2024/2/11-2024/2/15
▷反権力の立場なのに、「政府の対策が不十分だ」という主張をする人 ↓ (税金も払っているし、うるさいことは色々言ってくるくせに) ↓ だったら、政府なんていらないでしょ?! アナーキーis最高! ↓ (革命だ!、政権交代だ!) ……こうか。
▷いや、この2段目をすっとばす(あるいは暗黙扱いする)の、テクニカル過ぎるでしょ。 「もっと統制したいのに、不十分だ」と言うか、 「統制なんて無い方がいいのだから、このままでエエデ」というか、どっちかにしたほうが論旨が見えやすいと思うのだがな。
▷「体制はそのままで、人だけを民衆思いの人に入れ替えれば、うまくいく」は無しの方向性で、ひとつ。
⇒それはファンタジーだから……
▷子供が入る中学が置き勉推奨だったりする場合、採択教科書を調べて、英語の「教科書ガイド」を買っておくと、投資対効果が高いです。
▷家庭学習で「英語の音読」って、英語そのものの習得効率もいいし、テストに向けた基礎情報がためとしては、もっと手がたい。
▷不機嫌な子供は返事をしなくなるから、余計に教えられない
▷個人的な記憶としては、「こっちが赤ちゃんになっちゃう(バブバブしたくなっちゃう)ような、包容力を感じる相手」に対して形容する言葉だった印象なんだけども。
▷本題と関係のない発言でごめんだけど、「バブみ」って、「赤ちゃんのように、可愛がってあげたくなる対象」に対する表現として使うんだっけ?
▷RT @finalvent: まあ、「子供を持つことは幸せだ」という了解が社会になければ、出生率は上がらないだろう。政府がこれを唱導することはできないから、せめて、子沢山の市民が、「子供を持つことは幸せだ」と語るといいだろう。子供四人くらいいる人とか。🌱
▷RTのようなことすら、自分と異なる生き方のリアリティーは想像の外なんだよねえ……。
⇒ましてや、他の職業社会、他の性別、他の年齢、そういうものは、よく知りもしないで「あれ、いらなくない?」と人間は考えてしまう。
▷RT @apricot_candy_a: 女として生きてきて分からないままなのが、「羽無しナプキンの存在意義」なんだけど…羽有りの方がズレないし安心感あるし便利じゃない…?でも売られ続けてるってことは「絶対羽無し派」もいるってことだよね?羽有り派が間違えて羽無しを買って絶望するのと同じことが、羽無し派にもあったりする?
▷女の子としての表象を、女性だけじゃない人もどんどん着用するようになり、若い人がしそうな格好を若い人だけじゃない人がどんどん着るようになったら、脱学習が行われて、若い女性への視線が減るかもしれない。
⇒関心のない人への無神経、だけでなく、マウントというか、「一発かます」感覚。
⇒これを、「品がない」「優しさがない」みたいな観点から切り捨ててはダメで、ある種のヤンキー仕草というか、サバイバルのためのムーブだったのだろうと推測する必要はある。
▷「女性だけの街」は成立できるかもしれないけど、発達タイプだけの街、ということだと……
▷定型の皆さんには、今日も社会を回してくれて、つないでおいてくれて、ありがとうやで。
▷@norixnori 狩猟民族同士が、たまに獲れた獲物を物々交換する、くらいの接触頻度ならなんとかなるかな? とかそういうイメージならできたんですけどね……。 いまの高効率・高度分業なシステムとなると……
▷思考実験として、「定型発達の人が世の中に多いので、その感じ方が当たり前で発達障害の人の感覚が異常のような受け取られ方をされますが」みたいな立論があるけど、じゃあ発達障害の人が9割くらいの状態で社会って回るのかな。
▷録画でようやく第一回を試聴した。話の内容そのものはテキストだけを先に読んだときと基本的に一緒だけど(そりゃそうなんだが)伊集院さんが繰り出す合いの手としての具体例というかたとえ話が、補助線としてなかなか強力。
⇒そういえば、このツイートが朱さんにお気に入りされていて。ツリーを含めてどこにも、「ローティ」とも「NHK」とも書いてないのに、よく捕捉したな……。って思った。
▷BCPとかの絡みで先に聞いた言葉だったから、「危機」とかそういうニュアンスなのかと思ってしまっていた。
▷「偶然性」って、"contingency" って単語がもとだったのか。
▷「少年のような瞳」って、「颯爽としているけどギラギラしていない」「生き生きしているけど支配的じゃない」みたいなことの表現(そんな両取りの人間いるわけないだろ!)だったろうから、アンチ的な言説を喰らうまではやっぱり女性側から生まれた価値観だったんじゃないかな。
▷RT @tobatoppers: 「好き」を見つけたかったはずなのに、「嫌い」を見つけるほうがずっと低コスパなので、良心で生きているはずの人たちが気づいたときには嫌いな人で溜飲を下げることになる、というネット空間。「好き」は情熱を傾けることが必要でリスクを伴うが、「嫌い」は欲望を垂れ流すだけでいい。
▷RT なにか良きもの、をもっと「欲しい!」という衝動のほうが生命維持には大切のはずなのに(食物が必要なんであれ、異性であれ)、怒りの対象のほうが探しやすくなってしまうの、社会的な進化の不条理だよな……
・移民2世でも、移民前の部族的精神性の強度がある程度引き継がれる件。
⇒これ、やっぱり移民に寛容にはなりきれないことになるよね。
・一夫一妻婚は、未婚の若者も既婚者にも、男の治安を維持させる効力を持つ。
・テストステロンの「悪意」(敵対心)性。(下巻p38/333)
⇒挑戦したいときは、リラックスだけじゃだめだな。テストステロンは上げたい。
⇒テストステロンは上げ、オキシトシンやセロトニンも上げ、でもノルアドレナリンや交感神経は上げないで、扁桃体なんかの不安心も上げないで、性衝動も上げない。そんな操作を自分の脳に加えたい。
⇒それにしても、テストステロン実験、脳の配線ループも知識体系も同じ人が、ホルモンだけで攻撃的になってしまうの、困り過ぎるな。できたら、性格も感情も、配線(経験)だけでできている生き物になりたいものだよ。
・《市場規範》
⇒ああ、たぶんそれはあるんだよね。時価とか明朗会計じゃない費用体系とかどんぶりなものに対する反感、みたいな要素とか。
たとえば、一二世紀頃から、長江流域やその周辺の交易は、微州商人(新安商人)の集団が支配していた。
徽州商人が圧倒的優位に立っていたので、いたるところで「微商がいなけりゃ、町に市は立たず」と言われるようになった。
都市化に伴って発展したのが、ギルドなどの団体の代表からなる運営会議や町議会だった。自治を行なうようになったところもあるが、そうでなくても、司教、国王、王族、諸侯などからは比較的独立していた。
⇒海外のNPO文化の根っこはこういうところにあるのか。日本は共同体が伝統的に強かった(稲作要因も含めて)ことを考えると、そういう「public」な運営はなかなか難しいのかもしれないな。高度成長から500年くらいは必要かも。
プレイヤーがキャラクターに応援されたり、キャラクターと二人で何かを達成する筋書きだったと言うべきでしょうか。
プロデューサーはそうではありません。「俺の嫁」とは正反対に、プロデューサーはキャラクターを応援し、キラキラできるよう後押しする存在です。この『アイドルマスター』をはじめ、プレイヤーがキャラクターを応援し、キャラクターがキラキラできるよう後押しするコンセプトのゲームやアニメは、その後急速に存在感を増していきました。
⇒《キラキラできるよう後押しする存在》。そういう読みかたもあるか。
⇒牧場物語やシムシティのような、育てゲーの文脈、あるいはプリンセスメーカーからずっと続く流れの中にあるとしか見ていなかったな。
⇒あるいは、「役割としての声かけの正当性」や「関わりかたのテンプレ」があるほうが他人と関係を始めやすいという、コミュ障的物語設定なのかと。
なんかこう、日本人の集団は、自分たちが共有するビジョンについて、概念的にリファインされたもの”だけ”ではリアリティが足りないというか、もっと本源的な「気合」とか「なんじゃコラァ文句あるんかコラァ」レベルの生命のエネルギー!のレベルでぶつけ合わないと、本当にお互いを理解して適切に協力し合うということはできないのではないか、というのをこの演奏を聞く度に思います。
そういう場所のほとんどは最新の耐震基準も満たしてないし消防車も入れないし…といった「明らかにそのまま残すわけにもいかない」ような矛盾を抱えがちですよね。
ここで、「悪所の魅力が好きなあまりあらゆる再開発に反対する人たち」vs「そういう魅力とか頓着ない人がとにかく無機質なビルを建ててしまう」みたいな永久に交わらない不幸な対立が放置されがちな問題がある。
⇒私は、個人的な感性として、「悪所」的なところに行きたい気持ちが全然ない人なんではある。チェーン店ばんざい。ただ、物語の一種として、そういう空間や共同体に憧れはあって、世界のどこかには残っててくれていい、とは思う。
⇒それとは別に、耐震・耐火の基準として、再開発が必要というのは、マストなわけですよね。(まあ、それすら相対化はできるけど、「自己でリスクを取るから、愚行権を行使させろ!」というのを、町一区画まるごとの運営に対して主張するのは、ちょっと無理があるかなと)
⇒そうすると、結局、やることは前提として、かつこっちも相当の熱意があることは示しつつ、相手の再開発の中に、こまかくこまかく、自分たちの思い入れを埋め込んでいくくらいしか、ないんだろうなあ。
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エディタはむしろない方が自然に感じますね。
おそらくエディターになると職業っぽくなるからかもしれません。
ダンプカ。
たしかに!
ゴレンジャ
卵の値段が下がってきたがマスコミは絶賛沈黙中。
高値の時はあれだけ騒いでたのにね。宝塚のイジメ問題もどうなったのやら...
なんでも英語しろは植民地主義という旨のTweetを見かけたが、今日のグローバル社会の英語は、グローバル英語として脱植民地主義的なんだけど。
人間の脳は、150人くらいの集団で生きるようになってて、言語も本来はそんなものだろう。
道長が強くなったのは、倫子の資産で、子も天皇家の資産を継いだからではないか。というか、倫子を来配したのも詮子なんで、兼家にはできなかった
富の体制変化だろうな。藤原氏が源家を蚕食したわけで、で、源氏物語は何故かこの鏡像になってる。
逆に中世から近世に読まれていて、現代であまり読まれなくなったのが、祈禱書。
「バイデン自身に問題が、あっても優秀なサポートチームがあればいい」は、王制の発想だろう。民主主義なんだから別の人を選ぶべきだし、そもそも大統領は議会に対する決断を要する。
ここには二つの特徴があります。一つは、「ここからここまでが全体です」という全体を構成する要素を列挙できること。もう一つは「これ以外は(当面は)気にしなくてもいいですよ」という有限化を行えることです。
もう一点、それに関係したことですが、情報がパッケージされるおかげで「知らない情報」にアクセスできるようになります。どういうことでしょうか。
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偉い人の唐突なアイデア、風通しを良くしようと「よかれと思って」放たれることがあるけど、現場にとっては「そういう次元でやってんじゃないんですよこっちは」としか思えないししんどいですね...。
⇒マクドナルド理論的な。
アメリカで学んだ正しい断り方 5つのステップ
1.オファーに対して感謝する
2.素晴らしい内容だと感想を伝える
3. 慎重に検討したことを説明
4.受けられない理由(スケジュール、家庭の都合、etc.) を明確化
5.相手の成功を確&願っていることを伝えて締める
『ゴッドファーザー』でも採用されてる
あれは燃やしたことが問題の主因ではなく謝らないことが主因ですらなく「ジェンダーバイアスの打破やジェンダー差別をなくそう」と言っていた人たちが「いちばん強固なジェンダーバイアスや差別心を有していた。男性というだけで差別して有罪と思い込んだ」ってことだと思います。
ジェンダーバイアスの打破や性差別を糾弾していた組織が「ジェンダーバイアスと性差別を率先しておこなった」ってのは致命的なんですよね。
謝っても正直これ「君たち心底性差別主義者でジェンダーバイアスを信じ切ってる人なのわかったけど、前科者レベルなのに性差別反対の先頭に立つつもりなの?」って話で。
過日『もやしもん』や『ゴールデンカムイ』のごときロー・ファンタジーについて、「どこまでがフィクションか判別するのは(専門知識がないと難しい」という感想を見て、そのようなフィクションとの向き合い方をする人が実在したのかと、かなりの衝撃を受けた。
この中でまるで歳をとって他人や社会に迷惑をかけてるという実感の中で
「私、安楽死しようかと思って...」と言い出したとしてこれは自由意思なのかね。
途端に明るくなる嫁、親類も揃って浮かべる安堵の表情。
明後日安楽死センター予約しましょうか。
「やっぱりやめた」とはもう言い出せない。
装わせている時点で、規範の浸透にはすでに成功しているわけですからね。
教室において望ましくない事態を防ぐためのガイドラインというものは、無知や不知によるうっかりや
あからさまに故意の嫌がらせが防止できればさしあたり足りており、「気を付けてる風を装い暗に揶撤」みたいなケースを防ぐことまでそもそも目指すべきかどうかは意見が分かれるところだろうと思います。
「一見、規範に従順なようでいて実はその攪乱を意図しているな!」という動きがすごく気になってしまうのは、まあ端的に言えば異端審問官的心性ですよね。
公立大は文科省の軛からは相対的に自由なのですが、その分、地方政治の入力の影響を受けてしまうのですよね。首長に手頃な「おもちゃ」として発見されないことは死活的に重要です。
認知症になると糞便認識が変わることがけっこうある。
「ネットウヨク」を無くす案を思いついた。「保守派検定試験」を実施すればいいんじゃないか。
「今回の保守派検定試験、どうだった」「政策問題は簡単だったけど、文化史が難しかったなあ」
「どのあたり」
「平安時代の天皇制とか」「それじゃ、3級止まりだね」
と、書いて、何か心に引っ掛かるなと、意識下から浮かび上がったのが、
『魔法科高校の劣等生』
『光る君へ』との違いは、お兄さまがお姉さまになってる点。
#光る君への史的なテーマは、九条流から御堂流への変遷。その面から登場人物を整理すると、見やすくなると思うが、ちと、難しいか。
「左派検定試験」もやったらいい。
「左派検定試験どうだった?
「政策問題は楽勝だったんだけど、ドイツSPDの歴史とか出題されると思わなかったよ」
受験とかしてグランゼコールに行った人がどんな勉強しているかも知らないしそんな世界があることも知らないから、
自分たちがやってることが最高と思ってる人もいる
ある意味その世界で生きてく自信につながっている
フランス人の格差がすごいと思うのは
グランゼコールに行くこと自体が念頭にないから、行く意味も分からず、そのためプレパの存在も知らず、勉強すると頭がおかしくなるぐらいに思っていること
そうなると日本の受験に対しても変なイメージもつようになって、もう会話が成り立たない
行けるかいけないかは別にしても
レベルが高い学校への行きかたをとりあえず知ってる、違いを知っている、行く意味をしっているというのは、機会均等の重要なポイント
これが日本だと「いい学校に行かれてもっとすごいことされてるでしょうが」とかいう言い方する人とかもいるが、
謙遜もあれだけど、凄い勉強しないと入れあいしベルが高い学校があることも知ってるし、何が違うかも知ってるってこと
知ってるってことが違う
「たらちねの」がなぜ母の枕詞なのか、正確な語源は未確定らしいけど、和の世でも「バキバキの」がたった一人によって童貞の枕詞になったことを鑑みると、飛鳥時代にも強烈な個性でフロアを沸かせたグレートマザーの存在を想像してしまう
日本の独立記念日は本来は4月28日なんだけど、これが意識に上らない装に「建国記念の日」がある。敗戦の日、9月2日が意識されないように装的に「終戦記念日」があるのと同じ。
"日本の都市は左派の理想(優れた公共交通機関、自家用車不要、安価な医療サービス、手頃な住宅の多さ)と
右派の理想(犯罪に対する寛容度の低さ、大量移民に対する慎重姿勢、核家族への強いサポート)の多くを満たしていると称賛"
面白い指摘
【ロラム】スウィフトもメッシも日本に、東京が変
「日本人の「コイツは叩いていい」みたいな空気になった時全員で袋叩きにするような精神性が嫌いだ」と思いつつ、反論して矢面に立つのも面倒臭いし、どうせなんにも変わらないからなあ」と思って傍観してる自分の精神性が嫌いだ。
僕は、自分に自信ができた分、若い頃には言えことでも、言わなくなったな。
言っても、正しく受け取られなければ誤解されるだけで、意味がないよ。
日本社会に階級差別意識が少ないのは戦後貴族制を解体したこともだけど、明治の支配階級が成り上がり者だったこともあるだろうな。
⇒織豊でもかなりすりつぶしたしな。外国勢力が入らないまま、3回もガラガラポンしたわけか。
自分も他人も同じように第三者から何かしら観察されているのにもかかわらず、「他人とは違って自分だけは観察されていない」と思い込んでしまう(あるいは観察されていることに気づけない)バイアス
ってあると思うのだが、なんか名前ついてるんかなこれ。
この件について、はてなブックマークで『ストーリーやキャラクターを楽しみたいのに性的な強調が娯楽の土台に当たり前に組み込まれること
への嫌悪』
と表現してる人がいてこの恐ろしいほど明確な分析に震えた。なんでそこまで解像度高く指摘できるんや
兄の名誉のためにいうと
彼はエロいアニメを無理やり薦めているわけではなく、何十年もおきまりで描写されてたエロ表現はアニメを見慣れてる人には気にならないものでむしろ↑ばかりの作品よりもテーマがあって斬新なものを見てほしい、といってるのねでもどうしても不要なスケベがついてくる
自分は自分の弱さを認める分、きちんと、社会的な「悪」に陰湿に加担しているという自覚はある。
なんで紅茶のチェーンのカフェが全国的に成立しないのか?
これたぶんめちゃくちゃ深いテーマで、いろんな立場の人集めて話をしたいきもち。なのでたぶんこうだろうな...というちあきさんなりの個人の見解はあるんだけど、SNSに軽々しく書くようなことでもないかな...と身近なプロの方、話しましょう
前に気になって調べたことがあるんですが、国内だと確かコーヒーのマーケットの1/10くらいしかなかった記憶があります
スタバのティバーナが挫折したり、本場イギリスでもコーヒー派が増えてるので、何かきっかけがないとコーヒー並の展開は難しそうです
いつも拝見させて頂いています。紅茶専門店に長年勤務し、現在自社紅茶ブランドを経営している者です。あくまで私見ですが、原価の高さ、機械抽出ができない事、作り置きができない事、教育できる立場のものが少ない事等、並べてみると「非効率的」なイメージがチェーン化に向かないのかと感じました。
これ日本茶で考えてもわかりやすいですよね
日本茶大好きなんでコーヒーより外で飲みたいのですが数百円出す日本茶のコンセプトが毎日急須で飲む私にも浮かばないです家帰って飲んでます
紅茶好きなので本にほしいんですが、考えられる点はいくつかあります
紅茶を淹れる時間がコーヒーよりかかる
客層的に長居したがるので回転率が悪い
カフェで紅茶は贅沢なひとときなので毎日通わない
香りが大事なのでコーヒーを置きづらい(珈琲店は紅茶が置けるのに)
紅茶スタンドほしい
アフタヌーンティーも紅茶を楽しむもののはずが違う方向に進んでますからね。
紅茶専門店家を経営している方も料理は注文しても紅茶を注文してくれないと嘆いてました。
私は飲食店でお茶(日本茶)は無料だから、お金を出してまでと考えている人が多いからだと思います。
味に当たり外れが激しいのが選ばない1つの要因かも。
あと茶葉のイメージが安いのに対してカフェだと高価な飲み物になるのが
割高でぼったくられたような気持ちになるんですよね
雰囲気代に毎日は払いたくない
そもそもチェーン店は色々な人がいて紅茶の優雅さに合う人がまずいないなので行かない
コーヒーが全く飲めないので、大学院のマーケ課題で自分をペルソナに見立て「紅茶or日本茶でカフェチェーンができないか?」と事業計画を考えたけど、市場調査したら顧客の習慣化を生み出すにはカフェイン!糖分!炭水化物!どれかがメインじゃないチェーン店はキツいって結論になった。これが真理かな
失礼します。
コーヒーって単品で成り立つと思うんですよ。
一方で、紅茶はスコーンやクッキー、日本茶は大福や上生菓子などと一緒にいただくイメージがあります。一緒にいただくものの単価が高く手が込んだものになるので、チェーン店には向かないように思いました。
で、この事業計画を考えていた時に「日本茶も紅茶もペットボトル市場あるからカフェタイプのチェーン店も行けるんじゃね?」って思った。でも調査すると日本茶や紅茶は「ノドを潤す」「ご飯の時のお供」と水に近い用途が強く、気分転換の習慣な用途(=コーヒー)と異なる意見が多く「あー」ってなった
私は傷つきました、どうしてくれるんですか?という人に対して、それはあなたがナイーブすぎるんです、と言い返せるように社会が成熟して欲しい
お互いにリスペクトしようみたいなことを言いながら、自分の都合に合わせて先人の説を換骨脱胎、蹂躍したりする。何がリスペクトなのか。それは先人に対する失礼であるばかりか、現時点でのコミュニティの知的財産を毀損することでもある。あきれるよ。
ある種の人々は、他者は自分にこう接して欲しいという願望を、ひとは他者にこう接すべきという道徳として語る。本当に情けない。
ほんまそれな過ぎて、何か月か前にDeepL解約
→ChatGPT課金に変更しちゃった。
GPTは「ケンブリッジ英検C1レベルの英文に翻訳してください。」とか「スピーチ原稿にしてください。」にも対応してくれて、やってることがもう段違い・・・DeepLに起こりがちな文の抜けもない。
そして、奇しくも同年、本人も予想しなかったことにマッカーサー"天才"賞を受賞して、極めて多額の助成金を得ることで、それをもってバイアウト制度を駆使して学務から解放され、ますます執筆に打ち込める環境が揃うという交渉がスムーズに進み、ついにヴァージニア大学への転出を喜んで決断します。