2024/12/1-2024/12/10
▷Xのタイムラインの滞留時間から離れたくて読書したりするんだけど、読書には発言ができないというか、自分側のツイートがないのがちょっと物足りないんだよな。
▷最近、Haiku一本になっちゃって脚が遠のいているけど、sonnetが使えていた時期に、結構LLMに質問していて、「でも、この長さのプロンプトを書いているのって、たった1人に向けてブログ更新してるくらいの文字数だよな」と我に返ったりしていた。
▷もう、生きること自体が向いてないから、誰か養ってくれ。
▷家が汚いことよりも、環境が騒々しいことよりも、「何かやらなきゃいけないことがある」ことが、あるいは「それがうまくいなかい可能性がある」「なのに達成しなければならないことになっている」ことが巨大な憂鬱の種になっている。
▷日々を無意に過ごしてしまうことへの、「意識高い」的な抵抗。
webで儲ける的なものへのスローライフ的抵抗。
▷たえず、「自我が消滅する恐怖」と戦いながら、その合間に人生を生きている。
▷たぶん、不安がってる割には、お酒とかの「緩める」快楽が苦手なのは、そっちとつながっている。赤子が眠いのが怖いとか眠いのに寝れないから泣くような境地が、少し、あるのかも。
▷カフェインや間食や漢方とかで、血圧だか脳の血流だかを高めて維持すると、少し不安感が軽減する。
▷だから、常に刺激を求めるし、楽しいことしかできないし、怒りや焦りや恐怖で自分を駆動したくなる。
▷自分の「不安がり」の人格は、集中が途切れると何をしていたか忘れやすい性格とともに、低血圧型の体質とも結びついていて、脳が酸欠や低血糖に近い、ちょっとでもまずいことがあったときに自制力を含めた気力が急激に失われそうになる感覚とも結びついている気がする。
▷なんで行動中に、刺激やパワーがもっと欲しいかといえば、不安だからてすよね。だから瞑想とか書き出し的な行動で恐怖感の水準が下がると、パワーが上がらないままでも行動に移せたりする。
▷くるくる色々動くプレーにくらべて、何がすごいか分かりにくいからとか?
▷テレビのスポーツ報道でバスケットボール選手の活躍を伝えるとき、「ダンク」の前に「豪快」って付けるのはなんでなんだろうな。
▷無地でも書き始められる人というのは、頭の中に「レイアウトのテンプレート」がすでに膨大にかつ濃厚に浮かんでいて、それを思い浮かべながら書けているのではと想像する。
▷「無地無罫だと、ふつうに横書きしているつもりで、行が右下がりになってくる」とかそういうことでなしに、なんか「どこから、というか、どこに、何を書き始めることで、今のこの頭の中のもやもやを書き付けられるのかわからない」と途方に暮れる感覚は。
▷ミニノート。
横罫も苦手なんだけど、無地も同じ以上に苦手。あれなんなんだろうな。
▷つまらないことはできないと言うのなら、それをできるようになりなさい」「それができるのが大人になるということで、あなたの体は年々大人になるのだから、あなたの中身も同じぶんだけ大人になるように自分で必死に努力しなさい」ということは、言っちゃいけないのかな、逆効果?
▷発達障害の子がここにいて育てているとしたときに、彼/彼女に対して、「やりたいことばかりやってはいけません。やりたいことでもほかのひとにするなと言われたらがまんしなさい」「やりたくないことでも、人にたのまれたことならやりなさい。
▷損失とリスクと責任が、いやでいやで仕方のない人が、この資本主義の世の中で、他人より豊かに生きる方法。
RT▷ふてほどが受賞か。
なるほど、不適切報道の略ね。
確かに今年は多かったよね。
日テレ:セクシー田中さんの件
フジ:大谷翔平への取材の件
読売:猪口議員の火災現場の件
NHKラジオ:中国人の発言
各局:兵庫県知事選の件
各局:裏金議員の件
文春:松本人志の件
RT▷@gerogeroR 「戒厳令を発令しました」から「議員が拘束されたり国会が閉鎖されるからそれを妨害しましょう」ってすぐピンとくるのは(主導した人もいるだろうけど)、いい意味でも悪い意味でも経験者だからなのよね。
日本人が地震で比較的冷静でいられるのと同じ。決して手放しで素晴らしいといえる話じゃない。
▷そういう具体列挙があればいいんじゃないかな。まあ、対テロや戦争時のためのオプションは、結局権限が大きくなっちゃうだろうけど。
▷たとえば、にほんに緊急事態条項を作るとして「以下のオプションがある。①感染症の蔓延に際して国民になんらかの罰則付き自宅待機を求める②自然災害の発生時に車両や家屋を合意を待たずに撤去することができる……。このうち①,②…については、議員の任期の延長を含まず、選挙も通常通り行う」とか
▷生きるうえで、「人にがっかりされる感」って、かなりきついよな。加点方しかない人間関係に住んでいたい。
RT▷最近ちょくちょく前の職場の人たちの事を思い出すのですが、「懐かしい」という感情とはまた違う気がします。 pic.x.com/1pe4bKXDiD
▷自分でHTMLを書いていた感覚が残っていると、タイトルとかだけでなくURLをテキスト内に「貼っておく」イメージがあるんですけど、目次や索引などの相互参照が入り乱れた大きな文塊を他人に言及すると、接続が「張りめぐらされた」感覚を伝えたくなることもあります。 x.com/ikkitime/statu…
▷まあ、イデアとかも、便利な概念だなとは思ったかな。
▷ところで、功利主義とか勤労(と富の蓄積)の称揚とかって、田沼意次とかそういう、ある種の美意識による軛からの解放を感じませんか。
▷中二病ならぬ高校生の自意識や自省に引っかかりやすかった概念ではあるでしょう。
▷高校のときに倫理の授業をとっていた上で、ちゃんと記憶に残った概念はなんでしょうか?
私の場合は、中庸、イドラ、最大多数の最大幸福、ですかね。
▷@akizukid たしかに…。特に対面で音声があれば、若干のタメや言い淀みがあることで、制止してもらう余地は残せますしね。呼吸を合わせたり。
メールで文を書いているときだと、「事実上の事後報告」「止められても聞かねーよ」みたいに聞こえないかな、という不安で、たぶんちょいちょい使っちゃってますね。
▷楽しいことは、ただするだけで楽しいだろ!
▷「今こうして過ごしている時間は、『デート』という、他人から見ても、後で友達に話してもおかしくない、楽しい時間」という言い訳を先に用意したがるから、というようなところがないですかね。
▷あー、もしかして「コミュ障じゃない人」というか、「できれば誰かを誘ってで、どこそこに行ってみたい」と思う人って、遊んでても「私何やってんだろう」と我に帰ってしまうから、「みんなでどこかに行くという『楽しいこと』とされる事をやってるんだよ」という添木を予め用意しておく感じなのかな。
▷目の前にそういう人がいて、声色で願いが感じ取れているのに、「係り受けを閉じろよ、文が可哀想だろ」なんてことを考えている人なんかよりも。
▷ただ同時に、これは、私のほうがむしろ異常人で、「コミュ障」なんじゃないか、ってことも思う。目の前で、すごく申し訳なさそうにしていたり、何かを強く願っている人がいるのなら、その波動に共振して、その期待に応えられたら嬉しい気持ちになる、そういう人のほうが正しいのではないかと。まして
▷私は、「それって、使わせていただくことって?……」「それ、見させていただいてもー…?」みたいなしゃべり方が気になるというか、かなり好きじゃない。「先生トイレ」かよ、という気分になるというか、かかりうけを閉じろよ、述語を入れて文を完成させてやれよ、という気分がまず立ち上がるから。
▷近い色じゃないと駄目だよね。モカブラウン的な。鎖骨らへんのようなところでは。それを見越してグラデーションになっててくれたらいいんだけど。
▷透けない下着の透けにくい色味って、実は単色では無理で、肩の上のように皮膚と下着、下着とシャツ、皮膚とシャツがいずれも密着してるような場所では、不気味の谷上等でマネキンみたいな色じゃないとダメだけど、皮膚と下着が離れていてでも下着とシャツは密着しているようなところはもっと濃い茶色に
▷私は今の日本でれいわを支持することはないけど、でもふと、アメリカの民主党の大統領候補には、あの党首のようなキャラクターがいま必要なんじゃないか、なんてことを思ってみたりする。
▷マクドナルドのポテトって、どうしてこうも匂うんだろうな。改善要望とか来ないんだろうか。それとも、メリットがあってわざとやり続けてるのか。
▷自分の周りでは、さすがにまだ「祖父母になった」という人は聞かないんだけど、50才目前ともなれば、25歳刻みで2サイクル、つまり自分の下に世代が2階層できてきている可能性はあるんだよね。もはや自分の知っている小学生低学年ではない、小学生低学年。
▷ローラースニーカー第一世代の子達って、いま何歳くらいなんだろうなあ。
▷コンクリートの道を歩くと膝にくるわけだけど、未舗装の道というのは雨が降るとぬかるみになってしまう。どっちを指して「歩きやすい」と思うのかはなんとも言えないところだね。
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もっと効率の良い有酸素運動をしたほうがいいと思い、先日ついにランニングを始めた。翌日軽い筋肉痛になった。
ふとした瞬間に、何のために生きているのだろうと虚しさを覚える。私は健康になるために生きているのだろうか。健康が人生のスタートラインだとすると、ずっとスタートラインを目指している。
卓球なんかやってないで、本を読んだり映画を観たり仕事をしたりしたい。私が空振りした球を無様に拾っている間にも、わざわざ運動しなくても健康を保てる同世代の多くはキャリアを積んだり恋愛をしたり家族を作ったりしている。
毎日のように起こっていた腹痛がなくなり、何もできないほど眠い日が減った。発熱や腰痛もなくなった。メンタルの調子が悪い日も減り、浮き沈みのある低空飛行ながらも、ドン底まで沈む時期が短くなった。
普通に健康に良いとされることを普通にやれば健康になれるんだ、という実感が、私に希望をもたらした。
これで私も人並みに健康になれるのではないかという期待を一時は抱いたりもした。
小学生くらいの頃から漠然と、いわゆるバリキャリ女性に憧れていた。具体的に就きたい職業があるわけではないけど、とりあえず経済的に自立した女性になりたい。そう思うようになったのは、夫婦喧嘩の絶えない家庭に育ったからかもしれない。結婚して家庭を持つことが幸せのイメージと結びつかなかったため、生涯独身を貫くという選択肢を持てない人生は幼心にも恐ろしく感じたのだった。
ところがいざ大人になると、私には人並みに働く体力すらないことが判明した。
巷でよく言われる「中年になるとガクッと体力が落ちる」というやつが21歳で来てしまい、身体のあちこちに不調が出て、高齢者のような頻度で病院に通うようになった。