同じ目標に向かって、能力の違う者同士が協力し合うという幻想
同じ目標に向かって、能力の違う者同士が協力し合うという幻想
たとえばそう、
保守のスペシャリストと革新的な企画の天才がチームを組む。
情報収集の達人と、人間関係力の怪物がコンビを組んで家族になる。
それは、とても心躍るビジョンだけど、実際には内部ではいさかいも起きる。
なぜなら、能力とは興味だからだ。
能力のない分野は、その人の美意識において優先順位を下げられた対象だから、そんな過去の結果として現在、その人にその能力がない。
保守のスペシャリストは、チーム全体に関わるタスクや判断においても、組織の保守がつつがなく回っていることが美しい組織だと考えるし、その判断によることで組織全体の利益や成長も達成できると感じやすい。
自分自身を「必要悪」と感じながらでは、なかなか真のスペシャリストとして、その道で上達することはできないだろうから。
そして、そんな「自分の基準」にとらわれたままの目で相手のこともはかってしまう。
また、個性を「興味の偏り」としてとらえた場合、偏り同士の対立というよりももう一段根源的なレベルで、生活を回していくのに適切なバランスで相対的に偏っていない性格と、スペシャリストとして偏った人格の間の対立、という問題も起こりえます。
とがっている人は「とがっていることが私の役目」、バランス型の人は「全体を補うことが私の役目」と割り切れればいいのですが、なかなかそういう風にはいかないものですよね。
誰もがみな、個性を競っている世の中ですしね。
タグ 部門、美学、派閥、セクショナリズム
from 2019/06/29-2019/06/30