分かってくれるのは君だけだ
分かってくれるのは君だけだ
ある時期から、私にとっての恋愛物語というのは、「ある共通の生活上の弱点を持ったもの同士が、それがあるゆえに社会の中で普通には生きられず、居場所がないもの同士として引き合い、社会から弾かれ合う形で一緒になり、お互いの抱える痛みや苦しさが理解できるから一緒にいる」
というようなものとなっていた。
ネガティブがあるがゆえの恋愛。
それはもともとは、
「うっ、うひい〜、あの子、かわいいー!! 好きー! 私のステディになってください!」
と突撃する恋愛に疑問を覚えてしまったからなのだろう。
「魅力的だから好き。好きになったら突撃」
というのでは、世の中には魅力的な性的魅力はたくさんあるから、いちいち全部に反応なんてしてられないし、一度付き合っても、浮気だらけになってしまう。
「1人を選び、選んだら変わらない」のだとしたら、その「1人」以外を、むしろどう自分の視界から除外するのかということの方が重大になってくる。
そして、1番魅力的な人の総取りになってしまって、社会の多くのつがい達になんの希望も救いも残らなくなりもする。
また、内面に求める魅力の源泉に注意が向かなくなりもする。
そういったもろもろの内省を経て、一つの帰結として、「お互いの抱えてきた苦しさや寂しさを理解し合えるから、僕らは1人じゃなくなる」という筋立てを私は好むようになったのだと思う。
まあ、これはこれで不健康だとは思うのだけどね。
タグ 1人じゃない、物語、物語er
from 20190502
なお、だから(ジブリ版の)『風立ちぬ』みたいにネガティブな心象のあるラブストーリーにも特に違和感を持たずに楽しめる。