それは学んだ結果ではないか?
それは学んだ結果ではないか?
ファッションの世界(その、文化的世界というか言説的世界というか)で、「小物が大事だ」みたいな話をよく聞く。「足元を見やがって」みたいな意味で、靴を大事にしよう、せめてピカピカに磨いておこう、みたいな訓話もある。 ただ、そういう「玄人好み」のポイントって、どこまで万人に向けたアドバイスになりうるんだろう、ってことはときどき思う。私は学ぶのが好きだし、どうせならより本質的なところに、学びを近づけたいと思う。 でも、感性としては、まったくの無学者にリーチするための位置にいたいとも思う。
確かに、靴はそうかもしれないし、マフラーや襟もそうかもしれない。これについては、かろうじてそうかもしれない。
向かい合って話すときには、相手の顔のほうを見るから(服よりも顔の造作の方が大事、ってことだけじゃなくて)、その周辺近傍の顔の周りにあるものは、よりじっくり見られる。
また、それより離れた位置から、他人の全身を眺めるときは、「上から下まで、舐めまわすように」見た場合、“真ん中らへん” は通過点で、足元はゴールになる。だから、真ん中あたりよりは、足元の方がもう少しじっくりと見られる可能性はある。あることはある。
でもさ、シルエットの面積の大部分を占める、コートとかズボンのほうが、やっぱりパッと見の印象を左右するんじゃないの? という気持ちは残るし、残しておきたい。
そして、いったん学習と習得の結果、ファッションを精細に見られるようになってしまうと、以前のようにぼんやりと(無邪気に)は見ることができなくなってしまう。 「おっ、あの人のファッション、きっちり足元に高級な靴を持ってきてて、分かってるって感じ。巧みだね〜」という感想になったりとか。
そんな要素は、たぶん絵画を見るときにもあるだろうし(抽象画のレベルの高低とか)、映画とかドラマとかの、物語でもそうなんだろうとか、思っている。 「人間が描けているか」とか
の