メールという形式に促される、メールという形式をはぎ取る
私は普段、仕事でメールを書くときは、メールソフトを前景させ、相手の直近メールの “返信” をまず立ち上げる。
「まず、立ち上げる」というタスクを自分に設定する。
そして、それを立ち上げてから考える。
立ち上げたら、とりあえず、「○○さん(改行)お疲れさまです。」と打ってしまう。
その後のほうが、つられるようにして、“話さないといけないこと” が、自分の中から出てきやすい。
本文の下に、ここまでのやり取りの引用が入ることも、情報環境としては大きいよね。それを見ながら書いたほうが、“話さないといけないこと” の言い漏らしもしなくてすむし。
これは、「メールアプリ」という環境が、脳の中の「語りかけモード」というスイッチを入れてくれることが大きいと思っている。それもあって、メモ帳アプリや紙のノートに下書きをしていると、なんだか効率が上がらない感じになる。
「白紙」を相手にしない、的な課題でもあると思う。(だからdraft的なアプリに、私はなかなか馴染めないところがある)
相手に “お願いしたいこと” が高度な場合などで、じっくり推敲したいときは、「返信」の宛先を、いったん自分のみにすることもある。
誤送信で書きかけを流してしまうことも防げる。
バージョン0.9でいったん自分宛に送信して、バックアップをとる感覚で操作することも多い。
そうやって、「メールタスク」書くときに、なるべく直接操作するようにしている一方で、
クレームや、失敗した時の謝罪メールのような、怒られる処理をするときには、ちょっと違う動作をしている。
一度相手のメール本文をコピーしてWordのアウトライナーに貼り付け、
相手の文章を情報単位に分解して、対応の必要な行と読むだけでいい行に分け、それぞれの課題ごとに、対応や文案を書き足して、枝としてぶら下げる。(こちらの対応が必要のない行は消していく)
自分の感情をなるべく反応させないようにして、手だけを動かす。
……というような行動をすることを前提に、「開いて、コピーして、貼り付ける」だけを、まずする。
なるべく、相手の感情を、情報や思考からはぎとる。
行動を感情から切り離す
自分の感情を、外界から切り離す
感情を、直接浴びない・浸らないという約束を自分にする。
そうしないと、「まず相手からの届いたメールを開く、読む」というタスクを開始できない、ということが起きるから。
怖くてメールを開けない、ということが起きるから。