デジタルデバイスの身体性
自分がまだ高校生だか中学生だかのころに、母親にマリオカート(スーファミ)やってみてもらったことがあって。
母は当時も自動車免許を持っていて、本物の車をむしろ運転できたわけです。
なのに、十字キーとアクセル・ブレーキの操作を教えてコースに出ても、コースアウトに次ぐコースアウトで、まともにコースを走れなかった。
「道がせまくてスピードが出過ぎる」という感想も言っていた気がするし、
「どう操作していいかわからない」みたいなことも言っていた気がする。
それが子供(私)には新鮮で、だって、まさに十字キーって任天堂の発明で、あれの形を見るだけで、上下左右に行きたいときにどう左手の親指を動かせばいいか、直感的に “理解” できる。それが分からないとは?? そのあと考えて、「右に行きたい」という意思が「親指をそう動かす」という行動にタイムラグなく直結することができていないということか? と思った。あ、それ必要なのか。慣れとか練習とか。
似たような話は、windowsパソコンを、当時のご老人に教えたときにもあったらしい。直接に見たわけではないから都市伝説の可能性もあるけど、「次に、画面内の○○の絵のアイコンを押してください」と教えたときに、画面を直接に指で押してしまう、という話。
まあ、「絵を押す」と言われれば、それが正しい反応かもしれないけど(そしてiOSを作ったジョブズは正しかったのだろうけど)、十字キーなりマウスなりで、画面の奥にあるマウスポインタだのカーソルだのを遠隔操作して、対象となるコマンドスイッチ(またはアイコン)を選択していく、という身体性が、私が思うほど自明のものではなかったということだ。
小学生のころから、マリオだのドラクエだの三国志だのやっていた身体感覚とは違ってくるということだ。
私からしたら、「画面内のポインタを、操作キーで動かす」なんていうのは、「長い棒を手に持って振ったら、リーチは伸び、同時に重量が手首にかかって、その先が少し振り遅れたり、先端が少し下がったりする」なんてこととほとんど地続きだったのだから。
(話が横にそれるけど、私は今、kindle TV fire sitckの操作方法がやりにくい。あの、「仮想タッチディスプレイ内のドラム式選択コマンドを十字キーで回す」ような画面表示が、今苦手だ。どこに焦点が当たっているのか(どこにポインタがあるのか)とても見にくいと感じるのだ)
話は変わるけど、今は棒の例えをしたけど、そういう「元となる」身体性はあるほうが応用がききやすいという気はするし、話もある。
マリオカートを操作するときに、カーブを曲がろうとするとき、キーだけを操作するほうが正しいんだけど、腕ごとひねってしまったり、身体全体が傾いてしまったりすることがある。あれ、周りの人には馬鹿にされるけど、そういう性質があるほうがいいのではないかということを、ちょっと考えてみたりする。
タグ タッチパネル、UI、デジタルツール、GUI、実話の寓話