2022.04.28
○要約
・第1章 近世社会の構造
・一 領主制
将軍/大名は収益地の知行、或いは俸禄の支給を介し、主従関係を構築。それに対し、家臣=武士はその石高に応じた兵役が要請。近世には政治の担い手が軍事も担う特性。
・二 村
百姓が構成する村では、家臣への俸禄給与の必要から、領主(一村に一人の領主と限らず、「モザイク状の支配」)が設定した単位毎に俸禄の原資たる年貢を全村で請負う村請制が実施。これは村の基軸となり、入会地の所有や質地請戻し慣行に通底する論理であった。
・三 巨大都市と町
町は近世都市の単位であり、そこで過ごす町人には土木や手工業生産等の労働負担たる役が課されることで、支配体制に組み込まれた。町の空洞化により土地の集積が進み、大商人の誕生と住宅棟を有しない商人らや下層民が生まれた。
・四 身分制社会論
近世身分制社会の「袋」理解:人間が「家」経営体を基盤にいくつかの「袋」=社会集団に分類され、それ毎に領主に把握、賦課される。一方で「袋」に入らないもの(所有と保証の原理に逸脱)を身分的周縁。
・第2章 近世社会の解体(1)
・一 都市の諸身分集団の解体――戸籍法
都市の人員調査(反乱分子や脱籍浮浪人問題への対処)のため戸籍法を制定。その調査に際して身分に係らない属地主義を採った結果、複雑な近世身分社会が解体。
・二 府藩県三治制と版籍奉還
戊辰戦争の後、府藩県三治制の下で実質的に近世支配体制が維持。その後、土地人民の私物化を否定し、天皇へ返還する版籍奉還には、来る廃藩置県の前哨との見方と別に、旧体制の正統性を改めて得る思惑もあり、結果としては藩主支配が持続。
・三 廃藩置県への道
薩長対立による新政府の危機とその外側からの揺さぶりによりクーデタ的性格を帯びた廃藩置県は周到な計画なきもの;結果的に身分制維持を捨てた戸籍法と類似←政府の弱さと身分制社会の複雑さ ⇒漸進ではなくドラスティックな改革の要請へ
・第3章 近世社会の解体(2)
・一 村請制の解体――地租改正
全国的な租税制度統一を目的とする地租改正は、戸籍法と共に近世村社会を解体。
当初案の壬申地券発行は年貢を据置いた地価設定や所有者の問題で頓挫、改めて地租改正法が制定され、測量や収穫量査定(地位等級方式)を経て改正地券が発行。結果、村請制が最終的に解体。
・二 地方制度の変化
地租改正完了前には近世の村役人層は戸長等へ就任する連続性。明治5年以降、大区小区制が導入されるも県毎に自由度が高く、明治11年の地方三進法により府県―郡区―町村の統一的な序列化。戸長は地租改正終了と共に惣代性の喪失、そのギャップに戸長辞退者が増加。更に、連合戸長役場制で戸長は村から距離、町村合併により自然村の消滅(行政村、大字化)
・三 近世社会から近代社会へ
・職・生活も含めて公的に把握された近世社会から、一個人として把握され生活までは私的領域とされる近代社会へ変化→私的人物の共通利益を保証する公;公私二元体制へ
・市場に於いても政治システムに組み込まれた近世(売り手が市場権力、商人は幕府権力による公認)から、私人が自由参入ができる近代へ;私的領域の中心たる市場
○近世から近代への移行において「袋」の破れ→家経営体(家→戸)を拠点としながら、近代社会の中で人間関係を再編
○コメント
・大工・小区制の各県ごとの自由度;何か特徴が浮かび上がる?
・戸長の在り方、特に戸長職忌避が面白い 何かインセンティブは?
・第一章
要約;近世社会は人間がそれぞれ家を通じて武士、農民、町人などの土地や家・財産の所有関係を基準とした身分的社会集団に所属することで、幕藩から社会における地位を保証された。しかし近世後半になると、何も所有しないため身分制に入れない人々が現れはじめた。
コメント
・近世の村の土地の共有や相互扶助のシステムが農民自身のためでなく、そこから得られる年貢を徴収する領主のための仕組みであったというのは驚きだった。
・領主はあくまでも軍事力の担い手であり、領地は戦力でしかないため、行政サービスはあまり重視していないという旨の部分を読んで、領主とこれから出てくる知事は似ているようでその役割がかなり異なっていたということに気づかされた。
・賤民身分集団にも支配関係があり、よく並列されるえた・ひにんも同列の立場ではなく上下関係があったということをはじめて知った。
第2章
要約:近世の身分制度を解体した制度である戸籍法と廃藩置県は、前者は反政府勢力のクーデターを防ぐために、後者は薩長の政府内の対立が克服できない状況で、中堅の軍人からの強い働きかけをきっかけとして急遽決定したように、どちらも身分制度の解体を目的としていたわけではなく、明治維新の諸政策は政府の弱さと近世身分制度の複雑さが原因で周到な計画なしに行われた。
コメント
・個人的に、新政府は強く用意周到なイメージを持っていたので、実際は社会から信用されておらず常に一か八かの賭けにでなければならないほど切羽詰まっていたというのは大変意外におもった。
・姫路藩という、新政府の側についていたり「版籍奉還」の真の目的を知っていたりするわけではないのに、版籍奉還に対して肯定的である藩が存在したということをはじめて知った。
・ここまで改革が行き当たりばったりになったのは明治新政府だけなのか、それとも他の時代の日本や諸外国の改革も同様なのかが気になった。
第3章
要約:百姓の身分集団は地租改正による年貢の村請制の終焉と町村合併による行政村の誕生によって解体され、人々は職業による纏まりから解放され個人として扱われるようになり、市場を中心にそれぞれが関わり合うようになった。
コメント
・地租改正は「行われた」という事実しか知らなかったので、二回地券が発行されたことや、それぞれが発行されるまでの過程、改正の結果などの詳しいことなどについてはじめて学ぶことができた。
・P60 戸長は住民の選挙によって選ばれるため、住人のいいなりにならざるをえないということに少し驚いたが、言われてみれば確かにそうなってしまうのも無理がないように思われた。