世界から自分を防衛しない
世界から自分を防衛しない
小さな泉を作るように、厳しい世界のなかでも自分は強くあり、だけどそれでも、弱い人達に優しくありたい。
それは、美学・美意識としてもっと原初的な形で、で基礎的なステップだと思う。
誰もが手作りするべきものだと思う。
ただ、これもまた、ある種の不完全性というか、弱点をもまた持つ。
外と戦い、内を助ける。
弱きを助け強きをくじく。上から勝ち取り、下に与える。
善いことのようだ。そう思える。
だけど、その人を外から観測すると、ただ周りから奪っていくようにしか見えない。「自分たち」のために、ため込んでいくようにしか見えない。中がどれだけ幸せであろうと、そこは分からないわけだから。
そういう集団(そういう人に守られた集団)は、周りと協業したり分担したりする際に、益を生み出せなさそうな、パートナーに見える。
このあたりは、自国第一主義を標榜する、某国の元大統領を、此岸から見ている印象を思えば、想像できるだろう。
結局、境界を管理するような、集団の代表者は、「外から得られたのなら、同じだけ外に返す」ことをしないといけなくなる。
『外にばっかりいい顔をする』支配者像の誕生だ。
内側の人同士のことは、内側の自助努力でやってもらい、外には外に向けての返報性を、(外交や防衛としてのよそよそしさと並行して)提示していく。
それができる最善なのだなあ。
もちろん、国内の秩序維持や格差退治で、国内の「強き」をくじくような権力発動はできるかもしれない。
そういう懲罰権力の使い方は、たしかにまだできるかもしれない。
車輪の再発明、防衛機制、手作り感満載、格差是正、交流、交換、贈与、価値観の違いが価値を生む、という話
from 2020/05/05-2020/05/09