なにかが「犯罪である」ことと、それが道義的に「悪である」ことは違う。
なにかが「犯罪である」ことと道義的に「悪である」ことは違う。
捕まるかどうかや、怒られなければ悪じゃないわけでもない。
し、怒りを感じていいかどうかと、責めていいかどうかも一致しない
たびたび話題にして申し訳ないが、ACジャパンによる日本動物愛護協会のためのCMで「どんな理由があろうと、どんなに心を痛めようと、動物を捨てること、虐待することは犯罪です。」というフレーズがあって、これが私の脳内理論にはひっかかる。
もっともこれは、耳にした瞬間に「ぎょっとさせる」効果を、最大限に短いフレーズで達成しようとしたからなんだろう。それは分かる、同じ“言葉使い(師)”として。
だけど、私の中では、なにかが「犯罪である」ことと「悪である」ことは違う。
この国は法治の軸として、私刑を禁止している。それは、人は誤るものだし、それゆえに発生する間違いでの裁きを避けるためのシステムだと思う。
だから、犯罪について量刑を決める、刑を執行する権利は市民にはない。
なので、罰がくだったのならば、それ以上責めてはならないものだと私は考える。
そうであれば、捕まる前提であれば反省しなくてもよいし、隣の人が「そんなことをするのではないか?」と警戒し続けるのも違う。
したら捕まえて裁く。ドライに徹していい。
そうではなくて、「道徳」に基づいて行動の自制を促したり、相互に牽制したり思いとどまらせたりする必要があるのだとしたら、それは「罰」ではなく、美意識や罪悪感に訴えることになると思う。
この場合は、「こんな罰がある犯罪として法律に決まってるよ」ということを知らせるのではなく、物語として訴えかけることになるはず。
そういう、相互に違う(というかずれのある)ものとして認識されているので、前述のような語の使い方をされると、ちょっとした違和感を感じるわけだ。
それに関連してもう一つ。
以前に見かけた看板。
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https://gyazo.com/7dfb73ed15ab0b22ca8688db406cd351
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「窃盗は犯罪です」。
ikkiTime 2021/01/30 17:30
そりゃまあ、確かに。 https://t.co/294cb0J30m
http://twitter.com/ikkiTime/status/1355433308742582272
ikkiTime 2021/01/30 17:38
この看板は畑の横で立ててあったもので、(おそらくは軽い気持ちで? そこの野菜をひとつふたつ失敬していく人がいて、)「野菜泥棒だってれっきとした窃盗罪だよ!」ということを伝えたいのだろうけど……。 なんだろう、この字にしたときの同義反復感は。
http://twitter.com/ikkiTime/status/1355435104986820614
また、「犯罪である」ことと「悪である」ことは、対象の範囲も量刑の重み付けも、根源的にずれるはずだ。
例えば、「不倫罪」ってものはない。分かりやすく言うと。「賄賂」なんかも、末端従業員であれば犯罪にはならない。 #4象限
でも、「悪だ」と心は感じるし、そういうものがある程度低いレベルに抑えられていないと、社会が成り立たないということはある。
また、非選挙候補者のポスターを破いたり、「〇〇警察」になって、自粛しない人を取り締まる行為は、(独善的な善であるとはいえ)「犯罪であるが善行である」場合が含まれうる。
また逆に、大きいところでは、偽金作りや国家転覆を目論むことの禁止なんかは、誘拐や殺人のようには人道に反しはしないけど、重罪になっている。
悪だから裁かれる、というものではないし、悪ならば裁かれる、ということも言えない。
from @ikkiTimeツイート(ikkiTime)2021/02/01 06:49