学習について
なんであれ少しでも知識が増えたり、できないことができるようになればそれは成長と呼べる
各分野数千年単位での人類の叡智が詰まっているので、役に立つとか立たないとか以前に問答無用で学ぶ価値があるものと考えてよい
転移
正の転移、負の転移など、時間的に先行する学習が後続の学習に影響するという考えがある
英文タイプからローマ字入力は容易に学習できるが、ローマ字入力からかな入力はむしろ阻害される
ただやれば力がつくものと、理解しないと力がつかないものがあるように思う
複数人で場を共有して学ぶ意義
対話や議論によって思考が整理されたり、異なった視点を得られたりする
すごい人間のすごさとそうでもない部分が見られる
同じ人間であることが理解できる
この人でもここは即答できないんだ、という問題が必ずある
そういう場合の推論の仕方や大まかな方向性を聞く
プログラマーは全て頭の中に書くべきことが入っていて、何も見ずにコードを書き上げているように思っていたが、実際はかなり本を読んだり勉強会に出たり情報収集をしている
それらの繰り返しによって何も見ずに書けるようになっている
絵を描く人が観察に時間をかけていたり、とにかく枚数をこなしていたりするのと同じ
他の人がどう学んでいるのか、どう作業を進めているのか、を知ることのメリット
言語化されていない、自然な振る舞いから情報を読み取れる
見て盗む、というのはこれのこと
言語化も重要だが、振り付けをコピーするように身体で覚えることも重要
整理されたアウトプットだけでは試行錯誤が見えない
試行錯誤や、思考の痕跡がヒントになる可能性を残しておきたい
これがワークショップをやる理由
勉強そのものだけでなく、メタ的な「勉強の仕方」を知る機会になる
ある人の著作を読む場合、その人が話しているのを直接聴くと印象が変わる
その人の声で再生される
どういうテンションで語り、何故その言葉を選んでいるかが推測できるようになる
これはギャグで言ってるんだな、とか
ミラーニューロンは映像だと活性化しない
インプット
本
何冊も同じ分野の本を読むと、基本的な内容を繰り返し読むことになり、定着する
いろんな分かり方を知ることができる
間違いない1冊があれば、それを繰り返し読むのがいいとは思う
動画
おそらく自分の認知特性として、耳で聴くのが覚えやすい
先生の口癖を真似するのが好きで、そのことが覚えようとする姿勢に繋がるのかも知れない
教育系YouTuber
テレビに出てる東大王とか、受験勉強について色々話してくれて面白い
自分は圧倒的に時間をかけてなかったなと思う
MOOC
Netflixのドキュメンタリー
インタラクション+動画の教材の決定版はあるのか
当然考えられて然るべきで、いままでの授業に発想が縛られている
講義
強制的にその学問のことだけを考える時間ができる
映画館の体験に近い
個別指導
自分の興味を掘り下げられる反面、自分が何を分かってないかが分かってないと、疑問をぶつけることができず、効果を最大化できない
ゼミ
同じ興味を持った人がいること、先生と近い距離で学べるのは利点
良くも悪くも内容が生徒のレベルに引っ張られる
アウトプットもできる
論文
暗黙的学習
物語から覚える、経験から学ぶなど、学習している意識なしに学習する
新しいパターンや情報に対する直感が養われる
明示的学習
テキストを読む、講義を受けるなど、やろうと思って学習すること
暗記やルールそのものに注目する
アウトプット
アウトプットというと何かそれによって自分から失われるものがあるように思えるが、そうではなくアウトプットすることで積み重なる知があるように思う
インとアウトというモデルを考え直す
作っている最中はインとアウトが両方行われている
実習、チュートリアル、ハンズオン、ワークショップ
構成論的手法
作ることで理解する
格差問題
専門家が、専門家だけで議論し、専門家だけが知りうる情報が専門家だけに流通する
いわゆる象牙の塔とかタコツボ化
そんなことあるのか?と思っていたが東日本大震災以後の分断を見るとあるように思えた
不信感が生まれ、疑心暗鬼になる
ネットの登場で民主化されるかと思ったが、必ずしもそうとはいえない
文脈を読み解けない人間による中傷・嫌がらせで専門家の情報発信がリスクになってしまう
エコーチェンバー
フィルターバブル
サイコパス要素を持った人間が強い
へこまない
勇気ある(ように見える)行動を取る
感情は無視できない
都会の教育熱と情報量は段違い
費用対効果は謎
底上げというかそういうのを経てきたベースの人たちの知的水準は高いと思う
専門分野が違っても、同じレベルで議論するにはどうすれば良いか
前提を共有する
どこまで遡るのか?
同じ場に身を置くことで、カバーできるものがあるのではないか
成績によって集団を振り分けることの弊害
人間が人間を評価するというのが嫌
AIに代替させたとして、納得できるかどうかは不明
元のモデルやアルゴリズムは人間が決めているはずなので