美術界・デザイン界の社会性
オリンピックロゴ問題
手口もさることながら、問題解決に向けた記者会見など、一番職能を発揮すべき場所で世論を納得させられなかったことに失望した
政治的な運動に関しても、陰謀論に絡め取られがち
炭鉱のカナリア的な言説や、「直感」のようなアーティストに対する神話が「自分には分からないけど、何かあるのかも知れない」と思わせる
一次情報を参照していない
種苗法
目立つ人がそういう傾向にあるだけかも知れない
専門家と対話するでもなく、身内で固まっている
高校の政経とか公民とか、就職時の試験とか受けてないから?
この辺勉強してないだろという決めつけも良くないが、基本的な知識が抜けてるように感じられることが多々ある
自分の頭で考えることが良しとされている世界なので、自分の頭で考えて間違う
あいちトリエンナーレ
表現の不自由展
文化庁の助成金不交付
その後一部交付が決定
政治カードあるいはマーケティングに利用された感
自分たちは弱者、必要な存在だと主張しながら、一方で別の業界を無駄、なくせという主張をしてしまう(ハンコなど)
権威に守られている業界について言っているのだろうか?
一般的には美術業界は権威的で恵まれた人間のものだと思われている可能性が高い
権威主義的なところはあるが、少なくとも一般的な仕事と同等の能力や作業量で見た時に金銭的に恵まれているとは言えないだろう
ここに無自覚だと選民意識を持っていると思われる
実際持ってたりする
しかしこれが創作にうまく作用してる気もするので、個人的には許容したい
あらゆる点でサンドバッグにされてしまっている
理解されない苦しみからさらに攻撃的になる悪循環
文化芸術を守れと主張する際に、暗黙に自分たちが認める文化芸術ではないものを対象から外している
自分たちこそが担い手であることを主張、あるいはそのように受け取られてしまう危険性を考慮していない
自分もそうだったが意志を持って準備してフリーランスになったというよりは行きついてそうなった、というタイプがいる
金銭的余裕や時間的余裕のなさから仕事以外の事務や会計が疎かになりがち
同業者間で誤った知識が流通
制度を知らないと余計な税金を払ったり本来貰えるはずの支援を受けられない
ここで政府は何もしてくれないという不満につながる
大学教授にでもしておかないと行き場のない才能というのもある
一般的な基準としてのパワハラなどを持ち出すと一発アウトだが、果たしてそれでいいのか
被害を受けた側はたまったものではないが…
一般的な基準や制度とは異なる知性のあり方を認めること
ちょっとしたことを大げさに言いがち
党派性が強い
みんな美術を追究する仲間じゃんと思う
別に馴れ合う必要もないが、縄張り意識が強過ぎる結果、知り合いには甘く、そうでないものに対しては不公平な批判になっているように見える