2023/12/06-2023/12/10
▷電話料金を抑えたいときに、「いや、話し放題とかじゃなくて、大量のデータ通信を毎月する前提で、それを安く使いたいんだよ」って感覚に似ている。
▷編集や操作をしたいかどうかにかかわらず、テキストだけなら、無料でもなんとかなっていく可能性はあるんだろうけど。
▷@rashita2 PDFやそれ以上の添付ファイルを、なんとかまた別の場所に分流させられたとしても、複数画像をページに埋め込んである状態は必要でしょうね…… 結果的にけっこうリッチなものを求めると思いますし、そうなると無料は難しいのかなと。
▷すでにアーカイブとしてしか使っていないので、「アーカイブ最強」のサービスを探し直すかたちになるでしょうかね。 (ただまあ、それはサーバー代金無料というわけにはいかないのだろうけど) twitter.com/rashita2/statu…
▷ギターがドミソをひいているときに、ボーカルがラの音でメロディーを歌ったとしたら、それはバンドとしてはAm(M7?)の展開形をひいていることにならないのかな。その前提で、次に進めるコードを考えたほうが理不尽が少ない場合とかあるだろうか。
▷3音和音をⅠ Ⅳ Ⅴ Ⅰ とか進行させてしまうよりも、ルートはDならDに固定した状態で(つまり名目上は“進行”せずに)D→Dsus2→D→Dsus4とか揺らしてくれてるだけのほうが、聞いてて気持ちよくなっちゃうの、なんなんだろうな。
▷@rashita2 読めなかった…。 検索して意味を調べて、そのあとかなえ(鼎立の鼎)との違いを合わせて調べようとしたら、即それが検索候補として提案されて、ネット民の知的レベルの高さを思い知ったw (「鬲 鼎違い」)
▷人工子宮が完成するのが先か、人類が滅亡するのが先か
▷『BEATLESS』を読んでいる。なるほど、これは生成(AI)ですね。その手触りの予言というか。 これ、10年前に読んでいたして、ちゃんと実感できたかな。「魂がないっていうのは、プログラムで動いていて、クラウドでコントロールされているから、って意味ですよね?」って誤読していたかもしれない。
▷脳トレで、(たとえば)「マルチタスク力」とか「自制心」とかを鍛える効果はほぼない、単にそのゲームが上手くなっているだけ、だとしたら逆に、目に映る「職場のタスクをマルチにこなしていつも理性的な判断のできるあの人」の能力も、単に仕事スキルに習熟して脳に余裕ができてる状態なのかも
▷しれないって希望に切り替わる。 まあ、コアコンピタンスを鍛えて波及効果増し増しで一発逆転、という希望は消えるけど。
▷規制って、もともとは何かの(守る)必要があって作られたものだから、それを緩和することで生み出される新産業なんて、“そういうもの”である可能性が高いよね。
自分自身で感じている対象について語れ。
▷(今の若者などが)「つながってなきゃならない症候群に侵食されている」みたいな現象を見たときに、「中間共同体が崩壊したからではないか」「深いつながりを避けているせいではないか」みたいな大きな論を原因として引っ張ってくるのって悪手なのではないか。
▷「便利だから」「楽しいから」「快刺激で習慣化されたから」以上の論を持ってくるべきではない、と考えるべきではないだろうか。
▷ある種の類似性として、「無能で済む以上の理由づけをするな」的な発想が連想される。
▷さらに、その大きな論を進めるにあたって、「かつて哲学者の誰それは、人間の求めるものはこれとこれである、と言いました」って難しい単語を用意して、それを思考を進めるフレームワークにするのは、さらに良くないのではないだろうか。
▷一つのページ/ノートにまとめられている→強いつながり(+5)。
▷さらに、同じか隣り合う段落に配置されている(+10) 段落やバレットは離れているものの、一画面に収まっていて同時に目に入る(+8)
▷まあ、そういう良心たちを「でも、指一本なら動かせますよね?」と大量動員したのがハッシュタグ政治だ、ということはできるか。
▷「良いこと言ってるけどポーズだけ」って、そんなに悪いことだろうか。
▷そんなのは、高二や中二病が「偽善だ」と言っているのと変わらないではないか。
▷そういえば、「バイナリ」って言葉、ずれてない? twitter.com/miwa_ensan/sta…
@rashita2 「結論がない!」って感じがしてしまいますけど、ノート/カードとして考えれば、考えを進めたことと、それを整理した言葉であらわした、という時点で一定の意味が自分にはあるんですよね。
フォロワーがいくら増えても本は売れないしイベントの客も増えない。全然うれしくない。フォローしないでください。
「まだらのひも」の原題は〈The Adventure of the Speckled Band〉。事件現場となる屋敷の敷地内には、ロマが住み着き、 主あるじ が以前に暮らしていたインドから取り寄せたチーターやヒヒが放し飼いにされている。「Band」は、「ひも」を指すようで、ロマの「一団」の意味にも取れる。文学理論を知った今、作品が放つ別の輝きに気づくという。
「エキゾチックな他者性への拒否感や差別意識を読者に 惹起させながら、それを裏切る仕立てになっている。当時のイギリスと植民地の関係とか、様々な無意識がにじみ出ているわけです。ある種の無意識小説としても面白い」
デジタル文化とは、(旧来的な)歴史(概念)への挑発であり、次第にそれを侵食し、飲み込んでいった。
デジタル文化史の哲学、を大きな視野で書いてみたい。インターネットは世界を変えたが、そもそもパソコンとゲームが世界を変えた。デジタルの情報をメモリに入れて個人が持つこと。それが80年代から広がっていった。
問題は、醸成されたその理想は簡単には消えないことだ。残り続けて当人を苛み続けてしまう。購買されたものの是非以前にその「構え」が持つ問題があるわけだ。
人は、絶対量よりも差に注目しがちだし、それがマイナス(損)であればより注目が強まる。だから、高すぎる理想を醸成し、その理想と現実との落差を意識させれば、人を動機づけることができるのだろう。購買活動エトセトラに。
典型的な日本人の悪い癖。「利用経験がない人は賛成35%、反対64%だが、海外でライドシェア利用経験のある人は賛成84%、反対15%と、賛否が逆転」/ライドシェア、日本人の大半「乗らず嫌い」利用経験あると賛成35% →84%に|自動運転ラボ
子供の頃、古臭くしみったれたものをファミコンが全部蹴散らしてくれるという爽快感に僕は疑いを持たなかった。その結果が今の時代である。
一括給付と長期給付に分けるケニアでの実験。興味深い結果に。「事業を行うには大金が必要で一括給付が利便性が高いが、長期給付は安心感があるため幸福度が高く、精神的な健康状態がよかった」/世界最大規模のべーシックインカム実験でわかったことは?
世界最大規模のベーシックインカム実験でわかったことは?
まさに。「インフレでは借金は目減りしていくので、アイデアはあるがお金がない人は借金して投資しやすくなり、イノベーションが促される。逆にデフレではお金の価値が上がるので、無駄なタンス預金に」/インフレはイノベーション促す 岩井克人東大名誉教授
- 日本経済新聞
ううむこれはちょっと考えさせられる議論。
「美醜だけでなく、頭が悪い、身体が弱い、など、それを素晴らしいよ・あなたの個性だよで終わらせるのではなく、弱者としての戦い方を徹底的に教え込むべきなのでは」/日
米ハーフの自分が思う「自己肯定感」のクソ
さ
政治家が金に汚いのは、私の社会関係が金に汚いからだ。だが、汚い金で人を動かすほうが、銃口で人を動かすよりはるかに良い。
これは嫌がられる発言だと思うけど、僕は政治に理想を思うべきだとしても、政治家に清貧と正義を求めてはいけないと思っている。
人の関係の世界はとてつもなく醜い。だから、政治家はそこに手足を突っ込んで汚い仕事をしてもらわないといけない。私たちの醜さそのものになお向かう人であってほしい
でも、チャレンジをしようにも、多くの人がすでに傷つきすぎているのだろう。だから、少しでも安心していたいのだ。子供たちを見ていると、彼らはすっかりスマホにいいように使われている。
しかし、そんな試練は子供時代には必要なかったし、その傷はあなたの傷というより「無意味の傷」なんだと言う大人がいないとダメだと思うが、大人だってもはや同じことになっている。むしろ無意味の傷を自分の傷と勘違いしてムキになっているのは大人の方で、彼らはSNSで、ある日は自分と同じ傷を負っている人に共感し、ある日は自分と同じ傷を負わせた誰かを感情的に攻撃する。
この中で、僕が一番評価してるのが、鈴木俊一。有能で忍耐力もあり間違うこともない政治家だったが、それゆえに人として過ったようにも思う。
東京都知事を見ていればだいたい「その時代とその数年後の典型的な老害」が解る。
今の老害は小池百合子風。
かっては、石原慎太郎的な、ウヨってて口が悪くて態度がデカくて男尊女卑的な老害が居た。
青島幸男的な、実務能力がないけれども、かといって悪い人でもない老害も居た。
もともと民主主義の市民国家というのは、カネにみまみれた bourgeoisの活動なんだから、裏金や汚職は民主主義政治のコストと言っていい面がある。これに清貧と正義をぶち水てると清廉と正義を標榜する独裁者が出てくる。
そう思う。特捜はその切り込み隊をしてる。
苦々しく思う。
いえ、清貧とか正義というような人によって違う価値観ではなく、なぜシンプルな事務的説明さえ初手でまず拒んで追及されてやっと説明する(しない)という運営方針が問題にされるべきはないでしょうか
自民党議員は曲りなりにも代議員で市民の側だけど、特捜部は国家権力側なんで、基本、国家権力側の挙動には市民は注意したほうがいいと思う。
《ただ空っぽで、何も書き込まれていない世界に対する期待があったのです。それがいいことか悪いことかはよくわかりません。また、なぜ自分が作中でエレンにそうした理想を抱かせたのかもよくわかりません。》
子日く、
民はこれに由らしむべし。
これを知らしむべからず。
「知らしむべからず」は、「知らせるべきでない」てはなく、「知らせようにも知ることができない」。
『進撃の巨人』のエレンはどう未来を描いても、自由の行き着く先に、人類の滅亡しか見えなかった。自身は巨悪に転じるだけだった。その中で、自分を滅ぼす友と愛する人にすべてを賭けた。
孔子という人、
尤めない。
挫けない。
なのだろう。
「天を怨みず、人を尤めず。」
目の前で喋ってる偉い人の話は、その内容を問わず、自分の兼ねてよりの念を肯定してくれる「エビデンス」だと信じて疑わないタイプというのは、実は結構いるんじゃないだろうか。本人は喜んでるので別にいいといえばいいのだが。
"封建時代の維持を(それが存続した最後の百五十年のあいだ) 保証した抑圧のシステムは、その大部分が(多くの修正がくわえられて)、ブルジョワ社会の国家装置に引き継がれることになった。
いいかえるとつぎのようになる。すなわち、都市と農村の下層民がつながりをもつことや都市のなかで(民衆とブルジョワが)団結することが封建制に示した危機というのが、ある種の抑圧のシステムを(十七世紀から十八世紀にかけて)必要なものとした。この抑圧システムは、封建制の名残やそのさまざまな税の徴収の形態をまとめて生産すべく、ブルジョワジーが先の政治的なつながりや団結を必要としたごく短い期間だけは取り除かれた。しかしブルジョワジーはすぐにまたそのシステムを(もっとずっとまとまりがあり、さらに用いやすくなった新たな形態のもとで)復活させることが必要となった。というのは、二つの政治的な分離(都市と農村、民衆とブルジョワジー)に隠れるようにして、資本主義が封建制のすきまをついて発展してきたからであり、この二つの分離を資本主義がなお必要としたからである。" フーコー『刑罰の理論と制度』P60-61
NHK クローズアップ現代、スーパー閉店の話。ニュータウンは街ごと使い捨て、持続可能な街の形態じゃないな、といった話の別バージョンのようなやつをやっている
言い換えると、定量的な指標の単純比較で軍事力を測ろうとするともう抑止できないとこまで来ちゃってるので、定性的な指標や異なる領域でのバランスを意識させるのがキモな
んですよぬ
その意味でも、ロシアがやらかしたのと同じ判断ミスを中国にさせないことが大切なので
は
対中国の文脈では兵員数や正面装備の数量で太刀打ちできる時代はとうに終わったので、そういった基盤的な指標ではなく非対称な手段での敵優勢の相殺(オフセット)と実際の活動や統合運用による実質的な戦力の強化を可視化することで相対的な抑止力を確保する、というのが三文書で示された現在の流れ
昔、とある市民講座のTAをやっていた時、ある先生が必死に「これこれの慣習は日本の伝統だと思われてるけどそうではなくて〜」
という話をした後に年輩の受講生がやってきて「先生のおかげでこれこれの慣習が日本の古来よりの伝統だと知ることができました。
感謝します」と言ってきたことがあった。
まあ、こういうことを僕が言うのは、何事かを一点張りでじることなど人間にはありえない、という僕の根本的な世俗主義から来ているのかもしれず、つまり不信心だということなのかもしれないが。
しかも、一点張りの議論を立てる人って、そのことを心から信じていると思えないんだよね。ある種のゲームだと思うし。
池内先生のブログ「中東・イスラーム学の風
姿花伝」をカテゴリ順に全部読んでいる最中。
(今まで読みたいものだけつまみ食いしていたので...)
2015年1月4日の投稿に、池内先生が何故面倒な下水道掃除を引き受けて下さっているか、わかりやすく書かれてあった。
ただ、「なんでも否定」系の人たちが一定数以上になると社会不安、政治システム崩壊の原因になるので、超越願望・支配欲求・現状否定が強すぎる書き手と読者の存在はある程度注視していた方が、市民社会を守り育てていくためには重要なことだと思います。
そのためにも、言論の自由は重要。
自由にしておくから無茶・無謀・妄想・陰謀論的なことを言って恥じない人たちが可視化されるのです。同時に、「あ、これ陰謀論ね」ときちんと指摘してあげないと市民社会は育たない。面倒臭いが仕方がない。そういう人たちから悪口とか言われていろいろ妨害される立場になるとさらに鬱陶しいし個人的には不自由になるんだが仕方がない。
体感で、7割ぐらいの人々は「Aだと従来言われてきたがそんなことはなく、実はBなのです.なぜならCという書物は...」という話を口頭でされると「Aである」と要約する。
これが分かっているので、インチキ商材セミナーではまず「みなさん、結論はAなんです。今からAであることを説明します」と結論から話し始める。その後の説明がどんなに支離滅裂でも客は「結論はAなのだ。なぜならその後であんなに難しいよく分からない話を長々と話したのだから」と納得してしまう。
さまざまな立場から出てくる言論を戦わせて、討議によって世論を鍛えるという発想は、近代社会の大原則ともいえる。今回の角川の件についても、歴史や文学、思想史の研究者が、そのような原則にもとづいて今回の出版中止について意見しているようだ。じっさいに西洋の歴史を少し振り返れば、
携帯や家具を買うというごくたり前の日本の生活文化は、留学生など外国人には非常にたいへんということがわかりやすく描かれてる作品。こういう視点も大事だよなあ。/走
り出す花びら/走り出す花びら-甘井最鹿1
FEEL web |マンガの数だけ愛がある
日本では苦手な人も多そうだけど、みんなでやりましょう。「定期的に見知らぬ人と交流することが社会に属しているという感覚につながり、自分が人々に受け入れられているという帰属意識を高める」/「見知らぬ人と挨拶する」だけでも孤独感が減り、人生の幸福
度が高まる
参勤交代、明らかに江戸に集まった大名や部下たちの間で情報交換が密に行われて、カネのやりくりの知恵から、それぞれの藩での産業育成まで繋がってるんだよな。
なんなら、人の往来が確実に約束されたことで、日本各地で旅人のお土産作りが産業として確立するんだよな。
食い物でも置物でも実用品でも
本屋の変化、厳しい。ゴッソリと在庫を減らし、まあ、通俗的なと言いたくなる、本ではない商品を増やし、本もわかりやすいものを前に出す。ECが強くなりすぎたし、本が売れなくなったわけだが、それだけでなく、この間の世の中の「民主的」変化を表していると思う。
心はこうして創られる、興味を持ち、概要を見て、まあ、イギリスで、(クライン派とかの) 精神分析への敵意があるんだろうなあ、と思う。行動科学系の人でしょ。まあ、それ一辺倒でやりたいんだろうな。無意識はない、ね。まあ、強い意味で在るとは言えない。それはいい。でも記憶があるわけでねえ。
ほんとはそんなに単純じゃないのにね、と思いつつ、いろんなことに黙っている学者は多い。
アメリカ、イギリス、フランス、ドイツとかの議論って、ローカル文化としての何かがあると捉えるのが基本。複数言語をやって文献読んでればそうなります。
日本文学に現れる、強烈な個性の女性たちというのは、たり前のようでいて、奇跡のようでもある。彼女たちの文学は、政治志向のフェミニズムからはあまり顧みられないだろうが、すごい。
文学の面白さや美しさの感覚は、人の生き方に関わってるような気がするす。これは、いい悪いとか、教養がどうたらというものでもない。
文学、特に詩の文学は、概ね社会的な人生の役には立たない。生きる意味に微妙な陰影を与えるだけ。
日本国憲法というか、1947年憲法と呼ぶべきだと思うけど、これには国家の安全保障が考慮されていない。このたため、日本が独立するその同日にこれを補うために日米安全保障条約が結ばれる。史的に見れば、日米安保は実広義の日本国憲法の一部であり、米国の軍事力が日本に組み込まれている。
日本が主権を失うのが1945年。主権のない憲法ができるのは1947年だが、とりあえず国家の仕組み(constitution) が構想される。が、この2年間の占領国の法である「ポツダム法」の体系は、憲法と整合せず、日本独立後も継続している。
日本国憲法ができたのは1947年。日本が独立して主権を回復したのは1952年。この間、日本国憲法の主権は不在で、GHQの国政への仕組みも明記されず、憲法体系と異なる権力機構が存在した。
日本が欧米型市民国家なら国家安全保障の仕組みを憲法に組み込み、そして史的経緯としての日米安全保障条約を広義の憲法からいったん外して、その上で国家安全保障の選択として軍事同盟を米国と結ぶでしょう。
憲法という観点からは、このグダグダな日本はなんだと思っていたが、そもそも国家というのはグダグダな歴史を引き摺ってできるものであり、そもそも憲法とは、「お国柄」でもある。現行成文憲法はこの「お国柄」の一部でしかない。ただ、この「お国柄」は非成文的な権力を醸成する。
憲法というのは、「国家権力を縛るものだ」といわれるが、これはそもそも憲法という概念が、英国という文化から生じ、英国という国のお国柄としての憲法がそういうもとだから。これを近代フランスが変えてはいくが。
英国がなぜこんなお国柄=憲法、かというと、王が外来王なのに、地方権力が議会として束ねられているという特殊性があるから。
ただ、王が外来というのは一般的でもあり、「憲法」の一般性に合う。
が、日本は、日本人の意識としては外来てはないから、王を守る忠誠の貴族は不要。
で、日本は、「王を守る忠誠の貴族」は不要だから、馬の骨ともわからないのが、王の忠誠を幻想化する。
広義でいうならキケロ主義とでもいうべき
か。
そう言えば、英国で議会が強いのも疑似ローマの影響はある。
フランスという国は、理性で国家をデザインしょうとして、憲法をそれに使おうとして、早々に失敗して、疑似ローマみたいなものを作ってしまった。
僕は、日本人って変な民族だなあと、我を忘れて思うことの多い人だったが、老いてきて、もっと日本の伝統に埋もれたいと思うようになった。
「壁に表が貼って『あり』ます」
「巻末に表が載って『い』ます」
?なぜ?
*「壁に表が貼って『い』ます」
*「巻末に表が載って『あり』ます」
①「出版中止になったのは市民からの抗議によるものであり、国家による検閲ではない。
したがって、出版中止は社会的合意である」といった主張がある。②しかし、実際のとこるそんな社会的合意など存在せず、出版中止を求めるのは少数派でしかない。
③したがって、本当の意味での合意を達成しようとすれば、本当の多数派との議論は避けられないが、それでは勝てない。そこで「差別者とは対話しない」という「ノーディベート」論を持ち出すことで議論を回避すればよい、という論法が展開されている。
④しかしながら、そんな論法は無理筋なので、おとなしく民主主義における少数者保護の基本である「人権」を持ち出すべきである。しかし、「人権」によって要求が満たれる保証はない。
かつてのEvernoteは便利なツールだったというだけでなく、生き方を提案したんですよ
IT方言、こういうことか
モダンModern
IT関係者
新しい
現代的
未来からの贈り物
非IT関係者
ちょっと古臭い
近代的
昭和の建物
レガシーLegacy
IT関係者
古い
捨てろ
古代の遺物
非IT関係者
ちょっと新しい
残せ
未来への贈り物
⇒まあ、「ちょっと新しい」は意訳しすぎで、「温故知新」「文化/美意識」みたいな感じかね。「近代の後に現代がくる」感覚は20世紀のころにすらあったわけだから、まあ仕方ない。
近年、旗と言動の矛盾が目に余るものになっているため、ジャーナリストの佐々木俊尚氏は「リベラル」から「社会正義派」への言い換えを提唱している。
自由と権利は、結果ではなく、それらを希求する動態によって辛うじて維持される危ういものであるという原点に、今こそ立ち返るべきだろう。
⇒まあ、「社会正義」って、ギリギリ罵倒じゃないから、確かにそのへんに名義替えしてくれたらわかりやすい。
エビデンスを重視する姿勢が弱者いじめであるかのように見せているけど、エビデンス軽視したら影響力が強い方がゴリ押しで有利になるだけで、実質は全くの正反対。弱者を守るような体で、むしろ声をあげる弱者から対抗手段を取り上げんとする卑劣なキャンペーンに感じます。
たぶん「私たちにも言わせて。耳を傾けて。
無視しないで。大事に扱って、不安を汲み取って...エビデンスはないけど」というのが真意ではないかと思う。
それを表現など別の手段でやるのは別にいいのだが、朝日新聞は報道でやろうとするからヤバい。
私はエビデンスを否定も攻撃もしてないどころか「最重要だ」と真っ先に言っているんですよ。新聞の主張(?)に利用されるのはごめん被りたいですね。紙版と違うセンセーショナルな見出しを付けてネット読者を「釣る」のは、私がインタビュー中最も疑問視した悪しきアテンション・エコノミーですし!
実現可能な目標を設定し、達成したら少し難しい実現可能な目標を設定すると集中力を損なうことなく作業が続けられる
トモダチ作戦の経過を時系列順に追った本を読んだことあるけど。
お米の国、空輸したい部隊があれば「まず現地に一番近い空港を回復させる(確保する)」ところから始めるからね....短時間で。
そういうチカラも実際にあった上で「やりかねない」ところが恐ろしいんだよ。
ジェネラリストのすごい人って実は複数領域のスペシャリストなんではと思っていて、特に軸もなくただジェネラリストを目指すことのリスクはでかいと思っている。
どこに行っても活躍する人がいるのも事実だけど、大体そういう人も「ここはめちゃくちや強い」っていう領域は持ってる。
『大衆の専制、つまりは下からの言論弾圧こそ、我々の自由で民主的な社会を是とする世界で戒すべき現代的事態』by J.S.ミル
(『自由論』1859年)
何を言ってるのか。政府だけが『上』ではなく、共産党らや『弱者」利権の活動家らも一般市民を簡単に蹂躙できる権力者そのものですよ。
以前から書いていますが、川田龍平のような立場の人が国会議員になることは重要なんです。でも川田議員本人は無責任で有害なトンデモさんなので、議員を続ける資格はない
そもそも「自分の性別に違和感が」って、それが思春期、成長期、第二次性徴だろ。
「自分とはなんなのか」ってどうしようもないことをウジウジグダグダと悩む時期だろ。
それを十把一絡げに「トランスジェンダーです」でまとめるからおかしなことになる。
話を雑に進めすぎ。
蛙化現象を幻滅のニュアンスで使ってる人と、共感性羞恥を観察者羞恥と混同してる人、姑息を卑怯のニュアンスで使ってる人、他山の石をめ言葉で使ってる人、役不足と力不足がごっちゃになってる人、穿った見方は意地悪な見方だと思ってる人、春に小春日和と言う人、他力本願と怠惰をまぜこぜにす
る人
共感性羞恥は相手が恥ずかしがってるのを見て自分も恥ずかしくなるって意味であって相手は自信満々なのに見て自分が勝手に恥ずかしくなってるのは『観察者羞恥』って言いま
す
インターネットで痛い人を見て恥ずかしい気持ちになった時は観察者羞恥が正しいんだぜ
相手が自信満々なのに自分が恥ずかしがるのは共感性羞恥はなく観察者羞恥、わかるけど
違うんだ
私は相手が数年後に過去の自分を恥ずかしがる姿を想像して恥ずかしがってるんだ。時間
差共感性羞恥なんだ
経済の領域でのマルクス主義ってのは、本邦に関してはぶっちゃけ実は傍流だったところもあって、キリスト教と並ぶ西欧近代経由の「普遍」の象徴として、それこそ哲学や思想、文学系のたてつけとしてこそ、根深い影響力を行使してきた経緯があったわけで、な。