ことば、身体、学び
記号接地問題:ある言葉について、その概念が身体に接地しているか。具体的に生活経験に根差した例を自分ですぐにイメージできるか。 基本的な概念が接地していれば、そこから具体的なイメージを離れて抽象的な操作が自然にできるようになる。
コーチングでは、認知的な意味合いで情報を伝える役割のことばと、感情を伝えることばを区別して考えたほうがいい。
言語能力とは、「どのように伝えれば相手がこちらの意図を理解できるか」を推論する力 ことばは世界をカテゴライズしている。つまり、文章化されていない。連続的な区切りのない世界をことばは切り分けて意味を与えている。
状況を心の中で組み立てたイメージ、これをメンタルモデルという。文章を読んでわかる、理解するとは、結局、このメンタルモデルを作るということ。 メンタルモデル=表象=状況を適切に抽象化してイメージできるということ。 メンタルモデル=行間を埋める能力、この能力はどのくらい読む訓練をしているか、どれだけ本を読んで考えているかということに関わる。
読書は、推論によって、書かれていることを自分なりに心の中で再構築する作業
語彙が増えて何が良いかというと、的確にものを言えるようになる、物事を振り返ることができるようになるということ。
熟達とは、メンタルモデルをどんどん精緻なものにしていくこと。 「ABLE(Agents for Bridging Leaning research and Educational practice)」で講演したフロリダ州立大K・アンダース・エリクソン教授がいう、熟達者のキーワードが、リプリゼンテーション、つまり、表象だった。熟達者の表象は、非常に柔軟で、多層的かつ多面的で豊かなもので、それゆえに状況が異なっても同じように対応できる。
つまり、過去の経験から、状況によって最適解をいつでも引き出せる状態になっている。それが良い表象。
練習は、いろいろな距離、角度から繰り返し練習した方が、本番の時の精度が上がる。
ことばが記憶をつなぎとめる。似た概念を対比して言語化すると、その概念を取り出しやすくなります。
選手にとって自分の動きをわかって、こどばで説明できるようになるということは、(技術を)取り出し可能になる、再現可能になるということ。
また、自分の持っている表象の応用可能な範囲がどこまでで、どこから先はうまく機能しないかがわかる賢さも必要。
コーチの役割
1)「教える」つまり知識の提供
2)「そのまま伝える」つまりフィードバック。見たまま伝える。
3)「揺さぶる」
4)「気づかせる」客観的に俯瞰し「何ができて、何ができていないか」を伝える
意識的に練習する時と、無意識に練習する時を分けた(為末大)
我々はコミュニケーションをとる際、自分の畑ではない人も理解できるかということを気をつけて話をする人もいれば、そうでない人もいる。自分のスキーマを疑うことは非常に大切。
達人になれる人は、自分が、何をわかっていて、何をわかっていないかを明確に判断できる。
私たちはほとんどのことを外部の知識に頼り切っていて、自分の外にある知識を自分の知識と同一視している。
知識を学ぶということは、あることがわかると、その瞬間から全部わかるようになるというものではなく、できる、できないの間を「行きつ戻りつ」なのである。 動きの中で筋肉を連動させていくことが大事で、一部の筋肉だけを個別に切り出して鍛えても使えない。
あまり変化のない単純な動きの繰り返しに対して、意識を逸らさないようにし続ける力を鍛えておくことが大切。
受動的(聞いているだけ)>能動的(メモや付箋をつける)>構成的(新しい情報と既存の知識が関連づけれる。人に説明できる>双方向的(対話によって複数の人と新しい知識を構築する
passive>active>constructive>interactive
人は全てを学ぶことは不可能です。たくさんの方向性が選択肢としてある中で、自分の特性を考え、どちらの方にいくと楽しく学べるか、自分の指向性のようなものを築いていくことも、学びの中ではとても大切。