「遊ぶこと」「楽しむこと」、それを志向することが人類の目的でいい
「遊び」「楽しむ」、それを志向することが人類の目的でいい 「楽しむことが人生の目的」「人類には『遊び』を目指す本能がある」みたいに言われたら、目下 苦しい仕事に取り組んでいたり、環境に置かれている人は、思わずひねた気分になってしまうかもしれない。 だけど、苦しい環境や危険な仕事、高い理想に自分を向けるためには、それを「楽しむ」「楽しもうとする」意思や態度が必要になってくると思う。
理性や、意思の力や、志だけで、そういった環境にいるときの弱音のすべてを抑えつけようというのは、力不足だ。
そんな荒波を、「乗りこなす」「プレイする」ちょっと色をつけて、「自分の色を見せる」。
そういった視点を持って、初めて前向きさを心に持てるのではないだろうか。
「苦しいことも、楽しいこともある。それでこそ my life」
そんな風に思えることが、精神的な危機にある人にはまず大事だ。
だから、苦しいことだらけなら、「遊ぶ時間も、持つ」というのもいいだろう。
仕事の理想が大きすぎるのなら、自分なりの独自色を加えられる箇所を探すのもいいだろう。
自分なりに「楽しめる」箇所や、やり方を考えるのもいいだろうし、手法のカイゼン厨に なってみてもいいだろう。 私はつい、人格を一貫させようとしてしまうし、「任務か休息か」みたいな割り切り方をしようとしてしまうのだけど、やっぱり「遊び」が気持ちの切り替えには有効だ。 もちろん、働く分人と遊ぶ分人の間には、とぼける分人や休む分人や気分転換が間に入ってくることもある。休息も大事だ。 ただ、そうだとしても、ピンチとか環境とかってのは、最終的には「遊ぶ」ってことを目指さないと最終的には、気持ちを窒息させる。 だから、ふざけたり、遊んだり、反抗してみたり、ひねってみたり、楽しもうとしたりすることが、まるで生きることの究極目的のように、頭の中にベクトルが浮かんでも、いいのだ。