離人感について
自分が今ここにいる感覚がありえないほど希薄になる、ときがある。
これを「離人感」などと呼ぶらしいけど、どういうものなのか、既存の語りを読んでもあまりピンとこない。
わたしがたとえるなら、
AirPodsのノイズキャンセリング。
それが、音だけではなく、視覚、触覚、果ては感情にまでかかるような感覚。
困るわけじゃない。
でも、気になる。
特に自分が強いストレスを感じている時に、この感覚が来るから。
自分は大丈夫なのか、少し不安にもなる。
この感覚って、私だけなのかな?って。人の反応として、説明できるものなのか、って。
でも、このせつめいできなさ、共有できなさに惹かれる自分もいる。あの、何もかもが薄くなった世界に心地よさすら感じる自分。
高校生のとき、初めてそれはあって
そのときは、かなり怖かったことを覚えてる。
国語の授業中だったと思う。急に自分の周りに透明なシャッターが降りてきたような感覚。
視界がグッと広がって、教室の一番後ろの席にいた私は、教室全体がなにかスクリーンに映し出された映像みたいに見えて、先生の声が急に遠くなって、聞こえてるのか聞こえてないのかあいまいになった。いま、もし私が何か指名されたらどうなってしまうだろう……と怖かった。
なに、これ?と思った。あの瞬間、鮮烈な記憶として今も残っている。あれはいったい、なんだったのか?
気になるので、離人感についての語りを読みたいのです。とても言語化力が高い人の離人の感覚を読めたら、俺は感動して死ねる。そう思うのです。
たしかに。この感覚、何にも実感が持てない感覚であれば、死ぬのも怖くないのかもしれない。もしかして、私の死への憧れが、離人感覚への惹かれと繋がっているのか…?はたして。