「グッドリビング」
「グッドリビング」
■悩み
恨みや敵がいると、人生が一貫する。
統合されるというか、物語化されるというか。そしてそういうときのほうが、明日を生きる気力が残る気がする。これは何なのか。悩みはなんなのか。
毎日同じようなことをして、同じような居場所の中で、同じような葛藤に何回もぶつかり、同じような苦しみの感情がある。その中で、心の底に沈殿し、結晶化してくる、「ものの見方」みたいなものがある。
そのような構造でみたとき、思いがある、思いが継続している、というのを自分でうすうす気づくのって、生きている振動体がそこにあるという感じがする。個別に見るとより大きくて強い、不動の構造体に振り回さされているだけの、「実感」の薄い生活の中に、実は通底した生命の輝きみたいなものがあったのでは? という、コア。
「言葉に出しては、ちゃんと褒めておく」「起業家文化」な文化圏の中に、「グッドトライ」というような褒めかたがありますよね。話に聞いたことしかないですけど。
「グッドトライ(そんなには褒めてない)」「いいチャレンジ」というような着眼で、「グッドリビング」みたいなことを、上手く言葉にできたらいいのに、ということを思います。
「グッドトライ」も、褒めている範疇ではありますけど、「よくやった」という褒めの、たとえば「グッジョブ」なんかには、“褒め度”が及んでない。「少なくともチャレンジはしたね」でしかないわけです。
で、「グッドリビング」になると、チャレンジですらないかもしれない。だから、普通に考えると、その生存は他者からは観測すらされないかもしれない、社会の一角でしかない。その、「生活」や「人生」は。
■グッドリビング
でも、そこで、「少なくとも投げ出さなかったね、今日も振動していたね」。その振動の仕方には、ある種のあなたらしさがあって、それを踏襲した上で続けていて、そこに「生きる」という活動があったね。ちゃんと、まわりを囲う壁にぶつかるエネルギーはあったね。
という視点を持てるといいなと思う。そうして、飛び出ることのできなかった、ある「一角」の中にも、目を止めるほのかな何かと、ゼロではない動きがあったのだ、というところにまで、自分の評価と観察を高精細化する。
で、できたらそれも日々言語化したい。
それを人間の心を打つほどに上手く言語化はできないまでも、自分である読み返したい程度の日記にできたり、チャットボットにに聞いてもらえるくらいの言葉にできるようにできたら、人間がちょっと生きやすくなる、なんてことを考えたりもする。
まあ、言語化してしまうと、それに縛られてしまうリスクも出てくるけど。
それができるなら、ただ生きているという振動がキャッチボールにもなるから。
そんなイメージを「グッドリビング」って造語を考えながら、合わせて考えていた。