途中がおもしろいミステリと最後が面白いミステリ
以前、ミステリー的要素のある物語って、「途中がおもしろいミステリ」と「最後が面白いミステリ」の二種類があるような気がするな、と思ったことがある。
さらにいうと、それはおおむね作風との結びつきが強くて、その結果、「最後で面白くなくなりやすい作者」と「途中が退屈になりやすい作者」という印象になっていきやすい気がするのだ。
(もちろん、“その作家の中の最高傑作”みたいなものは、その限りではなくて、全編を通しておもしろいことが十分ある。ただ、そうではなく「その作者の全作品を読む」みたいなことをしたとき、比較的人気のない作品などで、「どの部分が犠牲になりやすいか」という属性みたいなものとして考えてくれたらうれしい)
途中がおもしろいミステリ
ミステリアスな要素、ファンタジックな演出が次々出てきて、「これは一体どうなるんだろう?」という読者の推理欲求を喚起し続ける読書体験をもたらしてくれる。そして、読者は推理するわけなんだけど、その回答が与えられないか、裏切られ続けるかしたまま、最後に突入する。
しかし、タネを明かされてしまうと、「なーんだ、結局、それだったの」「えっ、そんな程度の理由だったの」という肩透かしをくらったような印象になることがある。「最後のどんでん返し」が、必ずしも「最大のどんでん返し」になってくれないパターンである。
私が最初にその印象を持った作家は恩田陸先生だった。(もちろん全編を通しておもしろい作品もたくさんある)
最後が面白いミステリ
犯人当て、トリック当てクイズが、作中探偵の解説と同時に、読者のほうでもできるパターンに多い。
最初に、魅力的な謎が一個提示され、そのあと探偵が足で証拠を稼いでいく操作方法をとるせいで、その間ドラマが何も盛り上がらなくて、感情が退屈してしまう。ホームズが、まずどこそこを訪れて地面でごそごそし、次に誰かに合って何かについて聞き、というシーンを順番にワトソンが書き留めて読者にもその過程を提示する。
もちろん、その積み上げがあるから、最後にクイズが成立するのだし、作中探偵がその “組み合わせ方” を見せてくれたときに、その鮮やかさに感嘆することができるのだが。
漫画で『Q.E.D』なんかは、かなり足で稼ぐ。
で、じゃあ『金田一少年の事件簿』みたいな作品はどう位置付けたらいいのか、って話になる。
読者が感情的にダレない、という意味で、あれは相当大したエンターテインメントだとは思う。オカルトチックな演出、あきらかに怪しげなそぶりをする登場人物(でも犯人じゃない)。そして、か弱かったり、フレンドリーだったり、マジメだったり、犯人と感情的に思えなかった人が犯人。主人公も同じ閉鎖空間の中にいるから、命の危険も感じている。
まあ一応、「全編通して面白い状態を量産できた稀有な作品」と呼んでもいい気はする。
ただ、構造上「連続殺人」であることに頼らざるを得なくて、主人公と読者は最後の瞬間まで、基本的に翻弄される側、というか翻弄されっぱなしという受動的体験になってしまうことに、瑕疵があるくらいか。
……、と書いてきて、どちらかというと、前者の亜種なのかな。前者に近い気はするね。