私は何を笑っているのか?
批評はお笑いの世界で嫌われる
私はお笑いが好きだ
私的なお笑い論を編んでみたい。
面白くても笑わないこともあるから
何を面白いと思っているのか?と言い換えてもいい
付言しておく必要がある。私は今やお笑いを純粋にみれない。創作物としてみてる部分が大いにある。つまり創作者の視点に立って見るということ。この視点いままでなかったな、とかそういう発想。
問題意識
何を私は笑っているのか?
笑い=バカにしている、見下している
ホモ小田ホモ男とか。無論、笑えない
それ以外でも、私はバカにしているとか見下しているとかそう言った論理で笑っているわけではない
もっとなにか、お笑いに対して、この世界のままならなさや理不尽さに対抗する、救いのようなものを見ている。
そういったものを常に感じていたけれど、あまり言語化しようとはしてこなかった
というか、たぶんできないからしてこなかった。
今もまだできないけど、考えてみたい。
とはいえ、何かを下げる、disる、ということで笑ってることはかなり多い。
その対象が自身の傷の由来だった場合、笑いはより大きくなる。
笑いについて考えることは、人間のセンシティブな部分について考えることと同意だ。
論
笑いは傷から来てる。と言ったのはオードリーの若林さんですが、もっと軽く言えば、違和感だと思う。
例えばインフルエンサーってなんなんだ?という違和感があれば、芸人がインフルエンサーをいじった時に笑える。
ズレ・違和感が笑いを起こすトリガーになるので、マイノリティは簡単に笑いの対象になる。それがホモオダホモオのように安易であればマイノリティを傷つける笑いになりうる。あれは単純にマイノリティを笑うものであったから。
でもそうでなければ、逆にエンパワメントする笑いにもなりうる。
逆に、お笑いの笑えなさについて
・M-1グランプリ2023のさや香
エンゾは海外からきた留学生だが、54歳だった
誰とでもキスをする人間はキモい
これらの笑いポイントは、「普通留学生は20代前半までだろう」とか「人はただ一人の人と付き合い体の関係も持つべきだ」といった規範をベースにし、その規範からズレている人物を出すことで笑いを取ろうとするものだが、私はこれに乗れない。
誰とでも云々は実際のネタではつっこんでいる側であるはずの新山がおかしなことを言っているというもう少し複雑な構造ではあるものの。
・「こんなの聞いてる女子高生はいない」
これはしばしばお笑い芸人が発してきたセリフだ。私が主に聞いたのはオードリーのオールナイトニッポン。身内ネタの酷さを表すために、一種の比喩表現的に使われているのだろうと思う。女子高生というのは言葉通りの女子高生という意味だけではなく、若い女の子を意味するシネクドキだ。
好きな芸人から考える
ピン芸人
ピン芸人ってすごいと思う
サンシャイン池崎
さらば青春の光
本来やっちゃいけないこと・言っちゃいけないことをやる
オフィシャルYouTubeチャンネルでのブクロドッキリの面白さ
ガムテープ
大喜利
大喜利の面白さを説明するのは骨が折れる。
M-1グランプリ
M-1グランプリは特別な存在だ。
例えば
大声で怒鳴る人を見ると普通びっくりするけど
それが変なことをしている人がしっかりと演出された舞台であれば人は笑う
それが暴力だとしても
まあこれはフリオチの話でしかないのか…