青山_練習IO
序論
抜粋した文学作品は、おくの細道の序章で、非文学テクストは「宇宙に命はあるのか」という本のエピローグです。
おくの細道は日本の訪れたことのない場所、非文学テクストは宇宙の探究について語っているため、共通のグローバルな課題、問いを「未知の世界を探求する原動力とは何か」と定めました。
この問いに対しての二つのテクストは同じような捉え方をしていて
人間の、未知を想像する力、イマジネーションの力が原動力であるという捉え方を両方ともしています
外的な影響力ではなく内面から生まれる力であり、また誰でも持っている普遍的なものであるという捉え方がされています。
ではまずおくの細道 序章のグローバルな問題の見方について分析
長い旅についての紀行文であるおくの細道の第1章となる部分で、芭蕉が旅に出る部分の描写が、そのモチベーションの説明とともに描かれている。
先ほど述べたグローバルな課題と関係が深い部分は三つあります。
一つ目は、「古人もおおくたびにしせるあり」という部分です。
ここでいう古人は一般的な昔の人を指しているのではなく、西行法師やとほ、李白など、過去に松尾芭蕉と同じように旅に人生を費やした人々を指していると言われています。
芭蕉はこういった古人を尊敬していた
昔の人の「旅にしせる」という人生の終え方に言及することによって、芭蕉を
また、旅に出たいという感情を持つことの普遍性を示している
二つ目は、そぞろ神のものに尽きて心を狂わせ
そぞろがみ:旅に出るように誘惑する神様を意味すると言われている
ここでは「かみ」という曖昧で神秘性のある力が旅へのモチベーションとして表現されていますが、この事から旅へのモチベーションは他者からの力ではなく自分自身の内面から生まれるものであるということを表現している
そぞろ神は当時社会的に広く認知されていないもので合ったと言われていますが、
三つ目は、松島の尽きまず心にかかりて
古くから芭蕉は松島から見えるである月に憧れていたと言われていて、
まだ見た事のない何かを想像力、そしてそれを実際に見たいという好奇心が旅へのモチベーションになっていることがわかる
江戸から見える月は松島とは比べ物にならないであろうとというメッセージの句を芭蕉は以前に読んでいた
このことからも、芭蕉が松島の月の美しさを想像していたことがわかる
結論:
次に、宇宙に命はあるのかのエピローグについて分析
この話は人類が20世紀から行ってきた宇宙探査について語ってきたもので、どのように人類初のロケットが開発され、月や冥王星、天王星、その先の探索が行われてきたのかが説明されています
また、それぞれの時代の技術者がどのようなモチベーションで開発に取り組んできたのかについても言及されています
この抜粋部分は本全体のエピローグで、今までの話をまとめつつ本全体のメッセージを改めて伝える部分となっています。
このテクストがグローバルな問題についておくの細道とすごい似た捉え方をしていることが、これから説明する二つのポイントから分かります
まず一点めは、過去の作家や技術者が未知の世界を探究するために人生をかけてきたことが表現されている部分です。
このぶぶんから、歴史を超えた普遍性があることがわかる
二点目は、このイマジネーションの力に言及している部分です
グローバルな問題に対して、明確にイマジネーション、未知を想像する力が原動力であるという回答が出されている
下の部分では、繰り返しの技法が何度もしようされていて、
「未知を探究しよう」が強いメッセージとして表現されているものの、「想像してみよう」という言葉からわかるようにあくまでも考えを促すにとどまった文章になっている
あくまでも想像した結果、自分の中から湧くもの
また、構成に着目してみると、この本では、探索となったイマジネーションの力を常にしているものの、このエピローグまで「イマジネーション」「想像力」という言葉は一貫して使われていませんでした
未知の世界を探究する原動力が「何か」という言葉であえて今までぼかされていた
これによって、この想像力という力の存在を著者が印象づけたいと思っていることが分かります。
まとめると、このテクストも未知を探究する原動力としてイマジネーションを挙げていて、似たような捉え方をしています
結論
二つのテクストはグローバルな問題「未知の世界を探究する原動力とは何か」について似たような捉え方をしています。
イマジネーション、想像力
歴史・場所を超えた普遍的なものである
外的な力ではなく、内面から生まれる力
グローバルな課題
分析/比較(雑記)
共通点
古人の話 / 宇宙探査の先人たちの話
そぞろ神 / イマジネーションの力
松島の月 / 月探査やその先
「月」が両方とも旅の原動力になっているのおもろい
知らない人/生命体との出会い
それを考える想像力
そもそも両方とも未知への旅を扱うテクスト
違いとして、プロローグ(序文)vsエピローグであることがある
星(自然物)と人工衛星やISS(人工物)
未知の存在を確信していることから何か言えないかな
見えることによる確信?
(今更だけど↑のような比較はいらなかったっぽい)
辻褄があいすぎる、練習IOに使っちゃうのがもったいない気もするw