自由意思が否定されるのなら、超自我なんてものもたぶんない
自分の感覚や感情を統制し、上から命令できるような意思。怠惰や虚無を乗り越え、行動力を生み出せる「意思力」。善性と合理性を持って、自分の本能を抑制できる理性。 そういう性質が脳研究なんかでかなり否定されてしまったらしい。
ま、それはそれで実感に合う部分もあるし、そういうこともあるのかもしれない。
で、私にはその「自由意思」が、≒自己≒自我≒理性、という風に見えてしまう。 もちろん、内省はある。「意識」と感じられるものもある気がする。
でも、それは天使と悪魔が頭の上で喧嘩するようなイメージで、「善性担当の脳細胞」「生存本能担当の脳細胞」と同じで、内省や一貫性を担当する脳細胞が脳内会議に参加しているだけなのかもしれない。 そう考えると、欲求-自我-超自我のような垂直関係もおそらくないのだろう。
だけど、超自我もまた、そうした分人というか「脳内小人」の一人としてなら、存在しているかもしれない。
というか、多分いる。