『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』の引用メモ
『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』の引用メモ
現代の秩序が秩序と呼ぶにふさわしく、盤石なのは、社会が正しさのアップデートを怠らず、関連する複数の領域で正しさに見あった役割をアップデートさせ続けているからでもある。
西洋のキリスト教とその周辺は、中世以来、テクノロジーの進展や世界観の進展に見あうかたちで自分たちの教義を改変し、自分たちの正しさをアップデートさせてきた。レコンキスタ以降のギリシア哲学の再発見、ルネサンス、大航海時代。コペルニクスやニュートンの登場、いずれもそうだが、西洋は世界観やテクノロジーを発明するだけでなく、それに見合うよう正しさを常にアップデートし続けてきた。P262
欧米社会が東洋やそのほかの社会に優越し、彼らの思想が進歩のグローバルスタンダードになったのは、欧米の人々が発明・発見の才能に恵まれていたという以上に、発明・発見に伴う世界観の変化にあわせ、自分たちの正しさをたゆまずアップデートさせてきたおかげではないかと、私は思う。キリスト教自身が力を失ってからもそのロゴスは脈々と受け継がれ、資本主義、個人主義、社会契約といった主要なイデオロギーもたえず正当性が問われ、正当性がアップデートされ続けている。ルソーの社会契約論やミルの功利主義などもそうした系譜の一部であり、アップデートは今日まで継承されている。P263
正しさがアップデートされるからこそ、その社会には筋が通り、その社会は秩序のうちに統治されることになる。資本主義、個人主義、社会契約がこれほど発展し、国や地域によってむらはあるにせよ、進歩のグローバルスタンダードになり得たのもそのおかげだろうが、逆に言うと、それらの正しさに適ってさえいれば、なにごとも筋が通ってしまう、少なくとも簡単には否定も修正もできなくなってしまう。P263
たとえば、今日では、社会契約に基づいて、身体的な暴力のやりとりが禁じられている一方、合法の範囲では情報弱者は搾取して構わないし、合法の範囲では労働者の搾取がまかり通っている。いや、合法の範囲で労働者を搾取することは、今日の正しさに照らして言えば搾取と呼んではならない。と同時に、正しさをアップデートさせる重要性を知っている欧米の知識人たちは、合法の範囲内に搾取らしきものを見つけるたび、ディスカッションを行い、そのひとつひとつを修正していく。P263
そうしたディスカッションを行なうのは資本主義、個人主義、社会契約の三位一体をよく理解し内面化した、正しさの専門家たちだ。西洋社会を代表する叡智は、長い目で見ればどんな問題も正しさのアップデートによって掬いとってゆくのだろう。だがアメリカのトランプ大統領の当選、イギリスのEU離脱をめぐっての混乱、ヨーロッパ諸国で高まる排外主義などを見るに、彼らとて全能というわけではなく、現在は正しさのアップデートと統治の板挟みになっているように、私には見える。P264
現代社会で「良い」とみなされているライフスタイルは、ほぼすべて、この三位一体のイデオロギーの内側の選択肢だ。私たちには、成金趣味の消費個人主義に走る自由も、スローライフな喫茶店の店員として生きる自由もあるし、子どもをもうけてももうけなくても構わない。だが、この三位一体のイデオロギーに対するオルタナティブと言えるような思想やライフスタイルを持ち合わせているわけではない。P243/314
通念や習慣に従いつつ、心のなかで舌を出していても本当は良いはずである。たとえば芥川龍之介は「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」と記しているが、そのような態度は通念や習慣に呑み込まれないためにあって構わないものではないかと思う。現代の秩序に引っかかりどころのある人が、引っかかりどころのあるまま生き、心のなかで舌を出していても構わない社会であって欲しい。
タグ 自由とは…、「内心では嫌だと思うこと」!
from 2020/07/19-2020/07/25