中心であっても上位ではない
中心であっても上位ではない
例えば、このscrapboxプロジェクトのようなネットワーク構造を持って集まっている集合には、スタートもゴールもない。
と同時に、上と下もない。
特定のどれかのページ(要素)に、ほかを圧倒して多くの記述がしてあり(情報量が多くて)、一目見て「こいつが大物だ!」と分かるような状況であっても、そのページが正統性の面で、他のページの上司だったり統制者だったりはしない。
同じく、どれかのページが他よりもはるかにネットワーク化された、情報のハブになっていて、その他のページと大量に相互のリンクを持っていたとしても、同じく、それでそのページが他のページに対して上位概念であるということを意味しない。
完全な意味でのフラットな関係だ。
まあ、実際には、「正統性のある統治体系」を持っていない構造の場合、他に治安を保つルールがないわけだから、一番の実力者が力にものを言わせたり、声の大きい意見が全体の意見になってしまったり、みんなでその「大物」の顔色をうかがったり、ゆえに一目置かれてしまったりはするだろう。
それでも、いつでも目が光っているわけではないし、外部との関係性のゆらぎの中で、かつての中心地がいつの間にかまったく使われない、さびれた場所になってしまうことは起こりうるんだと思う。
タグ 中心的自我というものがない気がする、ネットワーク図のほどき方、脳内会議、ボス猿
from 2019/12/09-2019/12/12