道を歩くときは端によって歩く。
道を歩くときは端によって歩く。
電車の(7人がけの)椅子に3人目で座るときは、③の位置か⑤の位置に座る
ある種それは、私の中で倫理基準というか、道徳のようなものになっている。
これは、周りに人気がなく、のんびりした風景なのだとしても、道の真ん中を歩いて、広々とした気分を味わおうとは、はじめから思わないのだ。
これは、究極的には、「後ろから自分のことを追い越そうとする自転車のため」というような視点だけど、
“自転車の音がしてから” とか
“目があって、相手が困っていそうだったから、親切として譲ってあげて、相手も感謝してる風だったから、気分がいい”
とか、そういうことではない。
これは「戒律」だ。
いついかなる状況でも守っていなければならない。そういう風に、内面に声がする。
横幅が “2” の道路で、横幅が “1” の人が、二人ですれ違ったり追い抜いたりしようとするとき、一人目の人が真ん中に陣取っていると、両側には “0.5” の空間しか残らないので、それができない。
人の体はそこにあるだけで邪魔になる。
改札口でも、レジの前でも、エスカレーターの前でも、満員電車の中でもわたしの体は邪魔になり、それゆえに、「円滑な運用」という上位目的のために、まるで荷物のように、効率的に詰め込まれなければいけない。
主役は道路だ。人間じゃない。
そんな無意識下の身体感覚がある。
劣等感というよりは美意識に近い感覚だ、と、私には見えているのだけど。
from 2021/01/25-2021/01/31
タグ 上下関係という正義