語学
第一言語でない言語で表現されたものを翻訳なしで鑑賞したいという動機
情報を受け取ることはできるが、感情が動かされるような体験はまだない
思わず英語なり韓国語で反応してしまうくらいには感情とつながりつつある
字幕を見ながら単語の切れ目や対応関係が理解できるレベルでも十分に気持ちの入りどころは分かる
複数学んだ方が学習効率が良いらしい
これの理由をあまり見かけないが、経験から感じたことはある
「教える」という言葉は韓国語で「가르치다(カルチダ)」
これを思い出すのに英語の「culture(カルチャー)」を経由する
ダジャレみたいなものだが、記憶のネットワークを作るのに役立ってるのではないか
認知能力も向上するらしい
教材の量・質・アクセスしやすさすべてにおいてネットとスマートフォンがもたらした恩恵は大きい
基本的にはどんな言語もまずは耳(音)から入る
こういうシチュエーションでこういうテンションで使うのか、というのが動画でしかも教材用に調整されたものとは違うリアリティで触れられるようになった
娯楽として外語に触れられるようになった
iTunesで音楽を聴きながら歌詞を読み、気になった単語を調べて語彙を増やす
単語や表現は一対一対応するものではない
個別の文章などを指して誤訳とか言い出してもしょうがない
言語構築主義
言語によって世界が構築されるという考え方
言語によって世界が構築されるので、言語が違えば世界も違う
ゆえに優劣はつけられず、相対主義に行き着く
書体が変わるだけで読めなくなる
人間が何を「同じ」として認識しているか
慣れによって克服
「に」と「た」を間違えるのは日本語が第一言語であればないと思う
多和田葉子『エクソフォニー』を読んで欲しい