2022.05.03
マックス・ヴェーバー(マックス・ウェーバー)『職業としての政治』
民主主義の空洞化
→人民投票的民主制
→「広汎な民主化」が行われる=「組織された党員の集会が候補者を選」ぶ
=「自分の意思をかなり大幅に押し付けることができる」
=「民主主義の空洞化」と言えるのでは?(付記しておきました by進)
ビスマルク批判から立ち現れたというウェーバーの業績にある(それを念頭に置いて考えたい)
ジャーナリストと政治家
三谷太一郎的「原敬」とウェーバーが政治家に求めるもの
政治家の倫理観が対立する
宗教が下地になる西洋ならでは
暴力が必要である「政治」⇔信条倫理
官僚と支配
支配するには行政において専門のスタッフが必要
彼等を服従させるには物質的報酬と社会的名誉が必要
元老の話をした
宮中某重大事件
政治的無責任
→「元老」に「責任」はない?
→宮中某重大事件をどう考える?=時代によって変わる(西園寺までいくと象徴といえそう)
今年の院試は何がでる?大隈?原?国分先生の論文に目を通しておこう
官僚はどうあるべき?
→新版46頁、「生粋の官僚」の在り方
→現実問題として「非党派的」な官僚はありえる?日本の在り方=派閥の存在
→「非党派性=政治的無責任」ではない
→非党派的「だからこそ」政治的責任をとらなくてよくなる
「聖職者」新版40頁
→本当に「みずからの政治権力を求めるといった誘惑におちいることはなかった」のか?
→ヨーロッパにおける「聖」と「俗」の峻別は?
例えば、報酬を用意しなければ「政治」ができないという議論
→日本の近代という視点でも、現代日本という視点でも役立ちうる議論
→前提がどのように変わっているのか留意する必要性(政治家の階層化等)
※とりあえず本を開いて、「こんなこと書いてる本あったなー」を認識しておくことが大事なのでは?
シング!
→「君が代」→「となりのトトロ」