?
押井:「人間は人間を信じていないのに、人間が創ったものを信じられると思う?多分、技術がわかっている人は安心なんでしょう。でもみんな結局ね、エンジンを直せなくても車を運転するし、飛行機にも乗る。コンピュータもスマホも同じ。だから、よくわからないままにAIと人間は共依存関係に入る。
永遠の疑問なんやけど中東系の男の人が常に誰かと電話してるの、誰と何を話してるん?
中東の若い男性たちは、電話で手の空いている友達たちと永遠に他愛もない話をしています。「元気?」「今何してる?」「弟さん元気?」「最近調子どう?」「元気?(n回目)」とか。むしろ中東ではこのどうでもいい話に付き合わないと"友達付き合いの悪い冷たいやつ"扱いされます。
イスラム教には『ラーハ』という考え方があり、家族や友達と過ごすことが最も良いとされています。なので暇だとすぐに友達に電話するのです。話の内容そのものに深い意味はありません。
公職選挙法は、結構なところ法律の解釈が都道府県や市区町村の選挙管理委員会、察署単位の取締本部などなどで異なることが多く、ローカルルールがどうなっているか、運動を始めてみないと分からないところが多い世界。素人が選挙に出て、「昔からこうなだ」といわれれば「ぐぬぬー」の世界である。
それで連座制を振り回されたら、誰も怖くて選挙になど出られない、ビッグ・ボスの後ろ盾がないと選挙運動など出来ないという、まさにどこかの権威主義体制のような国になるでしょうね。本当にそれで良いのか。
まぁなんというか
「保守整備しなくても死傷者が出てないから安全」
「全原発を止めても停電してないから電気は足りてる」
「ダム建設を中止しても(すぐには)災害発生してないからダムは不要」
ということとで「コンクリートから人へ」路線の正統後継者という風格がある(褒めてない)
外部の人間からは、「あんな馬鹿馬鹿しいことまさかみんな本気にしてるの?」というような主張がその内部では平気でまかり通ったりするのもこのメカニズムですね。
運動というのはそれが運動である限り、原理主義への傾きを自らのなかに有しているというのはそういうことですね。
右にせよ左にせよ、より極端な立場からの批判には極めて弱なので、キャンセルに寄り添いつつその都度文脈に照らして批判の妥当性を検証していきましょうと主張する一見温和な論者が実際に文脈を検討して「この批判は行きすぎです!」と判定することはまずないんですよ。自分が燃やされちゃうから。
日の丸、君が代、天皇陛下はみたくない......というこの屈折こそが戦後文学のスタートなんですがねえ。あるいはアプレゲールの誕生とも。反日と唾棄するのは簡単ですが、ねえ。
永六輔やマルセ太郎が晩年反日とか言われていた記事を見たが、小沢一や野坂もそうだが、戦争世代の彼らの屈折ってのは、今となっては察するにもすべて察せない、あまりにも悲しくわからないもんだよな。
愛国商売があるように反核商売もありますわなあ、というだけの話にも見えるのですが、少なくとも初の当事者たちは割と単なる「消費」としてではなく、ある種の「運動」としてもやっていた部分があったんですよね(それがまさに「消費者運動」なわけですが)。そういう話の一つの帰結かなと。
「大地を守る会」の食材で育てられた身として、オイシックスのあれこれについては、80年代の反核ムーブメント(特にチェルノブイリ以降)と不即不離で、伸びしろも主にそっち方面にあったわけで、言うなれば骨がらみだからなあ、という目でどうしても見てしまいます。
「vlookupの可読性はindex、matchのそれを上回る」というのが理解不能というエアリプを見たが、やっとの思いでvlookupを習熟した人にとってindex, matchは「フリーザを倒したそばからセルが現れた」ようなものだと思うんだけど、関数初学者に優しい情シスでありたいと僕は強く思いましたとさ。
まあ確かに大は小を兼ねる関係なんだけど、2列のマスタを参照するだけの処理でVLOOKUPでサラッと済むものをわざわざ複数の関数で組む手間のほうがばかばかしいんですよね。適材適所。
アベノミクスの恩恵を一番受けたのは他の誰でもなく泉房穂だと思うよ。
地価が上がって固定資産税の基準が上がったことで各地方公共団体は税収の恩恵を受け、子育て支援事業も3兆円から6兆円にまで拡大した。
泉房穂の誇ってる実績の9割は何の誇張もなく「安倍さんのおかげ」だよ。
表現の自由というのは受け手あってのもの。ゾーニングとは「特定の表現物の流通を制限する(減らす)」規制なので表現物を公衆に伝える権利、市民の知る権利を直撃する表現規制そのもの。
実際はセリアに負けたではなぐ"やられだ”と言ったそうです
洗練された店内とおしゃれな商品に生前感銘を受けたみたいですね
なので最近はダイソーもデザイン性に力を入れていますが結局無印やニトリのパクリだと言われがちなので先駆者のセリアは強いです、、、→笑
個人的にセリアで買ってダイソーで買わないものの中で代表的なものを一つ挙げるなら裁縫関連です。
刺繍糸やフェルトを見たら糸や生地の質の差が一目瞭然なので機会があれば見比べてみてください。セリアの糸や生地は専門店の商品と比べても遜色ありません。
一時期ですが
ダイソーとセリアは同じ様な商品を同時期に出しても、
ダイソーは黒と白
セリアは
◎型★型、黒と白
の様にデザインの差を感じました。
個人的な意見です
校正の読み直しで、ここはこの言い回しよりこっちだなと変えようとすると、直後にその言い回しが出て来てそちらも変えたくなり、いろいろいじった結果最初に戻るということがある
ひらがなにすることで統一した言葉が、ある箇所だけ周りにひらがなが多すぎるために漢字にしたほうがいいということがあり、そういう判断はあり得るのだが、それは論理的ではないので、許容しにくいものがある。だがあり得る。
Al動画色々頑張ってた人が新型AIにぶち抜かれて
「AIの進歩の速度......人間の努力とは......これは人類のアポトーシスなのでは......」って世をんでるツイが流れてきたけど、アーリーアダプター風情がイノベイターと正面からぶつかったら挽き肉になるのは然でしょ目を覚ませ
キャンセルはされなかったけど、訃報が流れても「たかが電気の人か」言われて凄く冷めた反応だったのを覚えてます。曲は残っても名前は忘れられていく人なので、わざわざキャンセルされないだけだと思います
坂本龍一がパートタイム活動家として馬鹿げた事をやらかしまくった時、それでも、無関係な彼の音楽をキャンセルしろなんて動きは盛り上がらなかった。皆無とは言わないが、盛り上がるまではいかず、実際にキャンセルはされなかった。
あれは、坂本龍一の愚行を批判する人々のマトモさを示していたよな
この選択肢を選んだことは時において最善ではなく、愚かとさえ言えるかもしれないが、そんなところがいかにも自分らしいなと思えてからが人生本番なのであるう。
今の知識をすべて持った上で学生時代に戻ったら大学院はこう選ぶみたいな知識はまあ有用だろうが、その場合はそもそも大学院を選ばない可能性がだいぶあるという人も少なくなさそうである。人生は多くの場合、愚かさと無知による意識さえしてない無数の選択の積み重ねを抱き締めることでできている。
ブラタモリの件、実際にマンスプしてるかどうかとは無関係に、「年長の男性スピーカーに年少の女性アシスタント」という組み合わせそれ自体が隠喩的マンスプでアウト!という話なので、番組観ないでも成立する批判なのですよね。最近はこの手の読まない、観ないで済ます批判がとても多い気がします。
「石がよかったな」
俺は今回の件で、そう学んだ。
怪異と戦うときも、素手よりは石とかで攻撃した方が勝率は上がる。硬いしな。みなも怪奇現象に遭遇したときは武器を使おう。
いいスライドだ
ヒーローを目指してはいけない
大学院でOSの講義取るとOSおもしれ〜ってなるし
ネットワークの講義取るとネットワークおもしれ〜〜となるけどソフトウェア開発プロセスみたいな講義はなんか「現実はそんなきれいに開発進まないんだよなあ」と思うことが多かった。OS、ネットワークを楽しめたのは深淵を知らないだけなのかもしれない
ただ目的を果たすだけで、余計なことを考えないようにするとき、行為は必ずしも最も効率よいやり方になるわけではない。身体は最適解を出せず、まあ次善になるので、遊びが生じる。それは考えて出そうとする遊びではない。すると、ただの目的志向行為がそれだけで抽象芸術に近くなる。
人の大半は凡庸なモデルで合理的に構成できる。人間生活は、凡庸なドラマに似ている。問題は、合理的モデルのルール違反の確率なんで、その安全性から距離を概算する。
と、まあ、人間に接する基本を自分が間違ってる感はあるが、他にどうしようもない。
「人間関係で適度な距離感が保てない人」の一人としての実感からすると、他者をある合理的モデル(感情を含めて)にして接しているが、他者が合理的モデルのルール破りをすると困惑する。
古今東西あらゆるカルトやマルチでまず行われるのが「人間関係から孤立させること」なので、いかにノスタルジックな憧れがあっても、「社会との接続を絶たれた人間は効率よく狂う」という統計的事実には逆らえないのである...
主婦がカモられやすいのも、知性とかの問題でなく、孤立しているからなので
ナワリヌイなんて大統領の器でもなければ広く国民に担がれるような存在でもなく、日本で言えば山本太郎程度の存在で過大評価にも程があったのだが、そんなのをここまで必死に弾圧して死にまで追いやるプーチンの姿は、彼の誇示したがるマッチョさとは裏腹に、あまりにも猜疑的で狭量で気弱である。
「体系的に学ぶ」って一つの幻想で、すでに決まりきった情報は手に入るのだけど、学びと言えるほどのものは理解の及ばない限界のところにあるから、どんなに学んでも学ぶことだけではインポスターの気持ちから解放されるということはないのでは
熱烈な支持者のふりして邪魔な政治家に近づいて
「めっちゃ応援してます★」って言って笑顔で並んだ写真を撮って選挙のタイミングでリークしたら最強じゃん統一教会。
女性の大多数は真正のレイプを受けたことはないが性関係で嫌な思いをした経験ならあるので性加害事件に嫌悪感を抱くように、ほとんどの男はレイプ魔に仕立てあげられたことはないが女性の一声で悪者になった経験は当たり前にあるので伊東純也や草津の事件に不安と憤りを抱くのです。
推理小説をきちんと推理しながら読む人、偉すぎる情報の整理も論理的思考も出来ないから「ウワーッツなんか人が死んだ!!」「なんかいっぱい容疑者が出てきた!!」「クレバーな探偵がなんか全部解決した!!スゴ!!」
って読んでる
フェミニズムとか反差別とか言う人の中に、なんしか「意図」にやけに重きを置く人間が多いの気になってる。表出したものより「意図」で有害無害、有益無益を決める。そんなもん客観的には読めないので、どんな集団から出されたかから偏見でそれを判じるため、少数者排斥と非常に相性が良い
この詐欺メールの何が失笑するポイントなのかというと、仮にこれが本当だとすると、相手はこちらのPCとスマホへの全アクセス権を持っていることになる。
すなわち銀行口座から何から全て抜き放題のはずなので、ビットコインなんて回りくどいことをする必要ゼロ。笑えてしまうw
凄いんですよ。うちのPCにはカメラがついていないのに、私の顔が撮影できてるらしいんですよ。きっと相手は超能力者に違いないんですよ。
男は嫌な作品を見てもスルーするが、女は創作でひどく傷つくという話、男はたいてい単タイプだから
2倍食らっても耐えるが、女の中には「炎+飛行+虫」みたいな複合タイプがいて、岩8倍弱点だからステルスロック踏んだだけで即死するみたいな話
聞いて流石に笑った
大日本帝国が民主主義国家だったっていうと「怒る」人がいますが、普通に戦前あたりの日本帝国見ればわかるんですけど、選挙権の条件や議会など「普通の欧州列強」というほど変わらない時としては議会制民主主義国家ですよ。普通に。
あれで民主主義国家じゃないなら時の世界に民主主義はない。
帝国主義と民主主義は並立しますからね。
属性は一つって事はない。
火属性と風属性と雷属性の3属性を持つチートキャラがいるように。
アメリカの非白人参への政権拡大は1965年ですし、フランスの女性への参政権拡大も1945年ですね。
現代の価値観だけで考え、時の価値観と事実を無視する人は多いですね。
まあ現代の価値観や事実すら無視する人もいますが。
臣民だし検関も治安維持法も貴族院もあったけど、=時としては標準的な民主主義と言っていいでしょうね。
それよりも未だに検閲があって明るい安村に全身タイツを着せる国が隣に(検閲により削除)
問題は陸軍・海軍が勝手に戦争拡大できる体制だったということであって、民主主義体制であっても抑えられないということなんだよな。結局、政治家は軍部の方を見て政治していたという。
統制を欠いた軍隊ほど恐ろしいものはない。
GHQによる「日本に民主主義をもたらした」という宣伝に対し
昭和天皇が
「明治帝が発布された五箇条の御誓文により日本は民主国家になったという歴史を考えてほしい」と言われてましたね。
人権を絶対の正義と振りかざされるのが怖いんだと思う。誰かの人権を守れば、誰かの人権を侵す可能性もあるわけで。お互いの権利を守るには主張ではなく譲り合いしかないと思うけどなぁ。難しいね。
東日本震災の時も感じたけど、災害があったらずっとその地の人は「かわいそうな被害者」でいてほしい人というのがいるんだな。寄り添って優しさのアピールするために。あと「まだこんなに苦しんでいる人ばかりなんですよ」と政治批判に利用するために。
⇒所与性?
結局、戦後の日本の知識人は、米国の戦争は批判するけれども、ソ連(ロシア)や中国の戦争は批判しない、というのが一般的傾向だったのでしょう。1980年代のソ連によるアフガニスタン侵攻や、中国によるベトナムへの攻撃について、日本国内で「反戦運動」が起こった記憶がありません。
いつもながらすげーなぁこの連ツイ
日本が政界・財界・メディア・世論揃って米国に甘い、政治・文化・学問から何もかも西欧かぶれ、その裏返しとして極一部の知識人が反米に見え、米国の戦争に対して反戦デモが目立つだけですよ。
それはちょっと偏った見方では?中越戦争やアフガン侵攻の時代には、左翼勢力は国民に見放され、もう大規模なデモが打てる力がそもそも無かったです。アフガン侵攻への批判言論自体はそれなりにあったんじゃ?平和主義者が党派的だったのはもっと前の話と認識しています。
日本だけでなくヨーロッパも、ソ連がWWIIを連合国の一員として戦ったことを理由に戦後の振る舞いに対して甘かった
世界史を勉強すれば、中露よりもルネサンスや宗教改革→産業革命なるいくつかの過程を経た西欧州・北米=西洋からの汎ゆる事象の世界への波及ぶりが注目されるのは皆然。アメリカはそのディストリビューター的役割で目立ち過ぎだったからこそ中露以上に厳しい視線で注目されるのは然なのだ。
一見そう見えるのは日本がアメリカの同盟国だからだと思いますけど。
友人が誰かと殴り合いの喧嘩をしていて、その暴力を止めようとするとき、相手の方を抑えに行きます?漫画でもドラマでも友人の方を抑えることが描かれるでしょう?
相手を止めに行けば友人への「加勢」になってしまうからですよ。
もちろんその時には友人と相手と双方にやめろと言うし友人が殴られそうなら庇うわけで、戦争への批判自体は両方やってると思いますけどね。
それと市民による「反対運動」は自国政府に問題があるときこそ意味があるので、対米追従政策に対して燃え上がるのは然かと。
いちおう民主主義国ですから。
ベトナム反戦運動はあったがアフガニスタン反戦運動はなかった。左翼がダメになっていった理由がそこに凝縮されている。彼らは日本の戦争と戦争協力者への批判には熱心だが、彼ら自身が応援した北べトナムの戦争とその後日談(ボートピープル等)には無批判かつ無反省。つまり仲間の戦争は良い戦争。
旧ソ連がドイツに核ミサイルを配備する計画に、西ドイツがアメリカ製の核ミサイル導入で対抗しようとした。
その動きに日本の文学者は、アメリカの核兵器だけを批判する運動をした、それを時吉本隆明が「『反核』異論」という文章で批判して大きな話題になったな。
その逆じゃないの?知識人がアメリカのアフガニスタン侵攻を批判してるのを聞いたことないし。ソビエトや中国に関しても悪口しか聞いたことないから
ウクライナ戦争までロシアがどんなに悪い国かと思ってたし。もちろん中国に関してもね。
日本政府は、米国の戦争に対して支援や賛同を、アフガン侵攻に対してモスクワ五輪不参加のJOC決定を支持した。続く選挙でそのことが争点にはならなかった。国民の支持を得た政策はニュースにならないし、「知識人」が声高に支持を表明する必要もない。と、そう思いたい。
日本で反戦運動と言えば、ベトナム反戦運動が最大でしたが、なぜ、ベトナム反戦運動が盛んだったかと言えば、在日米軍基地がベトナム侵略への出撃、補給、修理拠点になっていたからでしょ。
いわば日本が間接的に関与していたからです。反対にソ連や中国の地域紛争は日本は関係ないですから。